2019年3月3日、湊川神社社務所奥にある控えの間に表題の絵馬を見つけましたので
写真紹介します。
上の写真が楠木正成の故郷である河内長野市の加賀田神社から奉納された
楠公父子桜井の別れ図絵馬(復元模写)
大楠公は天皇の命令に従い、決死の覚悟で兵庫へ向けて出陣されました。
途中、桜井の駅(現在の大阪府三島郡島本町)で、御子の小楠公(楠木正行公)を
呼び寄せられ、「自分は死ぬが、その後は、父に代わって天皇さまを助け最後まで
守りつくすように」と、よく分るように悟され、小楠公を故郷の河内へ返されました。
結局、楠木正成は延元元年(1336)五月二十五日湊川の合戦で殉死します。
多くの人々に親しまれている、有名な「青葉茂れる桜井の・・・」の唱歌は、
この場面を歌ったものです。
青葉茂れる櫻井の~で始まる「楠公の歌」について記載しておきます。
『楠公の歌』 落合直文 作詞、奥山朝恭 作曲
奥山朝恭(ともやす)の作曲で歌人で国文学者の落合直文が書いた詩に曲をつけた
バラードで明治24年(1891)奥山朝恭が兵庫県尋常師範(現神戸大学発達科学部)に
奉職中に作曲された。
奥山朝恭(おくやまともやす)(1858-1943)の略歴
安政5年(1858)江戸本所生まれ
音楽教育者、作曲家、後に岡山の西洋料理店(元浩養軒)を経営。
大阪清水谷高女、兵庫県尋常師範、岡山師範学校(明治26年より9年間)で
音楽を教える。昭和18年(1943)死去
下記の三部構成になっています。
―桜井の訣別―
1.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か
2.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ
3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅
4.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君(おおきみに) 仕えまつれよ国の為
5.この一刀(ひとふり)は住(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん
6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の 大空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を
―敵軍襲来―
7.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて
8.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
吹く松風か白波か よせくる波か松風か
響き響きて聞ゆなり つづみの音に閧(とき)の声
―湊川の奮戦―
9.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より
10.斬りすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは
11.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵は
後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ
12.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当りしが
時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も
13.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば
14.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに
15.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらかた)の 心も清き湊川
上の写真は説明板です。平成30年(2018)12月4日に奉納されました。
解説文についてそのまま引用させていただきました。
楠木正成の故郷である大阪府河内長野市に鎮座する加賀田神社は、絵師大西安太郎の
手による極彩色の絵付けが施された御本殿で有名です。
同じく大西絵師により描かれた「楠公父子桜井の別れ図絵馬」(明治15年作成)
が長らく同社に保管されていましたが、損傷の激しいこの絵馬を制作当初の姿に
模写復元し、正成公殉節の地に奉納することで明治の人々が楠公に抱いた想いを
百年先に繋げたいという願いがプロジェクトとして、平成30年(1918)3月に同社
田中義光宮司と同社責任役員、氏子の皆様により立ち上げられることになりました。
絵馬復元費用調達の為に、クラウドファンディング方式を取り入れ、4月16日から
7月14日の間に募集することが決定。神社の地元はもとより広く全国へ発信し、
田中宮司を始め関係各位の尽力により、募財が進み、府内だけでなく東京や神奈川
などからも目標額を超える浄財が集まりプロジェクトが実現の運びとなりました。
このプロジェクトには、天野山文化遺産研究所が絵馬復元を担当。化学薬品無添加
の膠を使って復元作業を実施し、安定した極彩色の絵馬が復元され、見事に完成。
十二月四日に当社への奉納となりました。
平成30年12月吉日
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