今日はネルソン=マンデラ元大統領の命日だとか。
「生きるうえで最も偉大な栄光は、
決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある」
ーネルソン・マンデラ
うーむ、その通りだわ、と頷いて
マンデラさんの言葉を自分の人生の歩みと照らし合わせてみると、
(しまった、そういう偉大な人物の言葉と自分を照らし合わせてどーする)
と、まもなく気がつきます。
あのマンデラさんがモデルだという『遠い夜明け』、
遥か昔に観たのに、今でも見た後の重い緊張感が思い出されます。
(あの映画の後、ホントに一週間くらい警察が怖かったです。
パトカー見たら、サッと隠れたりして)。
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この間、気分が落ち込みがちでした。
やはり、大阪W選挙の投票結果が糸を引く、じゃない、
後を引いているのでしょう。
「橋下さんは正しい。ただ、言い方が悪いだけ」
と言う声を5月の住民投票の時、身近な人から聞きました。
(なぜ、この人は橋下が正しいと断言できるのだろう。
どれほど正確な情報を得たのだろう)と疑問でした。
その疑問は失礼だと思われるかも知れません。
しかし、その人の日頃の情報はもっぱらテレビとのことでした。
テレビが主な情報源だということは、今の状況では
真実から遠ざけられるということではないでしょうか。
いい(正しい)情報を得ない場合、事情が分からない。
間違った情報を得た場合、事情が分からないだけでなく、
間違った情報を鵜呑みにすると、あきらかに騙される状況になります。
しかし、騙されている人は、騙されているという自覚がありません。
(だから騙されているのですから・・・・・・)。
そういうわけで、「橋下さんは正しい」発言になってしまいます。
私が論争好きならどんなによかっただろうとよく思いますが、
残念ながら私は”橋下正しい発言”を聞いただけで、ゲッソリする人間です。
ほら、警察に逮捕されて自白を強要され、
本当は違うのに「私がやりました」と言ってしまう人が多いでしょう。
私はその人の気持ちがよく分かります。
自分がギリギリ大切にしようと思っていること(もの、例えば命)だけを守るために、
もう、ここは投げてしまおうか、と思ってしまう気持ちです。
もちろん、投げてしまいたいわけではありません。
警察がガンガン吠えたり、長時間ネチネチやられたら気力が萎えてしまうのです。
私は子どもの頃から、
数の多さといつも対決しなければなりませんでした。
多数派というのは警察のネチネチ攻撃と同じなのです。
不正義であっても、正義のように振る舞うその厚顔無恥が私は大嫌いです。
それでも、やはり、論争でもなんでも、がんばらないと、
ギリギリの一番大切なものまで拠出させられないように。
と、沈んだ心を奮い立たせている今日この頃です。
学期末試験の問題作りがまだ半分しかできていないので、
さらに沈鬱な気持ちになるのでしょう。
早く、この重い不快感から脱したいと願っています。
シーサー、おらに力をわけてくれ!(ちょっと悟空の真似してみました)