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らんまん第25週「ムラサキカタバミ」123話から125話及び最終週「スエコザサ」126話~128話を視聴して

2023年09月28日 04時05分28秒 | Weblog
NHK朝ドラ「らんまん」は今週の9月29日(金)で終了します。
「らんまん」第25週「ムラサキカタバミ」の123話から125話では大正12年(1923)9月1日に
起きた関東大震災の発生からそれに伴い渋谷の店「ヤマモモ」を相島に買い取ってもらい、
万太郎の標本を守るため、売却したお金で練馬の大泉に広い土地を購入するところで終了しました。

また、最終週「スエコザサ」126話~128話では昭和33年、槙野植物標本館を、
藤平紀子(宮崎あおい)という1人の女性が訪ねてくる。標本館を守っていたのは
千鶴(松坂慶子)だった。標本の片付けのアルバイトだと思って応募したが、
分類の手伝いもすると知って紀子は二の足を踏む。しかし家族らの思いを知って
引き受けることにする。
学士院の会員となった波多野(前原滉)と沼津で酒酵母の研究を続ける藤丸(前原瑞樹)が  大泉の家にやってきて万太郎に理学博士に推薦する話が持ち上がる。
東京大学の名誉教授となっていた徳永(田中哲司)の後押しもあり理学博士の授与式
に出席する場面で終わりました。
この頃、寿恵子(浜辺美波)の健康状態 は思わしくなく、万太郎 (神木隆之介) は
看病をしながら、「日本全国の植物を掲載した図鑑を完成させる」という寿恵子との
約束を果たすために日々図鑑の制作に励むという展開になると思われます。


本ブログでは まず、第25週「ムラサキカタバミ」123話から125話をレビューしていきます。
続いて最終週「スエコザサ」126話から128話をレビューします。

123話 9月20日(水)放送
大正12年(1923)9月1日。万太郎(神木隆之介)の図鑑はついに完成しようとしていた。
万太郎は、永守徹(中川大志) がいる神戸に旅立つ準備を、寿恵子(浜辺美波)と
千歳(遠藤さくら)は、いつものように昼食の準備をしていた。 その時、関東大震災が発生。
火災も起き、各地で甚大な被害が出る。大畑印刷所で働く虎鉄(濱田龍臣)は、
大畑(奥田瑛二)と共に消火活動に。万太郎、千鶴(本田望結)たちは持てるだけの
標本をもって渋谷へと避難する。
上の写真は図鑑の原稿。万太郎は大事な原稿だというので直接持って行く為、
風呂敷に包んでいる場面もあった。
現実の世界では大正12年(1923)当時、牧野富太郎博士は61歳、妻の壽衛(すえ) は49歳。
上の写真は震災直後の長屋で標本などを集める万太郎、寿恵子、千歳、
虎太郎(森優理斗)、千鶴(遠藤さくら)たち

124話 9月21日(木)放送
万太郎(神木隆之介)、寿恵子(浜辺美波)、千歳(遠藤さくら)、千鶴(本田望結)は、
ようやく渋谷までたどり着く。渋谷一帯は被害が少なく、寿恵子の店も無事だった。
地震から4日後、虎鉄(濱田龍臣)、百喜(松岡広大)、大喜(木村風太)、
家族みんなの無事が確認でき安堵するが、長屋は、40年かけて集めてきた標本や原稿が
無残な姿となっていた。肩を落とす万太郎がふと地面に目をやるとムラサキカタバミが
咲いていて万太郎と虎鉄は植物の生命力たくましさに新たに感銘を受ける。
 
上の写真は番組の冒頭で流れた関東大震災の様子(実写の写真)
上の写真はムラサキカタバミの前の万太郎と虎鉄

125話 9月22日(金)放送
関東大震災からおよそ1か月。渋谷は東京市から逃げてきた者たちでにぎわっている。
寿恵子(浜辺美波)は買い物に出たが、その光景に戸惑うばかり。
そこへ偶然、相島(森岡龍)が通りかかった。
相島は渋谷が発展すると予見したのが当たったと寿恵子に話す。
寿恵子は帰宅すると、万太郎(神木隆之介)はムラサキカタバミの植物画を描いていた。
こんな時だからこそ、たくましく咲いている植物を見て嬉しかったという万太郎。
その気持ちを誰かに渡したいのだと、万太郎は寿恵子に話す。
寿恵子は研究資料を守るため別の土地に移ることを決意し、百喜(松岡広大)と
大喜(木村風太)に広い土地を探してほしいとお願いする。   
そして、相島にもその決意を伝え、渋谷の店を買い取って欲しいと願い出る。
相島は寿恵子の覚悟を理解し5万円で買い取ると許諾。
5万円は約2億円相当だそうです。
こうして寿恵子は自身の店を手放し、その資金を元手に「大泉村」の土地を買った。練馬大根の産地でもある村だ。
寿恵子は万太郎を連れてその土地を下見に行った。万太郎は初耳だったのか、驚きを隠せなかった。
上の写真は寿恵子が相島の渋谷の店を買い取って貰うお願いをする場面
上の写真は寿恵子が購入した大泉村の土地。
実話では大正15年(1926)牧野富太郎64歳、妻の壽衛(すえ) 52歳で
現在の東京都練馬区東大泉に自宅を建てています。 

126話 9月25日(月)放送
時は昭和33年(1958年)の夏。蚕糸試験場に勤めていた藤平紀子(宮崎あおい)が
万太郎の遺品整理のアルバイト面接のために槙野邸にやってくる。
紀子を迎えたのは、万太郎と寿恵子の末娘・千鶴(松坂慶子)だった。
標本の片付けのアルバイトだと思って応募したが、分類の手伝いもすると知って紀子は二の足を踏む。しかし家族らの思いを知って引き受けることにする。
上の写真は千鶴が(後列1番左)写っているフォト額を説明する万太郎と寿恵子の
末娘・千鶴(松坂慶子)。
上の写真は万太郎と寿恵子の末娘・千鶴(松坂慶子)と植物標本整理のアルバイト
に応募してきた藤平紀子(宮崎あおい)。

実話では牧野富太郎博士は昭和32年(1957)94歳、家族に見守られて永眠 墓所は谷中霊園
昭和33年(1958) 高知県立牧野植物園が開園、東京都立大学牧野標本館が開館  
         東京都練馬区立牧野記念庭園が開園

127話 9月26日(火)放送
紀子(宮崎あおい)は、槙野博士の行動録を作ろうと提案する。例えば栃木には日光山がない。どの地域の「日光山」なのか…博士の使った新聞からつきとめた紀子に、千鶴(松坂慶子)は感激して 「すごい紀子さん!名探偵! 明智小五郎ね!」と褒めた。
上の写真は千鶴がおとうちゃん万太郎の植物図鑑について紀子に説明する場面
実話では植物図鑑が発刊されたのは昭和15年(1940)牧野富太郎78歳、「牧野日本植物図鑑」刊行

昭和2年(1927年)。槙野家は、寿恵子(浜辺美波)が買った土地に屋敷を構え、万太郎(神木隆之介)、寿恵子、千鶴(本田望結)と幸せに暮らしていた。
ある日、槙野邸に万太郎のラジオを聞いたという子どもたちが集まり、植物談議をする。万太郎が標本の作り方を教えていると、お茶を入れていた寿恵子が突然、急須を落とし、割ってしまう。万太郎は子どもたちを家に帰した。
上の写真は昭和2年(1927)夏、子供達が万太郎・寿恵子の家に来た場面
物音に驚いた千鶴(本田望結)は「また?」と心配する。万太郎は「近々、病院に連れて行く」と告げた。
そんな中、波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)が槙野家にやってくる。久々の再会だ。
藤丸は新しい酒造りのため、竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)と一緒に静岡へ移った藤丸は「沼津も大震災からやっと立て直せて。今年はちゃんと仕込めてる。きっと近々、お二人もここにくるんじゃない?」と報告。そして沼津名物「黒はんぺん」も持参した。
波多野は帝国学士院の会員になり、日本の最も優秀な頭脳60人に選ばれた。  
波多野は万太郎に用があった。
 波多野「ねえ万さん、理学博士にならない?」 
上の写真は槇野邸を訪問した波多野と藤丸と応対する万太郎と寿恵子


128話 9月27日(水)放送
小学校中退の万太郎(神木隆之介)がなんと理学博士になります。
万太郎は、理学博士を受け入れ、推薦してくれるよう波多野にお願いする。
万太郎と寿恵子は銀座で、スーツを仕立てることに。そして寿恵子を病院にも行かせた。
そして万太郎が理学博士になって、大学でスピーチすることとなった。客席には寿恵子、千鶴(本田望結)、波多野、藤丸、徳永らも駆けつける。
徳永は杖を突き、白髪で白ひげ姿だ。波多野から「いよいよですね、徳永名誉教授」と声をかけられた徳永は「ああ、最後まで世話が焼ける」と穏やかに微笑む。
上の写真は理学博士授与式で挨拶する万太郎
上の写真は理学博士の授与に尽力した徳永名誉教授、波多野、藤丸
上の写真はスピーチで理学博士になれたのは全て寿恵子のおかげと感謝する場面。


実話では昭和2年(1927)牧野富太郎65歳、東京大学から理学博士の学位を授与される。 
また、昭和3年(1928)牧野富太郎66歳、妻の壽衛(すえ)は54歳で死去。
  仙台で採集の新種の笹に亡くなった妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。 


関連ブログ
 今までに牧野富太郎博士について書いたブログにリンクしておきます。







 


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