毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「2年生、ゲイ・ピープルの権利を論ずる」 2013年5月16日(木) No.651

2013-05-16 19:47:20 | 中国事情
一昨日の火曜日、
2年生の会話授業でディベートもどきをやってみた。
「ゲイの結婚は法律で認められるべきである」
という提起に対して、賛成、反対の意見をたたかわすというものだ。

この国は、同性愛者に対する風当たりが実に強い印象がある。
ゲイピープルのことを私から話題にすることはあまりないが、
(普段、そういうこと気にしていないので)
特になんにでも好奇心に満ちている女の子たちの雑談に混ざると、
「先生、同性愛をどう思います?」
と聞かれることが過去に何回かあった。
その都度、
「どうも思いません。いろんな人がいるんだから、
ゲイの人たちがいるからと言って、変ではない。
ゲイはフツーです」
と言うと、たいていは「ええ~~っ!!!」
と叫ばれる。
その後は
「でもヘンです」「気持ち悪いです」
というような感想が続く。
日本の小学生もよくこんなことを言っていたなあ。
それが高校ぐらいになると、
「ゲイの人にも人権がある」
「人生はその人が選ぶもの。他人がとやかく言うべきではない」
といった意見が確実に育ってくる。
確かに
日本社会でも「主流」「少数」はかなりはっきりしているが、
中国では更に顕著な傾向があるとこの3年間感じてきた。
「主流」「少数」を超えて、「正統」「異端」とまでのムードを醸す時も。
それは政治に関してのみならず、
社会全般の事象について言えると思う。

そんなこんなで、一度は取り上げてみたかった
論争的テーマだった。
普段はおっとりのんびりの2年生クラスが
かなり生き生きとした表情で
アーギュメントに聞き入っていた。
中国伝統文化、親孝行、親不孝、病気、正常、差別、いじめ、
伝統社会と民主社会、養子など、新しい単語がいっぱい出てきて、
(やっぱ、2年の会話クラスはこれくらいの語彙を使いたいもんだ)
と、内心ホクホクして聞いた。
途中、議論が中国語になったりして(^O^)
言いたくて堪らない気持ちが伝わってきた。
最後の頃、たんしょうさんが
「中国では、ゲイは昔、病気と思われていました。
今は、ゲイは病気じゃなくて、普通です。病気だというのは差別だと思います。
それに、今の中国は男の独身者が多いので、ゲイの人が増えるのは
とてもいいことです。」
と、まとめ?のようなことを言ってお開きになったが、
予想外だったのは、
このクラスでは「ゲイの結婚を認めるべきだ」への賛成者が
反対者を数の上で凌駕していたことだ。
数年前ならどうだったろう。
中国社会は激動している。
またしても、それを感じたひと時だった。



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「兵士の休憩道具に女性の身体を使う思考を憎む」2013年5月15日(水) No.650

2013-05-15 22:45:04 | 日記
今一度、自分を鞭打って橋下発言を取り上げる。
昨日は私の橋本への不快感をただ「けだもの」と「糞野郎」ぐらいしか
言っていなかったので、何か心残りなのである。
橋本発言をもう一度、端折らずに書くと以下の通りだ。

「銃弾が雨、嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて、
そこを走っていくときに、
猛者集団と言いますか、
精神的にも高ぶっているようなそういう集団を、
やっぱりどこかで、
まぁ休息じゃないけれども、
そういうことをさせてあげようと思ったら、
慰安婦制度というものが必要なのは、
これは誰だってわかるわけです」(
13日フジTV)

①橋本は、銃弾の中を命かけて戦う猛者集団の存在を前提にしている。
これは、戦争肯定に一歩積極的に近づいたものとみなすことができる。
戦闘というハードな仕事には休憩が必要ですよね~。
と、さりげなく、戦争をサラリーマンの仕事と同列に扱っている橋本思考。
橋下さん、あなただけ、一人でやってください。
戦争を肯定するなら。


②「まあ、休憩じゃないけれども、そういうことをさせてあげようと・・・」
このずるい表現法は、「休憩じゃない」と言いつつ、「そういうこと」とは、
「「休憩」を指している。
つまり、猛者集団に休憩をさせてあげようとしたら、
慰安婦制度が必要だ、と言っている。
慰安婦制度というのは、曖昧な表現である。
はっきり言えば、
「兵士がセックスをする道具として女性を使用する制度」
である。
「今日は5人も殺しちゃって、精神が高ぶっちゃったから、
ちょっと女とセックスして気持ちを休めようぜ」
というノリの発言である。
戦争ということを度外視して考えても
これは女性を人間としてみていない『世界は男で成り立っている』思い込み思考で
石原慎太郎の
「子供産まない女性は生きている価値がない」と双璧をなすレベルの偏狭さだ。
「ちょっと」の後に
「カラオケして」「シャワーを浴びて」「アニメを見て」・・・
など、神経を休めるためのいろいろな方法を考えてみよう。
「女とセックスして」というのは、
カラオケセットとかシャワーの風呂道具とか、DVDとかと
同列に「女」が並べられているのである。
これに腹の立たない女性がどこの世界にいるだろう。
「女」はカラオケと風呂道具とDVDと同じ括りにできると、
橋本の汚物野郎は、なんの迷いもなくスラスラと語るのである。
戦時中、道具として、意志を殺され、暴力で強制されて
並ばされ、陵辱された女性達。
それが慰安婦だったのだ。
それをまた、周囲の報道陣も誰も、ボ~としていて、
卵も靴も橋本の顔に向かって飛ばないのである。

昨日、私は言いそうになってグッと飲み込んだ言葉に
「おまいら、自分でやっとけ!」
と言うのがある。
事ほど左様に、橋本とレベル合わせた思考をすると
こちらも、とんでもなく下品になってしまうのである。
だから、関わりたくない。
橋本汚物野郎とは金輪際。
ああ、大阪に帰ったら汚物の匂いがするのだろうか。
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「橋下発言への各人コメント」  2013年5月14日(火)  No.649

2013-05-14 21:05:42 | 日記
さっき、yahoo経由フジTVのニュースで橋下が
「(戦時下にあって)、気が高ぶっている猛者集団を、
まぁ休息じゃないけれども、そういうことをさせてあげようと思ったら、
慰安婦制度というものが必要なのは、これは誰だってわかるわけです」
と多くのマイクを前にしゃべっているのを目で見、耳で聞いた。
また、橋下は14日、ツイッターで
「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは、厳然たる事実」
とつぶやいたとのこと。

ここでしゃべっているのは曲がりなりにも大阪市の長である。
サカリのついた犬や獣(けだもの)ではないように見えるのだが・・・。

こういうことを公衆の面前で市長が口にすることが、
許されているのか、今の日本は。
味噌も糞も一緒くたになって分からないのか、今の日本人は。
味噌は味噌の香りがする。
糞は糞でしかないのがなぜ区別できないのか。
こんな糞野郎の臭気放つ下品の極地の言語を
ほとんどなんの批判もなく、ただ垂れ流すテレビ。
いやはや、メディアってやつもどうしようもない悪党である。

いろんな政治家のコメントもまたスゴイ。
自民党のイシバ幹事長=改憲戦争オタクは
「「(党のトップは)よく配慮してやっていかなければ、
これは国益を損なうことになるのではないか」
と、自分がどう思うのかという考えを抜かして、
「発言」は国益を損なうと言う。
イシバ発言も含め、国の品位と尊敬を失いまくっている日本だが、
これはトドメ発言だ。
小泉進次郎青年局長はアホ丸出し。
「(専門家など)いろんな方と議論をして、
判断していただく問題というのはありますから。
これはもう、そちらの手に委ねた方がいいんじゃないですか」
タニガキ法務相は
「今の時点で、必要性を強調するということをする必要があるのかどうか、
私自身も大変疑問に思います」
タニガキさん、別のいつなら「必要性を強調」してもO.K.なわけ?

この男はどうしようもないケダモノだと、
女性たちは怒りで真っ青になるかと思えば、
稲田朋美行革担当相は
「慰安婦制度っていうのは、
大変な、女性の人権に対する侵害だと思っています」と述べた。
文字で見たら、ちゃんと言っているように見えるけど、
画面を見たら、小さい義務的声で感情もサッパリこもっていないし、
(この人、これ言うのが嫌なんかい?)と勘ぐるほどだ。
社民党の福島瑞穂さん、声は稲田さんより大きい。
しかし、悲しいかな、彼女の声も顔もいつも表情に乏しく、
怒っておるんだか、笑っているんだか、判断できない。
「当事者であった人たちを傷つけると同時に、
全ての女性の人権を侵害する発言で、断固許せない」
と言うけど、「断固許せない」が、
(もう、日常的に何百回も言い続けて、感情込める暇がない)
といった風情なのが悲しい。
もうちょっと、劇団かどっかに通って表現の仕方を練習したらどうか。

フジTVの画面に登場した人たちに限ってのことだが、
どの政治家たちにも、
真剣な怒りというものが全く感じられない。
男の政治家たちは皆、何が正しいかについて言及を明らかに避けている。
(あ、石原慎太郎を除いてね)
み~んな、麻痺している。

ただ、次の沖縄の若い女性の発言のみに、
悲しみと腹立ちがヒシヒシと感じられたのは私だけだろうか。
「恐怖心を持っているこっちの県民の人たちに対して、
ものすごく失礼というか、傷つける言葉だと思います」
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「博堅先生の頭の中」 2013年5月13日(月)  No.648

2013-05-13 19:49:02 | 中国事情
「ボブ・ディランの頭の中」ならぬ博堅先生の頭の中には
日本の歌が一杯詰まっている。
昨日書いた「海ゆかば」のみならず、
「春高楼の花の宴~♪」
「菜の花畑に~入日うすれ~♪」
「ゆうや~けこやけ~の赤とんぼ~♪」
「見よ、東海の空あけて~♪」
「春のうららの隅田川~♪」
「い~つまでも 絶えることなく~、友達でいよう♪」
「知床の~岬に~はまなすの咲くころ~♪」
「目を閉じて何も見えず~♪」
「別れることはつらい~け~ど~♪」
・・・・・・尽きることなく歌がどんどん溢れ出てくる。

その中で、私が全く知らない歌もある。
たとえばこれだ。
“アムール川を北に見て
 大興安(だいこうあん)の東に
 沃野万里(よくやばんり)の大満州
 渤海(ぼっかい)の夢 今いずこ
咲きては散りし二千年
 若き血潮と夕映に
 誓って立てん 大楽土♪”


これは、インターネットでざっくり調べた限り、出てこなかった。
1933年生まれの博堅先生が、福島県で小学生だったころ、
巷で頻繁に歌われていたという。
まさに、中国侵略を企図した日本帝国が「満州帝国」をでっち上げ、
何も分からない国民を満州「開拓」に行かせるためのプロパガンダ曲だ。
「沃野万里」などと大うそを吹聴して、冒険心に満ちた若者を騙し、
馬も農具も全部プレゼントするからと言って、貧しい庶民を駆り立てた
満州「開拓」。
移住したその満州が、
暮らす土地としては非常に過酷な大地だったことは、
帰国者の西井澄さんが作文に書いている。

それにしても、
博堅先生がこの歌を鮮明に覚えていらっしゃることは、すごい。
12歳で中国に戻り、その後55歳頃まで日本語とは無縁の生活をされていたと聞く。

博堅先生に
「なぜ南昌に日本語コーナーを設立されたのですか」
と尋ねたとき、
「う~ん、中日友好のためね」「博愛主義ね」
と、ほとんど無意味に聞こえる返事しか返って来なかったが、
洪水のように溢れ出るこれらの歌が、
何か答えにつながるのかもしれない。

博堅先生は
「‘今いずこ’ってあれでしょ、荒城の月もそうでしょ」
と、時々、黒柳徹子みたいなことをおっしゃるのである。

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「『海ゆかば』を中国で聞くとは・・・」 2013年5月12日(日)  No.647

2013-05-12 19:26:02 | 日記
海行(うみゆ)かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行(やまゆ)かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
かへりみはせじ
(長閑(のど)には死なじ)


40年も前、まだ私が大学生だった頃、
友人が歌っていたこの歌を初めて聞いた。
(いい歌だ)と思って聞くと、戦争の時の歌だという。
その人は「この歌は反戦歌じゃないかと思う」と言っていたが、
その歌詞の現代語訳は

海を行けば、水に漬かった屍となり、
山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。
後ろを振り返ることはしない」
(wikipedia)
ということで、100%軍歌の内容に思える。

だが、この物悲しく、格調高いメロディは
戦争時、たたかいの気分を高揚させただろうか。
大本営がラジオで玉砕を発表するとき、必ずこの曲をかけたという。
敗戦まで、多くの国民が愛唱したそうだが、
1952年生まれの私は
父母がこの歌を歌ったのを聞いたことは一度もなかった。
北海道の地の果てに生きる人々は、戦時中この歌を歌っていたのだろうか。
この歌だけでなく、軍歌など歌って行進していたのだろうか。
あの地の果てで・・・。
いつか北海道に帰った時に聞いてみたい。

この歌は軍歌的メロディでは全くない。
加えて歌詞も、もともと大伴家持が作ったもので
侵略戦争時の景気づけのために即製されたものではない。
本当に古のとき、
天皇が「ああ、もうちょっと黄金があったらいいのになあ」
と言ったので、陸奥国に金が出ると臣下が奏上した。
そうすると天皇はとても喜んで、天下の庶民に大盤振る舞いされた。
こんな気前のいい素晴らしい天皇様のために大伴氏一族は仕えてきたのだ。
「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、
大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」
と誓いながら。
と現代語訳をさらに噛みくだくと、アホみたいで趣もなにもサッパリなくなってしまった。

それでね、言いたいのは
この歌をここ、中国南昌で歌っている中国人がいらっしゃるということなのだ。
その方は、1933年、福島市で生まれ、
12歳で中国に戻るまで福島市で暮らしていた博堅さん。
この歌を歌いながら、
町の中を亡くなった兵隊の遺骨を持ってぞろぞろ歩く人々の姿を
何回も直接見、そして、自然にこの歌も覚えたという。
80歳の博堅さんは、バリバリの共産主義者である(とご本人がおっしゃっている)。
その方が、しみじみと「海ゆかば」を歌う。
う~ん。深いなあ。
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「大阪『帰国者の友』からの便り」 2013年5月11日(土) No.646

2013-05-11 19:41:44 | 中国帰国者
大阪市淀川区十三にあるロマネハウスで
4月29日に開かれた「帰国者の友」交流会。

3月前半の2週間、江西財経大学に交流生として短期留学した
石田キコさんの「南昌滞在報告」もされたとのことで、
どんな雰囲気だっただろうと気になっていた。

今日、キコさんのお母さんの石田華恵さん(帰国者二世)から
会の様子を知らせるメールが届いたので、ここで早速ご紹介。

横山三郎さんという帰国者一世の方が出演した関西テレビ制作の
ドキュメンタリーもみんなで観たとのこと。
関西テレビでは、何年も前から帰国者問題をテーマにした番組を作り続けている。
2009年4月放送の「ザ・ドキュメント父の国 母の国―ある残留孤児の66年」は
何かの賞を得た。強烈な印象が残っている。
横山さんの番組をネットで探したが、残念ながら見られなかった。
誰か知っていたら教えてね~。

――ここから石田華恵さんのメール文――

先生、今晩は。
GWが終わりました。
やっと落ち着きました。

4月29日に横山さんのDVDを見て、みんな感動して涙を流していました。
私の父親もこのような経歴があったので、私は涙が止まらなかったです。
キコはノートパソコンで写真を見せながら、40分ぐらい報告をしました。
西井澄さん(帰国者一世:註ブルーはーと)が「帰国者たちはたくさん苦労をしましたが、
今日、キコと原田さんの息子さんのような若者たちが参加してくれて、嬉しい」
と言っていました。
古賀さんの息子さんも大学時代に中国に2週間の留学したが、
こんなに素晴らしい報告はなかったと言っていました。
またキコは江青英さんの作文も紹介しました。
私は「希望もある」のところにすごく心を打たれました。
日中関係が悪化しつつあっても、
日中両国の若者たちの友好交流は止まることがないと思っています。
だから、日中関係の未来にはまだ希望があると思います。

今回、キコがみなさんに報告できたのも
先生と帰国者の友のみなさんのお陰です。
帰国者の友のみなさん、
お忙しい中、ロマネハウスに集まって頂きありがとうございました。

また8月に先生が帰ってくるのを楽しみにしております。
(*^◯^*)
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「ONE-PIECE&NARUTOが発揮する偉大な力」 2013年5月10日(金) No.645

2013-05-10 20:43:19 | 中国事情
江西財大で日本語を学ぶ学生は、実はたくさんいる。
学生の人数が少ない日本語学科は、予算もチョビットしか割り当てがなく、
財大の片隅でひっそりと暮らしている。
日本語を学びたい子が少ないのだから致し方ない・・・、と思いきや、
今日、意外な事実を知った。

今夕の日本語コーナーに、財大金融学院の2年生がひとり参加した。
かたことの日本語を話す彼に、
どこで日本語を学んだのかを尋ねると、
財大蛟橋(ジャオチャオ)キャンパスに有料で教えるところがあるという。
彼は1年間3500元を払って、週末土日と夏休みに勉強しているのだそうだ。
そこは30人くらいが通っているとのこと。
実は、そういう日本語教室は財大には他にもいくつかあるのである。

こんなに中日関係が悪化しているのにもかかわらず、
なぜ?と思うが、
その理由としてほとんどの子が口にするのが、
「ワンピース」「ナルト」、そして「スラムダンク」など日本のアニメだ。
子どものころ「テニスの王子様」「ドラえもん」「ウルトラマン」などに親しみ、
それ以来ずっと日本のアニメを半端じゃなく熱心に見続けている若者が
たいへん多いことが3年間の滞在でよ~く分かった。
宮崎アニメのファンも多い。
この間から添削している作文コンクール応募作でも
「日本からもらった感動」としてアニメに言及しているものが数多くある。

今、1年の会話クラスにずっと英語学科の学生が聴講生として参加しているが、
彼もまたアニメファンで、「今一番何が欲しいですか」の質問に
「少年ジャンプ」と答えた。筋金入りだ

多くの学生は
「日本のアニメには夢がある。夢を追いかけてもいいんだと思える。」
と語り
「アニメの主人公が友を思うその思い遣りの心」を挙げ、
「絶対あきらめない精神はみんなが学ぶべきだ」と褒める。
アニメの主人公の「絶対あきらめない精神」と現実の日本人を重ねる子までいる。
「中国のアニメは?」と尋ねると
「道徳的過ぎて、学校の先生に言われているようなことを
主人公が言うのでちょっと…」
と言う子もいて、そうなのかと興味深く聞いた。



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「今年初めての桃」 2013年5月9日(木) No.644

2013-05-09 20:13:08 | 中国事情
今日仕事の後、立ち寄った財購(スーパー)で桃が売られていた♡♡

私はやや硬めの中国の桃が大好きなので、
価格も確かめずに4つ袋に入れ、重さを量ってもらったら、
ナント値段が29.3元
たけ~~!(=高い~!)
よっぽど元のところに返そうかと思ったが、
大きく、ずっしりと袋の中で収まっている桃さんたちの存在感に引きずられ、
いくら庶民とは言え、私だってときには贅沢しようと、
決意して買ってきたのだ。
これからドンドン安くなってくることだろう。
初物の味は、やっぱり旬の味とは言えず、
ちょっと硬すぎるのや、
ちょっと水っぽいのやらだった。
あと1ヶ月後には、
美味しくて安い桃がふんだんに食べられるに違いない。
待ち遠しいな(@ ̄ρ ̄@)

ついでに晩御飯も写真に撮った。
具だくさんのワンタンスープである。
人参、ブロッコリー、椎茸、卵、青ネギ、そして冷凍ワンタン。
出汁は日本から持ってきたシマヤだしの素で、15分の即席料理だ。
今日のはあんまり美味しいとは言えないな~。
ニンニク入れなかったからかな~。
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「時にはリスト&ショパン」 2013年5月8日(水) No.643

2013-05-08 23:10:06 | 日記
3月からなんか公私とも突然忙しくなった。
「事件に巻き込まれた的忙しさ」と説明しているが、
本当にそんな感じ。
コンクール応募作文の添削も4月から1ヶ月続いている。
これは忙しくても苦にならない。
2年、3年の学生たちの力作を読めるのは、私の楽しみである。
たまに、どこかから取ってきて、貼りつけたりしたのや、
パソコンの翻訳機能を使って日本語訳などして、
よけい訳がわからなくなっているのも見かけるが、
それは例外的だ。
多くの子たちは下手でも自分で作文と格闘している。
三種類も書いた偉い学生もいる。
作文を書くことで、日本語能力もアップするが、
何よりも、思考力が深まる。

ごく一部でも作品を紹介したいと思うのだが、
曲がりなりにもコンクールの応募作なので、
今は公開できない。
秋以降のお楽しみにね~~。

ま、そういうわけで疲れが溜まって風邪ひいた。
今日は夕方2時間ほどパソコンから離れ、
居間にある木の固いベンチみたいなのに横たわって
「ラ・カンパネルラ」(フジコ・ヘミングpiano)を聞いた。
何が好きって、私は音楽は何でもお構いなしに好きだ。
「ラ・カンパネルラ」は誰が弾いてもいいですね。
曲がいいと、弾く人の力が内部から引き出されてくると思う。
ショパンの曲は私の友達。
最近よく、
「あなたはこんな異国に一人で来て、寂しいはずだ。絶対寂しいだろう」
と「はい、寂しいです」という答えを要求されるが、
私は正直、ひとっつも寂しくない。
音楽がワタシの連れ合いですから~(^O^)
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「小出裕章さん講演『戦争と核=原子力』」2013年5月7日(火) No.642

2013-05-07 20:55:30 | その他情報
小出裕章さんは、原子力工学とかいう私が全く暗い分野の研究者である。
しかし、彼の講演は非常によく分かる。
「まず、科学ありき」ではなく、
「まず、人間の生活が第一」の姿勢があるので、
人間と科学の関係がすっきり見えてくるのだ。
ああ、科学はこういう人こそ担い手であるべきなのだ。

昨日は Ⅰ.歴史に学ぶ だった。
今日は Ⅱ.核の本質 について。
(講演はまだまだ続くが転載はここまでにする。
続きを読みたい方は最下段のHPを見てくださいね。)[太字はブルーはーと]


Ⅱ.核の本質

原爆の強烈な破壊力
1945年3月10日、東京は300機を超えるB29による空襲を受け、
下町を中心に市街地の40%が灰燼に帰し、
10万人の人々が焼き殺されました。
その時に雨あられと投下された焼夷弾の量は1665トンでした
(平凡社、世界大百科事典)。
その5か月後、広島、長崎に原爆が投下されました。
広島原爆の爆発力は火薬に換算して16キロトン、
すなわち1万6000トンで、長崎原爆のそれは21キロトン、2万1000トンでした。
そして、それぞれ10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡し、
幸か不幸か生き延びた人々はヒバクシャとなって、その後の人生を奪われました。
ところが、原爆が示した強大な爆発力への恐れは、
次に、未来へのエネルギー源としての期待に転化しました

化石燃料はいずれ枯渇するので、
未来のエネルギー源は原子力だと言われたのでした。
日本では、「核」と「原子力」は違うものであるかの様に宣伝され、
「反核」はいいが、「反原子力」は間違いであると考える人が多数います


連鎖反応
今、ここに灯油1kg と火薬1kg があったとしましょう。
それぞれに火を点けたとして、
どちらがどれだけ多くのエネルギーを出すでしょう?
正解は、灯油1kg が出すエネルギーが約1万キロカロリー、
火薬1kg が出すエネルギーは約1000 キロカロリーです。
火薬といえば、莫大なエネルギーを出すように思われがちですが、
実際には火薬は灯油の10 分の1のエネルギーしか出しません。
灯油を含め普通、物が燃えるということは、
その物質が酸素と結びつく反応を意味します。
したがって、酸素がなければ物は燃えないし、
供給できる酸素の量に見合った形でしか反応は進みません。
しかし、火薬は爆発現象を引き起こさせたいのであり、
酸素の供給に見合ったスピードでしか燃えないというのでは話になりません。
そこで、酸素がなくても燃えるように工夫を重ね、
ようやくにして得られたのが火薬です。
しかし、そのために、反応で得られるエネルギーは
大幅に犠牲にされてしまいました。
1938 年暮、
ナチス・ドイツ政権下で化学者オットー・ハーンが
ウランの核分裂現象を発見しました。
この現象から莫大なエネルギーが放出されることが分かりましたし、
重要なことがもう一つありました。
すなわち、ウランは中性子と結合して燃える、
つまり核分裂という現象を起こしますが、この反応の場合、
1個の中性子を吸収して核分裂を起こすと、
2個あるいは3個の中性子が飛び出してくることです。
すなわち、初めの中性子さえ供給すれば、
後は反応が自立的に鼠算式に拡大していくのでした。
まさに、爆発現象を引き起こすための条件で、
核分裂反応はその反応で放出される莫大なエネルギーを一切犠牲にせずに
爆発現象を起こします。

この時代は第2次世界戦争前夜であり、
この物理現象は一気に原爆へと開花しました。
そのことを不幸なことであったと言う人々がいますが、
もともと核分裂反応はその本性からして爆弾向けなのでした

唯一の被爆国
日本はよく「唯一の被爆国」と言われます。
たしかに新しく米国大統領になったオバマは2009 年5月にプラハで演説し、
米国が「唯一核兵器を使用した国」であると述べました。
もちろん紛れも無く、広島・長崎は被爆地で、日本は被爆国です。
しかし、米国は自国内のネバダ核実験場でたくさんの核実験を繰り返し、
周辺の住民が被曝しました。
それだけでは足りず、ビキニをはじめとするマーシャル諸島でも
たくさんの核実験を繰り返しました。
そのため、日本の第5福竜丸をはじめ、たくさんの漁船が被曝しましたし、
それ以前にマーシャル諸島の住民が被曝し、
挙句の果てに島を追われました。
同じことは旧ソ連セミパラチンスクでも起こりましたし、
フランスが核実験場にしたタヒチでも起こりました。
英国はオーストラリアを核実験場に使いましたが、
そこでも先住民が被曝しました。
中国は新疆ウィグル自治区を核実験場としました。

どこでも常に弱い立場の住民が被曝させられてきました。
その上、核兵器を作るためにはウラン鉱山でウランを掘らなければなりませんし、
長崎型の原爆を作るためには原子炉を動かし、
そこでできたプルトニウムを再処理して取り出す必要もありました、
それらの工程はすべて、厖大な環境汚染を引き起こし、
たくさんの被曝者を生み出してきました。
核兵器を廃絶するためには世界中の声なき声を集める必要があります。
そのためには、「唯一の被爆国」という考えを捨て、
世界中の被曝者たちと手を繋ぐ必要があると私は思います。


しかし、たくさんの人々が生活していた街の頭上に原爆を落とされた国の人間として、
私たちにはやはり特別な役割があるでしょう。

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html
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「小出裕章さんという日本人」 2013年5月6日(月)No.641

2013-05-06 20:50:16 | 原発事故
頭のネジが飛んじゃったような政治家たちが
異常に目につく今日この頃の日本だが、
どっこい、日本にゃ、そんなオカシな人しかいないわけではありません。
と、胸を張って自慢したくなる日本人の一人が、小出裕章さんだ。
(自分のことでもないのに、
同じ日本人だというだけで「自慢」するのはホントは間違っているけど)
ここ、中国では彼の話をYOU TUBEなどで聞くことができない。
どこまでも、穏やかな口調で語られる原子力の話は深い説得力を持ち、
ひたひたと聴く者の胸に染み込んでくる。
そんな小出さんの声が聴きたくなったが、夏休みまで我慢して、
彼の講演の一部をご紹介したい。
彼は、2011年3月11日以降、講演を始めたのではない。
ずっとずっと以前から、原子力発電所が如何に人間に不利益をもたらすものかを、
現場の研究者の立場から人々に訴え続けてきた人だ。
1949年生まれの彼は教授のポストとは無縁の
京都大学原子炉熊取実験所「助教」という地位にいる。
1990年代、「熊取六人衆」という呼び名を聞いていたが、
彼はその6人の一人である。

今日、明日に分けて小出さんの「戦争と核=原子力」という講演を掲載させていただく。

日本基督教団・大阪教区・核問題特別委員会主催勉強会 2009 年11 月29 日(日)
「戦争と核=原子力」
京都大学・原子炉実験所 小出 裕章
Ⅰ.歴史に学ぶ
戦争と庶民の歴史

20 世紀は戦争の世紀といわれます。
第1 次、第2次世界戦争がおき、世界中が戦争に巻き込まれました。
ただ、人類の歴史は遠い過去からずっと戦争の歴史だったと
言えそうですし、それにはキリスト教をはじめ、
宗教が深くかかわってきました。
キリスト教は2000 年に亘ってユダヤ教を差別し、
ユダヤ人を迫害してきました。
その挙句にナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦も起こりました。
その悲惨な歴史を見つめ、戦後ドイツの大統領になったワイツゼッカーは1985 年、
「荒野の40 年」という演説を行いました。
その中で彼は以下のように言っています。


問題は過去を克服することではありません。
さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけには参りません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。


日本もまた明治維新以降、富国強兵の道を歩み、
日清・日露の両戦争、第1次、第2次の世界戦争に参戦し、
アジアを中心に多数の人々を殺戮しましたし、
日本の庶民もまた多数が犠牲となりました。
その歴史に巻き込まれ、
「君やふるさとのためには死ねるが、天皇のためには死にたくない」
と言った許婚を「天皇のために死んで来い」
と言って戦地に送り出した随筆家の岡部伊都子さんは書いています。


私ははっきり、戦争を当然とし、死を当然とし、
兄や愛しい人びとの死地に戦うのを当然と考えていた。
こわいという、いやと言う、素直な皮膚感覚を失っていた。
私は、敗戦によるショックをうけるまで、何を疑うこともなかった。
「信従の精神が大切です」と女学校で教えられるままに、
まさに信従してはならないことに信従していたのだ。
私は、そのために今度は、目をさまして素直に発言しはじめた自分の皮膚感覚を、
愚直なまでに守ろうとする。
時代に狎れることに、私はもうこりごり。


その岡部さんの詩に「売ったらあかん」があります。

売ったらあかん
友達を売ったらあかん
子どもらを売ったらあかん
まごころを売ったらあかん
本心を売ったらあかん
情愛を売ったらあかん
信仰を 売ったらあかん
教育を 売ったらあかん
学問を売ったらあかん
秘密を売ったらあかん
こころざしを売ったらあかん
大自然を 売ったらあかん
いのちを売ったらあかん
自分を売ったらあかん
自分を売ったらあかん


http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html
  [以下明日に続く]
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「日本国憲法が本当にヽ(`~´)ノ アブナイ!!」 2013年5月5日(日)No.640

2013-05-05 19:47:41 | 日記
一応大阪市民だ。日本国民だ。
税金は滞りなく払っている。義務は果たしている。
ああ、それなのに、
どうして国や大阪市に
こんなにまでひどい嫌がらせを受けなければならないのだろう。
なぜ、落ち着いた環境で国民が暮らす自由を奪うのか。


橋下市長率いる維新の会は、
市民の陳情書を「見る価値がないもの」としてゴミ箱に捨て、
しかもその捨てた状態を写真に撮って公開したりする政治家を抱える組織である。
橋下市長自身も、
市職員に刺青アンケート回答を強制したり、
その後、労働委員会から「市長にそんな権利はない」と指摘され、
謝るふりをしたが、さらに批判されると逆ギレしてみたり、
大阪市の伝統文化を儲けがないからと、カットしたり、と
次から次へと大阪を引っ掻き回している。
維新の会に腹が立つのではない。
こんな者たちに投票して行政を任せた大阪市民や府民に怒りが沸くのだ。
自分で自分の首を絞めているのにも関わらず、
それに気がつかないとは・・・。

それにも増して、
昨年末の選挙で、安倍内閣が誕生するや、
差し迫った巨大な暗雲が天空を覆い尽くしている感がある。

憲法改正案だ。
第96条(憲法改定手続きを定めた条項)を改定しようとしている。
現行憲法では「衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成」
となっているのを、
「衆参両院の総議員の過半数の賛成」
に緩和する方向の改定が提起されようとしている。

憲法は国民が国家に対して「守りなさい」というものであり、
国会議員が安易に変えたりできないように、工夫されているのに、
それを勝手に政治家が作り替えたり、改訂できるようにすること自体、
憲法違反である。

今度の参院選の結果で、日本は大きく踏み外して行く。
あの目がドロンとして精気のない、
岸信介の孫であることだけがステイタスのアベシによって、
日本が戦争できる国にされるのかと思うと、
日本人とは・・・、と思わざるを得ない。
個人個人が一人分、きちんと思考していないから
こういうことになるのだろう。
関東大震災の時に、
メディアに煽られて、煽られて、朝鮮人虐殺までやってしまった日本人たち、
それから、煽られて、煽られて、侵略戦争に賛成してしまった日本人たち。
歴史から何にも学んでいないんだな。

今日は日本では5月5日のこどもの日。
昔のこの日、母がヨモギ餅を作ってくれた。
その母も、私が「なんで日本は戦争なんかしたのさ?」と聞くと、
「仕方ないさ。みんながするっていうから。
自分一人だけ反対したって誰も聞いてくれないさ。」
と答えたものだ。

日本人、本当にまた、戦争がしたいのか??
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「中国的集合時刻」 2013年5月4日(土) No.639

2013-05-04 20:57:15 | 日本中国比較
ここ3年近く信じてきたことを修正しなければならない。
何かの集まりがあるとき、
この辺り(南昌)では、すこし遅めに始めると、考えてきた。
とりわけ江西財大には「財大時間」というものが定着していて、
授業でもないかぎり、30分ぐらいは平気で遅れる人が多いのである。
金曜夕方5時半からの日本語コーナーでも、
5時半きっかりに行ったら、ホンの数人が律儀に座っているだけ。
6時頃までに何人もがゾロゾロと入室してくる。

2年ほど前、日本の立命館大学の先生が留学説明に来るので、
9時に教室で待つように言われ、学生とともに待っていたら、
30分過ぎても1時間過ぎてもまだ来ない。
1時間ぐらい経ったとき、誰か大学職員が説明した言葉が、
「今、まだ学部長(だか)と雑談しているからもう少し待ちなさい」
というものだった。
このとき思わず日本語で(念のため英語でも)
「信じらんな~~い!!!(Unbelievable!)」
と職員さん向けに叫ぶと、彼は無表情だったが、
周囲の学生たちから、弱々しい共感の笑いが起こった。

しかし、こんなことはただの一面であった。
この間、近所にお呼ばれして出かけたケースと、
4日前、私の部屋に招待したときは、
2度とも、約束の時刻より1時間早い行動だった。
私は「12時に来てください」と言っていたが、
第一陣はきっちり11時に到着した。
アシスタントで来てくれていた楼さんの解説によると、
「パーティーなどでは約束の時刻より早めに行くのが中国の礼儀です」
と聞き、ガーン!
日本では、約束の時刻が12時なら、12時少し過ぎるくらいがちょうどいい。
確か、アメリカのシアトルも10分前後遅かったと記憶している。
きっちりの時刻だと、まだ準備が整っていないかもしれないので、
主催者側のことを考えて、
やや遅めに着くようにするのだと解釈している。
中国は面白い。
相手のことを慮るのではなく、
自分がどれほどこのパーティーを楽しみにしているかを表現するのが
礼儀なのである(ちょっとキュートね(^O^))。

どちらでも、慣れたら予想がつくからいいのだろうが・・・。
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「校内日本語コーナー‘おバカな体験’」2013年5月3日(金) No.638

2013-05-03 21:33:19 | 中国事情
“おバカな体験(行為)”というのが、今日の校内日語角のテーマ。
学生たちの話を全部聞きたかったが、1グループの話を聞き出すと、
ついそこにのめり込んで、他のグループの話が聞けない。

今日私がお邪魔したのは、
3年の徐慧けつさん、奉さん、2年の楊文雅さん、李さん、
そして1年の優さんのグループだった。
徐さんは、子ども時代、本物のお転婆娘で、且つ、
親に叱られても謝らない頑固者だったという。
それってまるっきり私じゃないか。
国と世代を超えて、一気にトモダチ状態だ。
その徐さんが、寮生活をしていた高校時代に、
家に帰りたい一心で、高校の裏門を乗り越えて
家に帰ったという話をすれば、
私は私で、京都に住んでいた大学生時代、
近所の京都大学の塀によじ登って、
塀の内側の柿をとって食べたが渋柿だったという
渋い経験を語った。

奉さんの話もスゴイ。
それは高校生の夏休み最後の日、
明日は学校の寮に戻らなければならない日だった。
家族で稲刈りの仕事をしたあと、
夜10時頃、入浴(というか身体を洗うことだと思う)したくてたまらなくなり、
同室のお姉さんに出て行ってくれるように言ったところ、
お姉さんは疲れているので、断った。
奉さんも虫の居所が悪くて、たちまち大喧嘩になり、
別室で寝ていた父母も起きてきて、仲裁しようとしたが、
奉さんが言う事を聞かないので、お母さんが叱った。
奉さんは、日記帳とペンを持って外に飛び出し、
外で日記を書いていた。
夜中の12時になっても家の中から誰も迎えに来てくれない。
奉さんは(こうなったら死んでやる)と思ったが、
高校の先生の死を諌める言葉を思い出し、死ぬのを止めた。
お姉さんはその時、大学受験に失敗して落ち込んでいた時だった。
自分のわがままで、お姉さんと仲違いしたまま、
お姉さんが出稼ぎに行く日まで口を聞かなかった。
・・・・・・・・・。
ここまで言って、奉さんはポロポロ泣いた。
ああ、人間はこのように育っていくものだ。
こんなにスクスク育ってきたこの子たちの未来が
平和で穏やかな光に包まれていることを祈る。
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「日本人も話してみたら普通ですね」 2013年5月2日(木)No.637

2013-05-02 20:05:02 | 日記
パーティーに来てくれたお客の言葉、
「日本人も話してみたら普通ですね。」
について考えている。
この発想は中国人だけの特別なものではない。
日本でも一般的によくある意識だ。
「日本人」を「中国人」「韓国人」「インド人」「アメリカ人」など、
どのよその国に置き換えても通用する。
日本人の多くは、自分をインターナショナルと信じ込んでいるフシがあるが、
実は、このグローバル・ヴィレッジと言われる時代にあっても、
他国の人と身近でずっと付き合う機会を持ってない。
(て言うか、近所の誰とも付き合っていない人も結構いるはず)
身近に外国人が住んでいても、積極的に親しくなることもあまりない。
かろうじて職場や学校などでは親しくなる可能性が増えるといったところか。

在日韓国・朝鮮人は、国籍を言えば、不利益を被ることがあまりに多かったため、
通名を名乗る人も多い。
在日中国人で通名の人は、あまり知らない。
大阪の学校教育は、
「隣国の文化に親しもう」といった教育実践を重ねてきたが、
ここ数年、私が教員を辞めてから教育現場はどうなっているのか、
国際理解教育や共生教育が、
教育活動の片隅に押しやられていると聞いたことがあり、
危惧している。
「愛国」という言葉が近年急にネットのカキコミ等で目立ってきたのも
気持ちが悪い。

国境という膜は、向こう側の人々の存在をぼやかしてしまう。
実際に付き合わないと、向こう側の人たちが「普通であること」が
見えてこない。
最近の日本国内には、国境という膜に覆われているどころか、
「愛国」というダンボール箱に入ってしまい、自ら蓋をして
箱の中で呪詛の言葉を吐き散らかしているような人たちがいる。
「井の中の蛙」ならぬ「ダンボール箱の中のヒキガエル」とでも言おうか。
コメント (2)
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