写真は前橋文学館の前にある萩原朔太郎の銅像である。
萩原朔太郎は明治19年(1886)群馬県東群馬郡前橋北曲輪町(現在千代田町1丁目)で生まれた。
父は医者、朔日生まれの長男なので朔太郎と名付けた。
前橋中学校を卒業後熊本の第5、岡山の第6高等学校をともに中退。
第6高では明治43年(1908)チフスに
かかった。
大正6年(1917)朔太郎32歳の時処女詩集「月に吠える」
によって日本近代詩史に不滅に金字塔をうちたてた。
大正8年(1919)上田稲子と結婚。
大正14年(1925)妻子3人と上京、大井町に住む。
ここには室生犀星、芥川龍之介がいた。
大正15年馬込村平張へ転居。
昭和6年 離婚し母と子供2人と世田谷へ転居。
昭和17年(1942)57歳で死去。
墓は前橋市の「政淳寺」にあります。
上の写真は詩集第4作「純情小曲集」に収録された
「郷土望景詩篇」のひとつである。
荻原朔太郎の他に平井晩村、高橋元吉、萩原恭次郎、伊藤信吉ほか多くの詩人を輩出した
前橋は「近代詩のふるさと」と言われています。
上の写真の右が東京・馬込文士村時代の荻原朔太郎、左が室生犀星。
出典:馬込文士村 ガイドブック(1996)Page52-53
自然の中に生命があり、力があり、生活があるということを、私は馬込に来てはじめて
学んだ---の言葉通り、荻原朔太郎は馬込の風情に強く心をひかれました。
それほど馬込は詩の宝庫だったようです。
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