一昨日(2月4日)の神戸新聞明石版で柿本神社のロウバイの記事が掲載されていました。
これに触発されて明石市 柿本神社のロウバイの記事を書くことにしました。
柿本神社のロウバイの写真は基本的に2025年1月28日に撮影したものです。
まず、ロウバイについてWikipediaより解説を引用紹介します。
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の
落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。
名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。
本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くから
この名がついた。花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)
などの栽培品種がある。よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。
ロウバイの基本種は、花の中心部は暗紫色で、その周囲が黄色である。
まず、ロウバイについてWikipediaより解説を引用紹介します。
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の
落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。
名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。
本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くから
この名がついた。花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)
などの栽培品種がある。よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。
ロウバイの基本種は、花の中心部は暗紫色で、その周囲が黄色である。
上の2枚の写真は柿本神社拝殿右手のロウバイの遠景
上の写真はロウバイの近景 撮影:2019年1月27日
ロウバイは1月に黄色の花を咲かせる代表的な季節の花で蝋細工で創った様な風合いを
持っています。良い香りがするということですが臭覚の鈍感な私(近くまで鼻を近づけ
なかったのですが)あまり香りを感じることができませんでした。
ここの品種は中国原産のソシンロウバイ。
上の写真はロウバイの近景 撮影:2019年1月27日
ロウバイは1月に黄色の花を咲かせる代表的な季節の花で蝋細工で創った様な風合いを
持っています。良い香りがするということですが臭覚の鈍感な私(近くまで鼻を近づけ
なかったのですが)あまり香りを感じることができませんでした。
ここの品種は中国原産のソシンロウバイ。
次に当日(2025-1-28)撮った柿本神社の写真を紹介します。
上の2枚の写真は柿本神社の拝殿を中心とした境内の近遠景
上の写真は柿本神社の由緒書き
上の写真は明石市指定文化財の説明板
柿本人麻呂を敬仰すると共に歌道の隆盛を願った第6代明石藩主松平信之が寛文4年(1664)
10月に建てた人麻呂の顕彰碑。(上の写真)
10月に建てた人麻呂の顕彰碑。(上の写真)
上の写真は橋本海関(子六)が書いた紀巧碑
明治22年(1889)に書かれたものです。
上の写真は鎮座400年奉賛者芳名碑と柿本人麻呂像
令和2年(2020)に鎮座400年となりました
柿本神社の基本情報
住所:明石市人丸町1−26 TEL:078-911-3930
主祭神:柿本人麻呂朝臣 創建:伝・仁和3年(887)
境内社:五社稲荷社、天神社(菅原道真公)、三宝荒神社(竈神)
元和6年(1620)明石城築城にあたり楊柳寺(後の月照寺)と共に現在地に遷座
887年和歌を好んだ楊柳寺(後の月照寺)の覚証和尚が寺の背後に柿本人麻呂を祀る祠を
建立したのが柿本神社(人丸社)の始まり。
公式サイト:柿本神社 - 明石市
次に柿本神社の古写真などを添付して筆を置きます。
明治期の柿本神社
上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の柿本神社の図です。
戦前の柿本神社の絵葉書
上の写真は柿本人麻呂に所縁の柿本神社(戦前の絵葉書)
柿本人麻呂像
上の写真は柿本人麻呂の画と歌が書かれた絵葉書です。
歌は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」と詠まれています。
古今和歌集の「題しらず、詠み人しらずの歌」ですが
「この歌は、ある人の曰く、柿本人麿が歌なり」という脚注あり
万葉集にも柿本人麻呂が明石について詠んだ歌があります。
天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見
(あまざかる ひなのながぢゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
【現代語訳】
遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって
来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。
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