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零戦の開発者 堀越二郎

2021年08月20日 05時09分52秒 | Weblog

2021年8月16日、17時30分よりNHKBSプレミアム 選(2)「戦争 科学者たちの罪と勇気」

を視聴しました。その中で「零戦の開発者 堀越二郎」の紹介がありましたので

写真紹介します。

まず、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より

堀越二郎について概略紹介します。

[生]明治36年1903.6.22. 群馬,藤岡
[没]昭和57年1982.1.11. 東京
航空機設計者,航空評論家。零式艦上戦闘機 (零戦) の設計者として世界的に知られる。 1927年東京帝国大学工学部航空学科卒業,同年三菱内燃機名古屋航空機製作所に入社。軍用機の設計に従事し,1929~30年ドイツ,アメリカ合衆国に留学。 1932年低翼単葉の七試艦上戦闘機を設計し,当時の複葉の常識を破った。その後も設計主任として,九六式艦上戦闘機 (1935) ,零戦 (1939) ,雷電 (1941) ,零戦の後継機とされた烈風 (1942) の設計を担当。第2次世界大戦後は日本航空機製造 YS-11の設計に参加,1962年日本航空学会会長に就任。東京大学宇宙航空研究所講師,防衛大学校教授,日本大学講師を歴任し,航空評論家としても活躍。 1973~74年には国防会議専門家会議座長として次期対潜哨戒機 PXLの選定作業に携わった。共著『零戦』 (1953) がある。

群馬県藤岡市に生まれ旧制藤岡中学校まで藤岡で過ごした堀越二郎は関孝和先生(数学者)、

高山長五郎翁(養蚕技術の改良)とともに藤岡市の三大偉人として顕彰されています。

上の2枚の写真は航空技術者の堀越二郎さんの貴重な写真です。

上の写真はゼロ戦が製造された三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)の工場(名古屋航空機製作所)

 

 

上の写真は3年余で開発された零式艦上戦闘機 零戦

昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃で使用された。

上の写真は設計メモで時速500km/hr 航続距離2,000km以上(6Hr)

3,000mまで3分30秒以内、5,000mまで5分30秒以内

離航 合成風力12m/sで70m以内など設計基本仕様が記載されています。

上の写真は機体の骨組部で設計仕様を満たす為、軽量化の工夫がされています。

 

以下は戦後に書かれた回想録です。

上の3枚の写真は『零戦 その誕生と栄光の記録』 角川文庫、2012年で戦争末期に行われた

不幸な特攻にその時代には旧式となっていたゼロ戦で犠牲となった若者達の想いを

想像して回顧した文章である。

風立ちぬ』(2013年)スタジオジブリ - 原作・脚本・監督:宮崎駿では堀越二郎が

モデルと言われる作品として広く知られています。

 

堀越二郎を紹介した動画

3分でわかる堀越二郎【ゼロ戦の設計者】

 

最近のニュース

 藤岡歴史館にて平成25年度企画展として「堀越二郎の軌跡」が開催され航空工学者の

 堀越二郎の遺品などが展示されたそうです。

 

 上毛新聞 2021年6月27日にて下記記事が掲載されました。

  ゼロ戦の開発者として知られる群馬県藤岡市出身の航空技術者、堀越二郎(1903~82年)の功績を後世に伝えようと、同市内を中心とする有志12人が「堀越二郎記念館をつくる会」を立ち上げた。堀越を顕彰する機運を高めるとともに、募金やクラウドファンディング(CF)を活用するなどして資金を集め、記念館の建設を目指す。

 


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