昔撮ってあったBS放送の「出雲大社」に関する録画を観ていたら表題の「阿国寺」
と「阿国の墓」が含まれていました。
そこでGoogleアースを使用して現地をバーチャルで訪問しました写真紹介します。
写真で特記していないものは上述のBS放送の録画によるものです。
阿国寺 別名「連歌庵」
所在地は出雲市大社町杵築東 島根県神社庁の横手にあります
上の写真は阿国寺
出雲阿国は歌舞伎の始祖として知られています。出雲大社で巫女をしていました。
晩年、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたと伝わります。
そのため、この草庵は阿国寺「連歌庵」と呼ばれるようになりました。
連歌庵はもともと中村町にありましたが、中村の大火で焼失して、二代目は明治4年、
廃仏毀釈によって取り壊され、昭和11年、「劇祖阿国会」によって再建されました。
上の2枚の写真は阿国寺の境内入り口の阿国のレリーフなど
上の写真はGoogleアースで訪問した阿国寺(連歌庵)
上の写真の左端が阿国寺。右端が島根県神社庁(Google earth より)
阿国の墓
上の写真は出雲阿国の墓
上の写真は出雲の阿国の墓の入り口
上の写真はGoogle Earth で見た出雲阿国の墓の入り口
阿国寺と出雲阿国の墓の所在地
上の写真はGoogle地図に阿国寺と出雲阿国の墓の位置を示しました
出雲の阿国の略歴解説 By Wikipedia
Wikipediaより出雲の阿国の略歴を引用紹介します。
概要
出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年(1572年) - 没年不明)は、安土桃山時代の
女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、
このかぶき踊りが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる。
一般的には、彼女による「阿国歌舞伎」の誕生には名古屋山三郎が関係しているとされ、
「山三郎の亡霊の役を演じる男性とともに踊った」といった解説がなされることが多い。
お国が演じていたものは茶屋遊びを描いたエロティックなものであり、
お国自身が遊女的な側面を持っていたという可能性も否定できない。
なお、現在では「出雲の阿国」「出雲のお国」と表記されることが一般的であるが、
彼女の生存時の歴史資料にはこのような表記は発見されておらず、
これらの表記は、口伝を筆記したもの、あるいは、17世紀後半以降、
彼女が伝説化してから広まったものと考えられる。
没年については、慶長18年(1613)、正保元年(1644)、万治元年(1658)
など諸説ある。1658年だとすれば享年は86歳で当時としては長寿を全うした
生涯
出雲国杵築中村の里の鍛冶中村三右衛門の娘であり、出雲大社の巫女となり、
文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったとされている。
慶長5年(1600年)に「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録
(時慶卿記)があり、この「クニ」が3年後の慶長8年(1603年)に
「かぶき踊」を始めたと考えられている。
『当代記』によれば京で人気を得て伏見城に参上して度々踊ることがあったという。
当初は四条河原の仮設小屋で興業を行っていたが、やがて北野天満宮に定舞台を張るに至った。
慶長8年(1603年)5月6日に女院御所で踊ったという記録があり、
文献によって踊ったものの名称が「ヤヤコ跳」「ややこおとり」「かふきおとり」と異なっている。
この事と記述の内容から考えて、慶長8年5月からあまり遡らない時期に
かぶき踊(かぶき者)というあらたな名称が定着したと考えられている。
内容面でもかわいらしい少女の小歌踊と考えるややこ踊から、
傾き者(かぶきもの)が茶屋の女と戯れる場面を含むようなものに質的に変化したと考えられている。
お国のかぶき踊りは、名古屋山三郎役の男装したお国と、
茶屋の娘役として女装したお国の夫・三十朗が濃密に戯れるものであった。
一座の他の踊り手も全て異性装を特徴としており、観客はその倒錯感に高揚し、
最後には風流踊や念仏踊りと同様に出演者と観客が入り乱れ熱狂的に踊って大団円となった。
このように、お国がかぶき踊りを創始するに際して念仏踊りを取り入れたとする
記述が一般向けの解説書や高校生向けの資料集により一般的であるが(山川出版
『詳細日本史図説』、『日本の伝統芸能講座 舞踊・演劇』)、この従来説に対して、
ややこ踊の一座やお国が念仏踊りを踊った可能性は低いと主張する者もいる。
阿国は慶長12年(1607年)、江戸城で勧進歌舞伎を上演した後、消息が途絶えた。
慶長17年4月(1612年5月)に御所でかぶきが演じられたことがあり、阿国の一座によるものとする説もある。
没年は、慶長18年(1613年)、正保元年(1644年)、万治元年(1658年)など
諸説あり、はっきりしない(二代目阿国がいたのではないかという説もある)。
出雲に戻り尼になったという伝承もあり、出雲大社近くに阿国のものといわれる墓がある。
また、京都大徳寺の高桐院にも同様に阿国のものといわれる墓がある。
なお、旧暦4月15日(現在では新暦4月15日とも)が「阿国忌」といわれている。
上の写真は阿国歌舞伎の解説 出典:山川出版「詳説日本史図録」Page144
出雲阿国像
所在地の住所は出雲市大社町修理免