毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「フラフラとまた立ち上がる」No.1528

2015-12-06 09:00:10 | ま、とにかく

今日はネルソン=マンデラ元大統領の命日だとか。

 「生きるうえで最も偉大な栄光は、

決して転ばないことにあるのではない。

転ぶたびに起き上がり続けることにある」

ーネルソン・マンデラ

うーむ、その通りだわ、と頷いて

マンデラさんの言葉を自分の人生の歩みと照らし合わせてみると、

(しまった、そういう偉大な人物の言葉と自分を照らし合わせてどーする)

と、まもなく気がつきます。

あのマンデラさんがモデルだという『遠い夜明け』、

遥か昔に観たのに、今でも見た後の重い緊張感が思い出されます。

(あの映画の後、ホントに一週間くらい警察が怖かったです。

パトカー見たら、サッと隠れたりして)。

――――――――

この間、気分が落ち込みがちでした。

やはり、大阪W選挙の投票結果が糸を引く、じゃない、

後を引いているのでしょう。

「橋下さんは正しい。ただ、言い方が悪いだけ」

と言う声を5月の住民投票の時、身近な人から聞きました。

(なぜ、この人は橋下が正しいと断言できるのだろう。

どれほど正確な情報を得たのだろう)と疑問でした。

その疑問は失礼だと思われるかも知れません。

しかし、その人の日頃の情報はもっぱらテレビとのことでした。

テレビが主な情報源だということは、今の状況では

真実から遠ざけられるということではないでしょうか。

いい(正しい)情報を得ない場合、事情が分からない。

間違った情報を得た場合、事情が分からないだけでなく、

間違った情報を鵜呑みにすると、あきらかに騙される状況になります。

しかし、騙されている人は、騙されているという自覚がありません。

(だから騙されているのですから・・・・・・)。

そういうわけで、「橋下さんは正しい」発言になってしまいます。

 

私が論争好きならどんなによかっただろうとよく思いますが、

残念ながら私は”橋下正しい発言”を聞いただけで、ゲッソリする人間です。

ほら、警察に逮捕されて自白を強要され、

本当は違うのに「私がやりました」と言ってしまう人が多いでしょう。

私はその人の気持ちがよく分かります。

自分がギリギリ大切にしようと思っていること(もの、例えば命)だけを守るために、

もう、ここは投げてしまおうか、と思ってしまう気持ちです。

もちろん、投げてしまいたいわけではありません。

警察がガンガン吠えたり、長時間ネチネチやられたら気力が萎えてしまうのです。

 

私は子どもの頃から、

数の多さといつも対決しなければなりませんでした。

多数派というのは警察のネチネチ攻撃と同じなのです。

不正義であっても、正義のように振る舞うその厚顔無恥が私は大嫌いです。

 

それでも、やはり、論争でもなんでも、がんばらないと、

ギリギリの一番大切なものまで拠出させられないように。

と、沈んだ心を奮い立たせている今日この頃です。

学期末試験の問題作りがまだ半分しかできていないので、

さらに沈鬱な気持ちになるのでしょう。

早く、この重い不快感から脱したいと願っています。


シーサー、おらに力をわけてくれ!(ちょっと悟空の真似してみました)

コメント (2)
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