CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

山本琢磨とニコライ堂

2010年03月01日 17時08分29秒 | Weblog
昨日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で山本琢磨とニコライ堂の紹介がありました。

安政4年(1857)8月4日 山本琢磨時計拾得事件が起きています。
龍馬伝の中では山本琢磨は田那村作八と外出したさいに田那村が酒に酔って、
通行人にからみ、商人の佐州屋金八が投げ出していった風呂敷包みに入っていた、
時計を道具屋に売り飛ばしたことから、事件となり、
江戸の京橋浅蜊河岸の鏡新明智流・桃井春蔵の道場の塾頭であった武市半平太に
対して責任をどうとるか詰め寄られ山本琢磨を切腹させることとなったが、
龍馬が佐州屋金八に対して訴訟を取りやめるように折衝し、江戸から蝦夷の地に
逃亡させるようなストーリーで描かれていました。
山本卓馬(啄麿、数馬)は土佐国土佐郡潮江村出身の土佐藩士です。
山本代七と妻佐尾子の子。佐尾子の兄の子供を富子といい、武市半平太の妻。
また龍馬の父八平は山本覚右衛門の次男で、その長男の子供が代七であるために、
武市にとっても龍馬にとっても縁戚関係にありました。

山本琢磨は函館で神明社宮司沢辺幸司の女婿となり沢辺啄麿という名前になり、
その後ニコライ神父( Ioan Dimitrovich Kasatkin 1836-1912)と運命的な
出会いとなり熱心なロシア正教の信者となります。
日本で初めての信者との解説もありました。
ニコライ堂は明治24年(1891)2月に山本琢磨(沢辺啄麿)に尽力で建設された
ことも初めて知りました。
また、沢辺琢磨が80歳の長寿(当時としては)をまっとうしたことにも感動しました。
2007年6月に書いた記事も参照ください。

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