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英国永住ビザ申請のため




ベルギーから、夫の仕事の都合で英国へ引っ越して早くも5年半が経った。

その節はえらくエモーショナルになっていたのを思い出す。お騒がせいたしました(笑)。


最初の英国ビザは半年間有効のもので、パリで申請した。
2度目のは5年間有効のレジデンス・カードというもので、これら2つはEU出身の家族メンバーに帯同しているがゆえの資格だった。

日本のパスポートを持っていたら、まずイミグレーションでわずらわしい目に会うことはないが、長蛇の列ができているのが常の英国の空港イミグレーションで、ビザのおかげで英国・EUパスポートと同格の扱いをされるのはありがたかった。


来月、このレジデンス・カードが切れる。
これが切れたら、今度は永住ビザを申請しなければならない。


英国永住ビザ申請には80ページ以上の書類に記入の上、数十ポンドの費用がかかる。

80ページ記入は面倒だが、こんな費用で取得できるのか...と思ったものの、夫は今回も専門の弁護士を通して申請するべしと言う。
なぜならば、80ページ以上の書類に不備なく記入ができる可能性はほとんどゼロに近く、何度も書類が送り返されてきては最初から審査のやりなおし...という作業に、ほとんどの人が疲弊するからだそうだ。

しかも!

なんとビザが下りるのに6ヶ月かかるらしい。
弁護士を通しても、優先してもらったり、プッシュしてもらったりはできないらしい(当たり前だが)。


そして大問題。

この6ヶ月間、パスポートがないために英国から出られない。
ベルギーに週末ひょいと帰省することも、パリに日帰りで買い物に行くこともできない...

イースター休暇に予定していた米南部に友達家族を訪問する予定も、6月末に予定していたイベリア半島行きも無理。
夏休みの旅行も、かろうじて9月頭にかけての予定だけは実現するかも...

ああ、わたし、旅行が生きがいのひとつなのに!


そこで英国から出られない6ヶ月間の間、できるだけ多くの友達に遊びに来てもらおうと大キャンペーン実施中。

もし、英国へ来られる方がおられたら、ぜひお声かけてください! 

あなたの旅の話聞かせて...



今日、メイ英首相が、英国への移民数縮小を優先させ、EU単一市場からは完全に抜ける旨発表した。
国民投票から半年以上、あれから英国の移民局は申請で常にいっぱいいっぱいなのだそうだ。
つまり、英国が完全にEUを抜けたら不利益を被る人々が、「今のうちに」と英国ビザや国籍取得に殺到しているということだ。
ベルギー人の夫は、英国人ビジネスマン数人から「ねえ、(英国籍は捨てたいから)養子縁組してくれないかな」と、冗談半分にしても言われたというのと対照的である。もし今後、英国が経済的に米国に擦り寄るならば、トランプ・アレルギーであることが一般的な彼らは、真顔で「縁組して...」と言ってくるかも。
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マシュー・ボーンの「赤い靴」




「赤い靴」といえば、真っ先に思い出すのが子供の頃に親しんだアンデルセンの童話の本だ。

おどろおどろしい挿絵のその話がわたしが大好きだった。


「カーレンはとてもまずしく、くつがかえませんでした。
カーレンはいつもはだしでした。
カーレンをかわいそうにおもった、くつやのおかみさんが、
あかいはぎれでくつをつくってくれました」


赤い布を縫い合わせて作った靴...なんてすてきなのだろう。
やわらかくて、きっとリボン結びで...

その端切れの靴のイメージは、カーレンがのちに靴屋で買うエナメルだかの赤い靴よりもずっと美しく思えた。
なんせそのエナメルの靴は踊りを止めず、くたくたになったカーレンは墓場の首切り役人のところへ行って、足首から下を切り落としてもらうんですぜ。それでも靴は踊りを止めず、足首とともに墓場の奥の方へ踊り去るのである。


しばらくするとTVシリーズ「赤い靴」が始まった。
バレエのスポ根もの。
健気で要領が悪く、もっさりとしていて、しかし才能に溢れた主人公オダギリミホには全くあこがれなかったが、ひたすらトウシューズにあこがれた。

美しい靴というのはフロイト風に言うとあれだが、女性の心を掴んで離さない何かがあるのだろう。ルブタンの赤いソールを見て、ぐっとくる女は多いに違いない。



マシュー・ボーンの新作The Red Shoes「赤い靴」は40年代の映画を下敷きにしている。

ディアギレフ風の芸術プロデューサーに見出され、音楽家と恋愛をし、芸術と恋愛に引き裂かれ、ついに死によって踊りを止める主人公ヴィッキーを描く。

ディアギレフ風の芸術プロデューサー、ヴィッキー、彼女が結婚する音楽家(そして2人はプロデューサーにバレエ団を追い出される)という三角関係は、実在のディアギレフ、ニジンスキー、彼が結婚するバレリーナ(そして2人はディアギレフに追い出される)にそっくりだ。


ヴィッキーの最後は、ニジンスキーというよりも、あまりにもアンナ・カレーニナ的だったので、アンナのオマージュとしてヴィッキーの死を考えてみたがありきたりなことしか思いつきません。

ヴィッキーはなぜ、アンナのように自ら罰を受けるのだろう...愛と芸術に引き裂かれたから? 欲望に忠実な女は社会的に罰せられるのか。

ニジンスキーもそういえば発狂したのだった...


登場人物も舞台装置も音楽もそして赤い靴を象徴に使ったギミックもすべてとてもとても魅力的でとてもよかった。
大人のバレエ。



数日後に、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーで開催中のPicasso Portraits展を見たのだが、ピカソの描いたバレエ・リュスの面々のカリカチュアがあり、にんまりせずにはいられなかったのだった。天才を描いた天才ピカソ。



(写真はthegurdian.comより)
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land of plenty








友達と年末年始の話をしていて思い出したNYのこと。

クリスマス前のNYはある意味、世界で一番夢にあふれた場所に違いない。
あふれる人、光と飾りの洪水、終わりのないクリスマス・ソング、カラフルなお菓子、ハリボテ的な教会、美しい女たち、天文学的数字のジュエリー、もの、もの、もの...


一番驚いたのは、MOMAの前のホテルに宿泊していたのだが、ダイヤモンドのティアラをつけた中国人の女性宿泊客がおられ、印象的な彼女をバアやレストランで何度も見かけたことだ。

女優でもモデルでもなさそうな風貌で、痩せていて、ただすごくいいものをお召しで、おかっぱ頭には常にティアラ...セーターを着ていてもティアラ...


わたしも神戸人ゆえ、どちらかといえば派手なほうだとは思うが、次元が違いますわ。

きっと王侯貴族に匹敵、いやそれを何倍も上回るような、ティアラにふさわしい資産をお持ちなんでしょうな。


ああいう方はきっと「キャンベル・スープ」(MOMAのレストラン前で撮影)くらい即決で買えるのだろう。

うらやましい。

わたしも本物のキャンベル・スープを買って飾ろうかしら。
あたくし「本物」のキャンベル・スープを持ってますのよ、みたいな(泣)。
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james ensor





終了間際のIntrigue, James Ensor by Luc Tuymans展へ駆け込んできた。@ロイヤル・アカデミー。


アンソールはベルギーが誇る近代芸術家だ。

夫がベルギー人で、わたし自身もブルージュに13年住んだこともあり、ほとんど根拠のない親近感がある。

ブルージュのグルーニング美術館からも、親しんだ版画がたくさん来ており、根拠のない親近感、最高潮に達す!


アンソールが生涯過ごした寂寞としたオステンド(ブルージュから車で20分ほどの北海沿いの町)の風景が醸す、あのなんともいえないもどかしさを、彼の作品を介してありありと思い出す。
ここまで「懐かしい」という感情を引き起こす芸術もなかなか他にない。

神戸はわたしの故郷として心の中に常に君臨していて、しかし、ベルギーのあのどん詰まりの、良い意味で普通でうすら寂しい町々の様子は、やたらと「根拠のない」郷愁を誘ってくるのである。

娘が弾く、ラフマニノフの音の絵「かもめと海」が似合う海と町...


アンソールは「仮面」や「骸骨」モチーフで有名だが、わたしも文句無しに大好き。
真実ではなく、真実よりも純粋な仮面。


そして常々、あの仮面は偉大なる先駆者ブリューゲルを引き継いでいるのではないかと思っている。ブリューゲルの「叛逆天使の墜落」のパロディ的な版画もあったのでさらにその感を強くした。

また、アントワープ王立美術館から来ている目玉のひとつ「陰謀」の中心人物は、どうしてもキリスト本人「この人を見よ」に見えるのだがどうだろう。


「仮面」のない絵にも本当にしみじみといいのがたくさんある。
「うっわー素晴らしい!」 と言うよりも、本当に、しみじみ「いい」。


(写真撮影禁止のため、これらの写真は2016年に撮った世紀末美術館でのもの。そういえば同夏LAでは「キリストのブラッセル入城」も見ることができた)
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夏、親友とクレイジーなことをする。








毎年、年末年始の話題は夏の旅行の話に始終する。

屋外での終わりのない食事や、プールの匂い、ストラップレスのドレス、すぐにぬるくなるシャンパンが恋しくてたまらない!



旅行も楽しみだが、この夏は親友が英国へ遊びに来るのでほんとうに待ち遠しい。

今からウキウキと夏を楽しみにしているわたしは、娘に「クレイジーなことをするつもり」と話した。

娘、「クレイジーなことって例えば?」


クレイジーなこと...

あなたにとって、夏休みに友達とするクレイジーなことって何?



......




わたしとしては「ボルドーのワイナリーをシラミ潰しに周る」くらいのニュアンスだったのだが、娘にとってのクレイジーさとは「世界一高いバンジージャンプをする」などという定義だったのがおもしろいと思った。

その人の限界や抑圧をよく現すのではないだろうか、この質問の答え(笑)。

ああ、しまった、それならもっとカッコつけて文学的なことか人道的なことを公言すればよかった。「ソロモンの指輪を探しに行く」とか「無料の私塾を作る」とか...

あなただったら何をしますか?


いずれにせよ、今年も、いや、何歳になっても「昨日まで知らなかったことを知る」ような毎日が送りたいと思う。
世界の広さと深さに驚くような毎日を。




上の写真は2016年のサンフランシスコ。
4半世紀前、この親友とアメリカとカナダを周遊した。
サンフランシスコでは、ジェファソン通りであるものを探したのだがなかなか見つからず(ジェファソン通りは番地が一部飛んでいるのを知らなかったため)朝から晩まで食べるのも忘れて住宅街を行ったり来たり歩き回った。
暗くなってからやっと見つけたそのアドレス、建物の中から人が出て来、なぜか脱兎のように逃げた...
不審者そのもの。
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