CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

小保方氏会見 科学者の意見 「法的ではなく科学者として反証を」(産経新聞) - goo ニュース

2014年04月10日 05時30分06秒 | Weblog
小保方氏会見 科学者の意見 「法的ではなく科学者として反証を」(産経新聞) - goo ニュース

■篠原彰・大阪大蛋白(たんぱく)質研究所教授(分子生物学)の話

小保方晴子氏の不服申立書を読むと、悪意の認定についてなど裁判的な内容になっているが、そういう論争に持ち込むのはおかしい。研究不正ではないという不服申し立てを行うなら、あくまで科学者の立場で今回の疑義に反証してほしかった。特に不正については自身の所有する生データを開示すれば全ての疑義を解消できる。開示できないこと自体、非常に不思議だ。

 STAP細胞を見たと主張するなら、そのデータをきっちり出すべきだ。これだけ疑義がある中では、その実験データ(結果)が正しいという客観的な判断材料(証拠)がないと、主張はなかなか受け入れられない状況だ。

 捏造とされた流用画像に関しては“何らかの意図”がないとできない操作で、単純ミスとはいえない。置き換えたと主張する基の図も、博士論文にあった画像説明を消しており、これも意図的と判断せざるを得ない。再度調査委員会を作ることも申し立てているが、なぜメンバーに法律家集団を希望するのか。外部の科学者に検証してもらう形で再調査を依頼するのが、科学者としては正しいやり方だろう。科学の本質が議論できない状態は非常に残念だ。


厳しい、批判の論調が多いが、私としてはSTAP細胞が存在しているという小保方晴子氏の言を信じたい



上の写真は記者会見で弁護士から説明のあったスライド。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木市の大宮八幡宮で第8回流鏑馬奉納神事 on 2014-4-6

2014年04月08日 17時40分06秒 | 神戸市以外の兵庫県
平成26年(2014)4月6日(日)、三木市の大宮八幡宮で流鏑馬奉納神事がありま­した。
五穀豊穣や病魔退散などを願うこの神事は、30年以上途絶えていましたが、
伝統行事の流鏑馬(やぶさめ)を復活させようと発足した風馬鳴弦会(ふうまめいげんか­い)により、
平成18年(2006)に再開、今年は8回目となります。
例年ですと2月の下旬に挙行されますが今年は雪のため延期されこの時期に実施されまし­た。
今年は初めて市街地で御神馬の巡行を行い、その後、例年のとおり迫力ある見事な流鏑馬­が
大宮八幡宮の境内で披露されました。

まず三木市 大宮八幡宮の基本情報を書いておきます。

大宮八幡宮の基本情報

住所:兵庫県三木市本町2丁目19−1 TEL:0794-82-0401
公式HP:http://www.miki-oomiya.net/

御祭神:応神天皇(おおじんてんのう)、国水分神(くにのみくまりのみこと)、
    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)
    天児屋根命(あめのこやねのみこと)、熊野久須昆命(くまのくすびのみこと)
    賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)  
    津御名方命(たけみなかたのみこと)


 本殿の前に御祭神についての説明板があります。


上の写真はナメラ商店街に掲示のポスター。


上の写真は大宮八幡宮の境内の案内。 流鏑馬ではなく弓引神事と略記。

当日の動画を添付しておきます。


三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 

三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その2

三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その3

三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その4

三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その5
上の動画の山手学園中高生(筝曲部)による琴の演奏の写真です。



三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その6

三木市 大宮八幡宮での流鏑馬奉納神事 on 2014-4-5 その7



上の写真は流鏑馬が行われた三木市 大宮八幡宮の開式前の練習と会場遠景。



上の写真は山梨県の紅葉台木曽馬牧場から木曽馬の運搬用の車両。富士山のプレートが目についた。


上の写真は境内社の天神さん。


上の写真は三木合戦のPR用の看板。


上の写真は大宮八幡宮の境内の木材から作製された木馬です。

尚、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で4月27日放送のゆかりの地紹介で三木市が紹介されます。





参考サイト

  全国の流鏑馬


昨年(2013-2-17)実施の馬引神事のブログ By ブログ de みっきぃ   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸旧居留地103番館の表示石

2014年04月08日 11時54分05秒 | 神戸情報
神戸旧居留地103番館の表示石の写真を撮ってきましたので紹介します。
撮影:2014-4-5

所在地は神戸市中央区江戸町103番地

Google地図にリンクさせていただきます。


現在、エディー・バウアー神戸元町店になっています。
(下の写真)




上の写真は神戸旧居留地103番館の表示石。


上の写真は103番の表示石のある場所です。

神戸市立博物館の田井 玲子氏の近著「外国人居留地と神戸」2013年11月
    神戸新聞総合出版センター Page220に103番の経緯についての記述があります。


明治3年(1870)5月16日  蘭国 コルト・ハルス(W.C.Korthals) 競売にて獲得

明治19年(1886) 入居者なし(Unoccupied)

明治30年(1897) 英国バタァフヒールド・エンド・スワイヤ商会(Butterfield&Swire.)
           業務: 砂糖輸入、火災海上保険
          

明治38年(1905) 英国バタァフヒールド・エンド・スワイヤ商会(Butterfield&Swire.)
          営業種目 汽船代理店、保険代理業

大正8年(1919)  Butterfield&Swire.
           Agents for the China Navigation Co LTD.

  
 バタァフヒールド・エンド・スワイヤ商会は1867年上海で設立された英国の海運・貿易会社。
 1867年に横浜居留地7番館に開設。

 バタァフヒールド・エンド・スワイヤ商会神戸支店は明治20年(1887)に開設、平成6年(1994)
 まで営業を続けた。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸旧居留地124番館の標柱

2014年04月07日 15時09分44秒 | 神戸情報
神戸旧居留地124番館の標柱の写真を撮ってきましたので紹介します。
撮影:2014-4-5

所在地は神戸市中央区伊藤町119番地 現在、三井生命神戸三宮ビルの敷地となっています。

Google地図にリンクしておきます。





上の写真が神戸旧居留地124番館の標柱です。

神戸市立博物館の田井 玲子氏の近著「外国人居留地と神戸」2013年11月
    神戸新聞総合出版センター Page224に124番の経緯についての記述があります。


明治3年(1870)5月16日 英国 シー・エー・ヘーマン(C.A.Heimann) 競売にて取得(225坪)

明治19年(1886) モリヤン・ハイマン商会(Mourilyan.Heimann&Co.'s)・土蔵(Godowns)

明治30年(1897) John Gillingham's Godowns

明治38年(1905) カーロウィッツ商会(独)
          Carlowitz & Co. 支配人:A.J.Mcglew
          日本人館員:K.高城 D.城野 T.岡崎 S.埴原 T.加藤 B.杉原 亀井他

          営業種目:花筵(はなむしろ)、麦稈(むぎわら)真田、その他雑貨


上の写真は所在地の遠景です。標柱は中央の下のほうにあります。
隣のビルの貿易ビルと背後のマンション(BELISTA 神戸居留地)が写っています。


上の写真は現地の説明板です。

下記のように書かれています。

「居留地124番の碑
この標柱124番の地は東町と呼ばれ、町名が示すように外国人居留地の東の端で、前面は外国人
遊園地であった。
また背中合わせの119番初代県知事伊藤博文にちなんで名づけたと伝えられる伊藤町である。
両地は明治3年の居留地第3回競売で各々イギリス人C.A.ハイマンおよびシロンの所有と
なったが、その後一体として使用され税関に近接している便もあるため倉庫として33・34・35番の
イギリス商館モリアン・ハイマン商会に付属していた記録もある。
いつごろかイギリス風赤れんがの倉庫が建てられた。
大正3年第一次世界大戦が起こり、当時の所有者ドイツの商人は引き揚げ、倉庫は火災の損傷を
受けたまま残された。
 大正五年にこの地を兼松商店(オーストラリア貿易の開拓者兼松房治郎が明治22年神戸で
創業、現、兼松江商株式会社)が本店用地に買い取り同種の輸入れんがをもって修築、改造し、
大正八年に四階建て倉庫を完成させた。
本石柱はその折、東町側の同社通用門にとどめたものである。開港当時の外国商館の面影を
しのばせる貴重な文化遺産としてここに存在するものである 昭和60年3月」




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸旧居留地68番館の門柱

2014年04月06日 06時13分22秒 | 神戸情報
神戸旧居留地68番館の門柱の写真を撮ってきましたので紹介します。
撮影:2014-4-5


上の写真が神戸旧居留地68番館の門柱です。
 所在地は神戸市中央区京町68-2
 Google地図にリンクしておきます。

現在 ガルニエ(Garnier)という店(イタリアン、カフェ、スイーツ)が入っています。


上の写真は神戸旧居留地68番館の門柱の遠景です。写真の中央の下のほうに門柱があります。


上の写真は現地の説明板です。下記のように書かれています。

外人居留地68番館の門柱
この地域一帯は慶応3年(1868年)12月7日の兵庫開港によって設けられた外国人居留地の跡である。

京町68番地は明治2年(1869年)に競売されオランダ人、ハルトマン・ヘルツが 百坪あたり二百一円二銭五厘で落札した地所である。
明治4年頃には早くも煉瓦作りの倉庫が建てられていた。


この門柱は明治15年頃、この地に住んだエッチショニングの住居前に建てられたものと推定される。
開港当時の外国商館の面影をしのばせる貴重な文化遺産としてここに保存するものである。


昭和46年8月 
神戸市長 宮崎辰雄



神戸市立博物館の田井 玲子氏の近著「外国人居留地と神戸」2013年11月
    神戸新聞総合出版センター Page211に68番館の経緯についての記述があります。

その中から旧外国人居留地68番館の経緯について補充&要約して記しておきます。

1869年(明治2年)6月1日  オランダ ハルトマン・ベシル Hartmans&Besier.
              敷地:275坪

1886年(明治19年) エ・プレット( A.Platt)個人住居

1897年(明治30年) エ・マーヤ(A.Meier&Co.)商会 代理人:W.Heitmann

           輸入:毛織物、フランネル、機械類、染粉、毛糸、硝子他
           輸出:白蝋、生糸、屑物他

1905年(明治38年) エー・マイエル商会(A.Meier&Co.)(独)
          支配人:W.Heitmann
          日本人館員 安倍平吉 安倍卯三郎 橋本泰蔵
      営業種目 輸入:毛糸、毛織物、フランネル、染粉、洋紙、硝子、器械類 
           輸出:白蝋
1919年(大正8年) NAGASE&Co.Ltd. 株式会社長瀬商会




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年4月5日の新聞各紙の一面記事

2014年04月05日 15時06分03秒 | Weblog
2014年4月5日(土)に朝日、毎日、読売、日経、産経、神戸の6誌の一面記事をざっと見ました。

その見出し内容について記しておきます。赤字はトップ記事。

写真は全面だと著作権の問題があるため半面としました。


(1)日経新聞
   集団的自衛権 容認を支持
    米国防長官 日本の努力歓迎
      日中韓、意志疎通を きょう首相と会談
   
   三菱重、18年ぶり最高益 今期営業26%増 構造改革が寄与
     http://www.nikkei.com/article/DGKDASGD0403Z_U4A400C1MM8000/

   アジアが変える世界(4) 欧州名門に竜の紋章
     膨張マネー、域内廻らず 

   春秋

  

(2)読売新聞
   小学校で防災教育拡充 教科書検定 いじめ問題も
   

   100歳祝う歴代スター(宝塚歌劇100周年)

   人口減「社会が衰退」74% 本社世論調査 「速やかな対策を」76%   

   編集手帳

    

(3)産経新聞
   介護・家事に外国人活用 首相検討指示 女性の就労支援

   宝塚100周年 名花咲き競う

   教科書検定 韓国に配慮 新年度の発表

   25市販薬 ネット禁止 花粉症薬など 安全評価機関足りず

   パナ、高機能繊維へ進出 ナノファイバー量産可能に

   歴史戦 第1部 河野談話の罪 元政府高官「調査の質は低い」

   ソナエ 「明るい終活」ネットでも

   産経抄

   

(4)毎日新聞
   中国防空圏 南シナ海延期 紛争抱え方針転換
    紙面3面で中国「三戦」で海洋進出、米、国際法違反を強調、日本尖閣劣勢 
      三戦とは「世論戦」、「心理戦」、「法律戦」

   宝塚歌劇100周年

   家事、介護に外国人 成長戦略 首相、活用検討を指示

   余禄

   

(5)朝日新聞
   外国人活用 介護・家事も 政権検討 人口減社会に対応   

   ミサイル破壊命令 北朝鮮追加発射備え 政権公表せず

   100年名花勢ぞろい

   「核なき世界」いずこ

   政権方針先取り 教科書検定 領土教育を「強化」

   天声人語

   


(6)神戸新聞
   宝塚100年 華集う OGら「夢の祭典」

   海文堂”復活” 神戸市が検討

   薬25種 ネット販売禁止 市販3年未満対象 売れ筋の鼻炎薬も

   教科書「竹島・尖閣は日本領」 「挑発」と中韓が反発

   正平調


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須磨のフレンチの星 フォレ ド リキゥ でのランチ on 2014-4-4

2014年04月04日 17時03分14秒 | 神戸情報
2014年4月4日(金)にフォレ ド リキゥ でランチをいただきましたので写真紹介します。
久しぶりの訪問です。

こちらの店は私のお気に入りの店で、神戸市須磨区のフレンチの星であると思って
います。

フォレ ド リキゥ Forêt de Rikiuの基本情報
住所:神戸市須磨区多井畑字若林9-7 TEL&FAX:078-743-0015
定休日:火曜 
料理ジャンル:フランス料理


公式HP

地図は過去の訪問記(2012-9-10)に記載


 フォレ ド リキゥの経緯度 北緯34度39分40.8秒  東経135度6分1.8秒



メニューの形式が変わっていました。

奥様はAセット 1,500円(税、サービス料 別)、私はBセット(税、サービス料 別)
を注文しました。


上の写真はAセットのスープ。


上の写真はBセットの前菜。


上の写真はメインの肉料理(鶏肉、タケノコ、ポテト)


上の写真はデザート。
飲み物はハーブティーです。


上の写真は奥須磨公園の満開の桜です。

前回訪問記フォレ ド リキゥ でのランチ on 2013-11-2

>過去の訪問記

磨のフレンチの星 フォレ ド リキゥ でのランチ on 2013-4-10

フォレ ド リキゥ on 2012-9-10

フォレ ド リキゥ でのランチ on 2012-4-11

フォレ ド リキゥ でのランチ on 2011-8-13

フォレ ド リキゥ でのランチ on 2011-4-11

フォレ ド リキゥ でのランチ on 2010-12-24

フォレ ド リキゥ でのランチ on 2010-9-17

フォレ ド リキゥ on 2010-4-11

フォレ ド リキゥ on 2009-12-23

フォレ ド リキゥ in 2009-7-8

フォレ ド リキゥ in 2008-12-13

フォレ ド リキゥ in 2008-7-5

フォレ ド リキゥ in 2008-3-9

フォレ ド リキゥ in 2008-1-9
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタビクトリア号が神戸港へ寄港 on 2014-4-4

2014年04月04日 15時55分26秒 | 神戸情報
2014年4月4日(金)、イタリア船籍の大型観光クルーズ客船、コスタビクトリアが、今年も神戸港に寄港しました。
2014年4月1日、中国の上海を出発し予定通り、4月3日は宮崎の細島港に寄港。
コスタ・ビクトリア号は全長253m、幅32m、総重量7万5000トンの大型観光クルーズ客船です。
コスタビクトリアは神戸港に2014年4月4日、6時40分過ぎに着岸、船に乗っていた、約2000人の中国人観光客は、
大阪、神戸市内など観光バスに便乗し出かけられました。
本日(2014-4-4)15:00に神戸を出航し4月6日の9:30に上海に到着する予定だそうです。

コスタビクトリア(Costa Victoria)の基本情報
名前 Name:コスタ・ヴィクトリア 又はコスタビクトリア Costa Victoria 
クラスと形式 Class & type: Sky-class cruise ship
持ち主 Owner: Carnival Corporation & plc 運用会社 Operator: Costa Crociere
総トン数 Tonnage: 75,166 GT 長さ Length: 252 m (827 ft)
幅 Beam: 32.2 m (106 ft)    吃水 Draught: 8.0 m (26.2 ft)
航海速力 Speed: 23 knots (43 km/h; 26 mph)
船客定員 Capacity: 1,928 passengers   乗組員 Crew: 766








7時に入港予定ということで早めに出かけたが6時20分くらいに新港第4突堤(ポートターミナル)に着くと
早くもコスタビクトリアの姿が見えていました。

上の3枚の写真はコスタビクトリアの右舷側の写真です。



上の写真はコスタビクトリア号左舷側の側面。


2013年5月12日、神戸港に初めて入港したイタリア船籍のクルーズ船のコスタビクトリア(Costa Victoria)
についてブログ記事にしていますのでよかったら参照してください。

コスタビクトリアが神戸港へ入港 on 2013-5-12


動画も撮りましたのでリンクしておきます。

コスタビクトリア号が神戸港へ寄港 on 2014-4-4 その1

コスタビクトリア号が神戸港へ寄港 on 2014-4-4 その2

コスタビクトリア号が神戸港へ寄港 on 2014-4-4 その3

コスタビクトリア号が神戸港へ寄港 on 2014-4-4 その4


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR高円寺駅南の寺社めぐり その5 祥雲山 福寿院

2014年04月02日 09時52分32秒 | 神戸市以外の兵庫県
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第5回で 祥雲山 福寿院を紹介します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回 如法山 長善寺(赤門寺)

第4回 瑞祥山 鳳林寺


祥雲山 福寿院の基本情報

住所:東京都杉並区高円寺南 2-40-5 TEL:03-3311-7525
宗派:曹洞宗 山号:祥雲山  御本尊:金銅釈迦如来像
開創:慶長19年(1614)4月


杉並八小の東隣にあります。明治40年(1907)4月に四谷2丁目から移転、寺町形成のきっかけとなったお寺です。

Google地図はこちら

由緒(現地の説明板より)


  福寿院
当院は、祥雲山と号する曹洞宗の寺院です。
本尊は、像高46cmの金銅釈迦如来像(江戸期)で杉並区内においてはたいへんめずらしい「金銅仏」
です。江戸時代の「御府内備考続編」には、当寺の起立は不詳としながらも天正19年(1591)に
境内地を拝領したのを開創としています。
一方明治10年の「寺院明細帳」には、明確に慶長19年(1614)4月を開創としており、何等かの
根拠に基づいているようですが、くわしいことは明らかでありません。寺伝によれば開山は
雪底春積(寛永4年1627年寂)と伝えられ、徳川幕府創業に功績のあった伊賀藩士の慰霊のために、
同藩士の三浦氏等12人が開基となって開創したとされています。
当院は、「文政寺社書上」によると、麹町13丁目(現新宿区四谷2丁目)に境内拝領地549坪を持ち、
間口8間半奥行5間の本堂と、他に鎮守堂、薬師堂が建てられていました。明治40年4月区画整理の
ため現在地にに移りました。
現本堂は、昭和11年類焼で失い昭和39年再建されました。文化財として、地蔵菩薩立像(江戸初期)
地蔵菩薩半跏像(江戸初期)などがあります。
本堂の裏に「東京都指定旧跡(昭和15年2月指定)」となっている「渓斎池田英泉之墓」があります。
英泉(1790-1848)は江戸星ヶ岡(現千代田区永田町)に生まれ、多くの美人画、絵本や
木曽街道69次などの風景画を描いた、江戸時代後期の代表的な浮世絵師でした。

  平成7年3月 杉並区教育委員会



上の写真は福寿院の遠景です。


上の写真は門を入って左手にある水子地蔵尊。


上の写真は東京都指定旧跡となっている池田英泉の墓です。

Wikipediaより渓斎 英泉=池田英泉の解説を引用させていただきます。

渓斎 英泉(けいさい えいせん、寛政2年〈1790年〉- 嘉永元年7月22日〈1848年8月20日〉)とは、
江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師。

浮世絵師としての英泉は、当初、師・英山が描くような儚げな女性の美人画を描いていたが、
その後、独自の妖艶な画風で人気を博することになる。6頭身で胴長、猫背気味という、屈折した
情念の籠った女性像が特徴である。また下唇が厚く、下顎が出たような顔も特徴的といえる。

英泉は深川のような岡場所や吉原遊廓の女を、妖艶さと強い意志を湛えた眼差しを持つ女性として
描いた。英泉の描いた肉筆美人画は、江戸時代の後期、文化・文政期の退廃的な美意識を象徴的に
表し、幕末の世情を反映したアクの強い画風を示している。それは“えぐみ”と言われる既存の
美意識を逆転させたところに美を見出す点で、時代の感覚と符合した。




説明板の拡大した画像はこちら


上の2枚の写真は池田英泉の説明板(現地 掲示)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR高円寺駅南の寺社めぐり その4 瑞祥山 鳳林寺 

2014年04月01日 06時11分46秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第4回で瑞祥山 鳳林寺を紹介します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回 如法山 長善寺(赤門寺)


瑞祥山 鳳林寺の基本情報

住所:杉並区高円寺南2-39-1  TEL:03-3311-8258
宗派:曹洞宗 御本尊:木造釈迦如来坐像  山号:瑞祥山
開創:永禄元年(1558)江戸牛込御門外舟河原付近で開創
Google地図へのリンク

由緒(現地の説明板より)


当寺は瑞祥山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏(宋朝風蓮華上宝冠の華厳会釈迦如来
像)です。開創は永禄元年(1558)で江戸牛込御門外舟河原(現新宿区市ヶ谷飯田橋駅周辺)の
地に草創され、後に本寺吉祥寺(現文京区本駒込)八世松栖用鶴大和尚(1630年歿)が開山と
なり、寺容を整えました。
開基は旗本荒川長右衛門重照(1657年歿)で中興開基は同じく旗本で御蔵奉行をつとめた
長田新右衛門房重(1693年歿)です。その後寛永12年(1635)寺域が幕府御用地となり、
あらたに牛込七軒寺町(現新宿区弁天町)に拝領地を得て移りました。
更に明治末年弁天町通りが拡張されることになり寺域が狭くなり、280年を過した牛込より
大正3年現在地に再度移転しました。
明治7年には現新宿区西早稲田にあった夾山寺(吉祥寺末)が当寺に合併しました。
当寺境内には、家庭和合を守る愛染明王と厄除け子育ての延命地蔵尊を安置する二つのお堂が
あります。延命地蔵尊は行者晴雲が願主となり諸国の神社仏閣巡拝でうけたお札を納めるため
元文2年(1737)夾山寺に造立され、「大石仏の地蔵」といい伝えられました。
墓地には幕末の医家多賀谷楽山、書家画家の多賀谷向陵・酔雪、その門人の金井莎邨等の墓が
あり、太田蜀山人の師内山賀邸も当寺に葬られ過去帳に名をとどめています。

 昭和61年1月 杉並区教育委員会



上の写真は山門です。瑞祥山の扁額が架けてあります。


上の写真は本堂です。



上の写真は延命地蔵。高さが3.6メートルもあり都内最大の石地蔵だそうです。


上の写真は延命地蔵の前の石造仏群です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする