頭のネジが飛んじゃったような政治家たちが
異常に目につく今日この頃の日本だが、
どっこい、日本にゃ、そんなオカシな人しかいないわけではありません。
と、胸を張って自慢したくなる日本人の一人が、小出裕章さんだ。
(自分のことでもないのに、
同じ日本人だというだけで「自慢」するのはホントは間違っているけど)
ここ、中国では彼の話をYOU TUBEなどで聞くことができない。
どこまでも、穏やかな口調で語られる原子力の話は深い説得力を持ち、
ひたひたと聴く者の胸に染み込んでくる。
そんな小出さんの声が聴きたくなったが、夏休みまで我慢して、
彼の講演の一部をご紹介したい。
彼は、2011年3月11日以降、講演を始めたのではない。
ずっとずっと以前から、原子力発電所が如何に人間に不利益をもたらすものかを、
現場の研究者の立場から人々に訴え続けてきた人だ。
1949年生まれの彼は教授のポストとは無縁の
京都大学原子炉熊取実験所「助教」という地位にいる。
1990年代、「熊取六人衆」という呼び名を聞いていたが、
彼はその6人の一人である。
今日、明日に分けて小出さんの「戦争と核=原子力」という講演を掲載させていただく。
日本基督教団・大阪教区・核問題特別委員会主催勉強会 2009 年11 月29 日(日)
「戦争と核=原子力」
京都大学・原子炉実験所 小出 裕章
Ⅰ.歴史に学ぶ
戦争と庶民の歴史
20 世紀は戦争の世紀といわれます。
第1 次、第2次世界戦争がおき、世界中が戦争に巻き込まれました。
ただ、人類の歴史は遠い過去からずっと戦争の歴史だったと
言えそうですし、それにはキリスト教をはじめ、
宗教が深くかかわってきました。
キリスト教は2000 年に亘ってユダヤ教を差別し、
ユダヤ人を迫害してきました。
その挙句にナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦も起こりました。
その悲惨な歴史を見つめ、戦後ドイツの大統領になったワイツゼッカーは1985 年、
「荒野の40 年」という演説を行いました。
その中で彼は以下のように言っています。
問題は過去を克服することではありません。
さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけには参りません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。
日本もまた明治維新以降、富国強兵の道を歩み、
日清・日露の両戦争、第1次、第2次の世界戦争に参戦し、
アジアを中心に多数の人々を殺戮しましたし、
日本の庶民もまた多数が犠牲となりました。
その歴史に巻き込まれ、
「君やふるさとのためには死ねるが、天皇のためには死にたくない」
と言った許婚を「天皇のために死んで来い」
と言って戦地に送り出した随筆家の岡部伊都子さんは書いています。
私ははっきり、戦争を当然とし、死を当然とし、
兄や愛しい人びとの死地に戦うのを当然と考えていた。
こわいという、いやと言う、素直な皮膚感覚を失っていた。
私は、敗戦によるショックをうけるまで、何を疑うこともなかった。
「信従の精神が大切です」と女学校で教えられるままに、
まさに信従してはならないことに信従していたのだ。
私は、そのために今度は、目をさまして素直に発言しはじめた自分の皮膚感覚を、
愚直なまでに守ろうとする。
時代に狎れることに、私はもうこりごり。
その岡部さんの詩に「売ったらあかん」があります。
売ったらあかん
友達を売ったらあかん
子どもらを売ったらあかん
まごころを売ったらあかん
本心を売ったらあかん
情愛を売ったらあかん
信仰を 売ったらあかん
教育を 売ったらあかん
学問を売ったらあかん
秘密を売ったらあかん
こころざしを売ったらあかん
大自然を 売ったらあかん
いのちを売ったらあかん
自分を売ったらあかん
自分を売ったらあかん
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html
[以下明日に続く]
異常に目につく今日この頃の日本だが、
どっこい、日本にゃ、そんなオカシな人しかいないわけではありません。
と、胸を張って自慢したくなる日本人の一人が、小出裕章さんだ。
(自分のことでもないのに、
同じ日本人だというだけで「自慢」するのはホントは間違っているけど)
ここ、中国では彼の話をYOU TUBEなどで聞くことができない。
どこまでも、穏やかな口調で語られる原子力の話は深い説得力を持ち、
ひたひたと聴く者の胸に染み込んでくる。
そんな小出さんの声が聴きたくなったが、夏休みまで我慢して、
彼の講演の一部をご紹介したい。
彼は、2011年3月11日以降、講演を始めたのではない。
ずっとずっと以前から、原子力発電所が如何に人間に不利益をもたらすものかを、
現場の研究者の立場から人々に訴え続けてきた人だ。
1949年生まれの彼は教授のポストとは無縁の
京都大学原子炉熊取実験所「助教」という地位にいる。
1990年代、「熊取六人衆」という呼び名を聞いていたが、
彼はその6人の一人である。
今日、明日に分けて小出さんの「戦争と核=原子力」という講演を掲載させていただく。
日本基督教団・大阪教区・核問題特別委員会主催勉強会 2009 年11 月29 日(日)
「戦争と核=原子力」
京都大学・原子炉実験所 小出 裕章
Ⅰ.歴史に学ぶ
戦争と庶民の歴史
20 世紀は戦争の世紀といわれます。
第1 次、第2次世界戦争がおき、世界中が戦争に巻き込まれました。
ただ、人類の歴史は遠い過去からずっと戦争の歴史だったと
言えそうですし、それにはキリスト教をはじめ、
宗教が深くかかわってきました。
キリスト教は2000 年に亘ってユダヤ教を差別し、
ユダヤ人を迫害してきました。
その挙句にナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦も起こりました。
その悲惨な歴史を見つめ、戦後ドイツの大統領になったワイツゼッカーは1985 年、
「荒野の40 年」という演説を行いました。
その中で彼は以下のように言っています。
問題は過去を克服することではありません。
さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけには参りません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。
日本もまた明治維新以降、富国強兵の道を歩み、
日清・日露の両戦争、第1次、第2次の世界戦争に参戦し、
アジアを中心に多数の人々を殺戮しましたし、
日本の庶民もまた多数が犠牲となりました。
その歴史に巻き込まれ、
「君やふるさとのためには死ねるが、天皇のためには死にたくない」
と言った許婚を「天皇のために死んで来い」
と言って戦地に送り出した随筆家の岡部伊都子さんは書いています。
私ははっきり、戦争を当然とし、死を当然とし、
兄や愛しい人びとの死地に戦うのを当然と考えていた。
こわいという、いやと言う、素直な皮膚感覚を失っていた。
私は、敗戦によるショックをうけるまで、何を疑うこともなかった。
「信従の精神が大切です」と女学校で教えられるままに、
まさに信従してはならないことに信従していたのだ。
私は、そのために今度は、目をさまして素直に発言しはじめた自分の皮膚感覚を、
愚直なまでに守ろうとする。
時代に狎れることに、私はもうこりごり。
その岡部さんの詩に「売ったらあかん」があります。
売ったらあかん
友達を売ったらあかん
子どもらを売ったらあかん
まごころを売ったらあかん
本心を売ったらあかん
情愛を売ったらあかん
信仰を 売ったらあかん
教育を 売ったらあかん
学問を売ったらあかん
秘密を売ったらあかん
こころざしを売ったらあかん
大自然を 売ったらあかん
いのちを売ったらあかん
自分を売ったらあかん
自分を売ったらあかん
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html
[以下明日に続く]