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山陽電車網干駅周辺散策記 その7 河野鉄兜生家と石碑

2020年01月16日 06時00分48秒 | 神戸市以外の兵庫県

山陽電車の広報誌「ESCORT]2019年12月号で山陽網干駅周辺の紹介記事があり
ダイセル異人館と龍門寺の紹介記事が掲載されていました。
これに触発され2019年12月27日(金)に山陽網干駅周辺を散策して
きましたので写真紹介していきます。
山陽網干駅の周辺には2017年11月5日に室津に午前中に訪問後、午後に訪問。
さらに魚吹八幡神社に2018-3-25、2019-3-30に訪問していますが今までブログ記事
にしていなかったのでこれらの訪問記を含めてシリーズとして紹介していきます。
今回はシリーズの第7回で河野鉄兜生家と石碑を写真紹介します。


過去の記事:
 第1回 ダイセル異人館

 第2回 龍門寺

 第3回 魚吹八幡神社

 第4回 旧網干銀行本店跡

 第5回 大覚寺

 第6回 長太郎石

ジリーズの全目次

 山陽電車網干駅周辺散策記 その24(最終回) 網干湊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 山陽電車網干駅周辺散策記 番外編 田捨女について - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の2枚の写真は河野鉄兜生家の門と庭 以下の写真も含めて撮影は2018年3月25日

上の写真は庭に掲示の説明板と石碑

上の写真は現地説明板の拡大版

この文章をベースに若干補足の文章を追加して記していきます。

河野鉄兜(こうのてつとう)は文政8年(1825)河野孝章(通称:三省)の

三男として揖東郡網干余子浜垣内のこの地に生まれる。

三省は 医者で 男五人、女四人の子供がいたが 長男は 20歳で 亡くなり 次男が

後を継いだ。 三男が 絢夫 すなわち 鉄兜。 四男 権之助は 早世し 五男が

河野東馬で 通称 通鶚、号を 香邨(こうそん)といった。

河野鉄兜の名は維羆 字は夢吉、通称俊蔵、本姓は越智氏。鉄兜という号は、家に

伝わる古い鉄兜にちなんでつけたという。また秀野などとも号した。

16歳の時、吉田鶴仙に学び、また仁寿山校にも入学した。

詩は京都の梁川星巌に学んだ。一時医師を開業(弘化2年(1845))したが、

嘉永4年(1851)林田藩主建部政和に招かれ、藩校敬業館の教授を勤めた。

安政2年(1855)に林田に移住し、秀野草堂で門下生を指導し各地の名家の来訪を

受けた。鉄兜は詩に優れ、吉野の詠は芳山三絶として名高い。

代表作に「吉野懐古」があり、詩吟愛好家でこの詩を知らない人はない。

鉄兜は大政奉還の来る日を 論じていたが目前の慶応3年(1867)に永眠した。

行年は43歳。

上の写真は庭の石碑 網干と言う題の七言絶句です。

吾郷山水本超凡 淡蕩煙波開鏡函 十里垂楊風不断 家々門外有春颿

と書かれています。

上の写真は河野鉄兜が教授を勤めた藩校「敬業館」の説明パネルです。

 誠塾で展示されていたものです。


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