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たつの市立 室津海駅館の「江戸参府」に関する展示 on 2017-11-5

2018年03月18日 04時22分26秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月5日、たつの市立室津海駅館で江戸参府に関する展示を
観てきましたので写真紹介します。

たつの市立室津海駅館の基本情報

住所:たつの市御津町室津457  TEL:079-324-0595
開館時間:9:30~17:00 入館は16:30迄
休館日:月曜日(但し 祝日の場合は開館)、月末、年末年始


公式サイト:http://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/kaiekikan-minzokukan.html

江戸参府とは(Wikipediaより)
カピタン江戸参府(カピタンえどさんぷ、Hofreis naar Yedo)は、オランダ商館責任者
である商館長=カピタンの、日蘭貿易「御礼」のための江戸への旅。
「御礼参り」「拝礼」とも称される。

長崎のオランダ商館はオランダ東インド会社の日本支店であり、商館長である
カピタンは対日貿易の維持・発展を願って、貿易業務を終えた後の閑期に江戸へ参り、
将軍と世子に対する謁見(拝礼)と献上物の呈上を行った。
その際には、老中や若年寄といった幕府の高官たちへも進物を贈った。カピタンの
「御礼」に対し江戸幕府側は、貿易の許可・継続条件の「御条目(ごじょうもく)」
5ヵ条の読み聞かせと「被下物(くだされもの)」の授与をもって返礼とした。
オランダ人の初の拝礼は慶長14年(1609年)の使節ニコラース・ポイクによる駿府
での徳川家康との謁見であった。その後、オランダ商館が平戸に建設され、
寛永10年(1633年)より毎年春1回に定例化するまで江戸参府は不定期に行われた。
寛永18年(1641年)にオランダ商館が平戸から長崎の出島に移された後も参府は
続けられ、寛政2年(1790年)に貿易半減に伴って4年に1回と改定された後、
嘉永3年(1850年)にまで計166回行われた[1]。なお、開国後の安政5年(1858年)
にドンケル・クルチウスが行った参府はこれに含まれない。
参府の時期は、当初は前年の暮れに長崎を出発し、翌年の正月(旧暦正月)に江戸に
到着して拝礼を行っていた。寛文元年(1661年)からは正月に長崎出島を出立し[2]、
3月朔日(太陽暦で4月上旬)または15日に拝礼をするのが慣例となった。
長崎への帰還は5,6月頃で、所要日数は通常90日ほどであった。





上の2枚の写真はエンゲルベルト・ケンペル=Engelbert Kaempfer(1651-1716)が
描いた江戸参府の様子を描いた絵と解説文
1691年(元禄4年)と1692年(元禄5年)に連続して、江戸参府を経験し将軍・徳川綱吉
にも謁見していますのでその時の様子であることが判ります。


上の写真は文政9年(1826)の江戸参府の行程図です。
2月15日に長崎出島を出発 室津には3月7日着、江戸には4月10日着
帰りは5月18日に江戸を出立、長崎出島に7月7日に到着





上の2枚の写真はケンペル自筆の日本地図と解説文

ケンペルについてWikipediaより簡単に紹介します。

エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 現代ドイツ語読みでは
エンゲルベアト・ケンプファー、1651年9月16日 - 1716年11月2日)は、
ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて
体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。出島の三学者の一人。
1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。
1691年(元禄4年)と1692年(元禄5年)に連続して、江戸参府を経験し
将軍・徳川綱吉にも謁見した。滞日中、オランダ語通訳・今村源右衛門の協力を
得て精力的に資料を収集した







上の3枚の写真はケンペル著の「日本誌」に関する展示



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