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 年行事跡 姫路神社跡地 on 2023-9-22 と姫路神社

2023年09月27日 05時39分15秒 | 姫路市
2023年9月22日、姫路市西二階町を散策中に表題の掲示板を見つけたので写真紹介します。

上の写真が姫路神社跡地の掲示板「(説明板)の全景
姫路市本町226番地のTimesの駐車場の柵にくくりつけてあります。

説明板の内容をそのまま転記しておきます。
年行事跡
  姫路神社跡地
江戸時代、ここには町の町の大年寄りらが政務を行う年行事がありました。
明治12年(1877年)元藩士や大年寄らが旧藩主の慈悲に報いようと、ここに
旧藩祖酒井正親公を御祭神とした神社を創建しました。
この神社は当時、御霊社と呼ばれ、境内には一時、幼稚園や姫路信用組合などの
事務所も置かれた。
しかし、国道の敷設が決まり、昭和2年(1927年)、姫山公園内に移った。



上の写真は明治時代の姫路神社/高橋コレクション(県立歴史博物館)

上の2枚の写真はかってあった姫路神社の跡地の位置を示したもの


上の写真は掲示板のある場所の遠景
姫路市本町226番地のTimesの駐車場
掲示板所在地のGoo地図を添付しておきます。

昭和2年(1927)、姫山公園に移った姫路神社については2016年(平成28年)3月26日に
撮った写真で紹介していきます。

姫路神社の基本情報
住所:姫路市本町83  TEL:079-222-6426
御祭神:酒井正親(明治12年創建時)
    昭和36年(1961年)10月には酒井家歴代藩主を合祀 
境内社:寸翁神社
    岩倉稲荷神社

所在地のGoo地図を添付しておきます。

姫路神社の由緒
上の写真は境内に掲示の現地説明板の姫路神社由緒書き

字が読み難いので要旨を書いておきます。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県に伴い、10代120年余りに亘って姫路藩で領主として善政に勤められた酒井家は、東京へ移住することとなった。
永年恩恵を受けた領下四民は感謝し、旧幕臣、大年寄、大庄屋等が発起し、
協力して神東郡姫路本町50・51・52番地の合併地588坪余を取得し明治12年(1879年)1月、
官許を得て社殿を創建酒井家遠祖の新田義貞の裔、酒井正親を祀る神社を創建した。
明治17年(1884年)には県社に列せられている。
旧社域は民家に隣接し狭隘だったため、大正14年(1925年)11月、広く市民の支持を得て
縁故深い姫路城内の官有地1974坪余を大蔵省から買い受け社殿を新築し、
昭和2年(1927年)6月に遷座した。
当地は姫路城天守の東北の鬼門にあたり、春は桜、秋は紅葉と姫路城の鎮護神社に
相応しい立地を兼ね備えています。
昭和36年(1961年)10月には酒井家歴代藩主を合祀している。

添付の動画に姫山公園内の姫路神社も紹介されています。
名家老 河合寸翁ってどんな人?(姫路のひろば平成29年12月放送分)

拝殿、本殿




手水舎

社務所

酒井宗雅公の像
姫路城主酒井氏は、寛延二年(一七四九)廐橋城(まやはし:前橋)から転封し、
明治維新までの約120年間藩を治めた。
 二代目城主酒井忠以(号宗雅:そうが1755~1790)は、18歳で姫路15万石を継ぐが、
徳川家譜代大名として、幕閣において将軍の補佐役として枢要な地位にあった。
 藩政においては、他藩と同じく財政の危機的状況にありながら、領民や家臣を慈しんで善政を行った。
 のちに藩財政を立て直した河合寸翁(すんのう)を見いだして登用したのも宗雅であるが、惜しくも三十六歳の若さで没した。
4歳年長の松江(島根)の藩主松平不昧(ふまい)との出会いがきっかけとなり、
茶の湯への関心が高まり、一番弟子となり茶の湯の世界に没頭した。
絵の才能も抜群であった。

茶聖塚

忠孝碑

上の写真は河合寸翁の忠孝を讃えた顕彰碑
大正11年(1922)8月14日に建立

境内社 寸翁神社
姫路藩の財政再建・経済発展に尽力した同藩家老、河合道臣(寸翁)を祀る。昭和32年、姫路市内商工人の奉賛により社殿が設けられた。
鳥居の横には寸翁の胸像がある。



上の写真が河合寸翁(かわいすんのう)像の近景と遠景。
遠景の左手奥が寸翁神社です。
河合寸翁の銅像は故・三宅具哉・姫路信用金庫会長を世話人代表として1990年
に建立されました。肖像画を元に造られたそうです。
台座正面には「無心帰大道」の文字が刻まれています。その意味するところは、
「私心のない人は道を貫くことができる」

寸翁神社と河合寸翁については下記ブログで書いています。

境内社 岩倉稲荷神社
農工生産の神様、倉稲魂大神を祀る稲荷社。大正14年(1925)、姫路市坊主町から遷座。
2月3日に行われる節分の追儺式や湯立などの神事が行われています。




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