昨日(7日)、突然、高江の佐久間さんが亡くなったという連絡が入った。まさか、彼とは3月末にも会ったばかりなのにと驚いた。その後、4月に入って再入院したということは聞いていたが、こんなに早く亡くなられるなんて信じられない。享年72歳。死因は肺がんだ。8日は、辺野古、高江とまわった後、佐久間さんのお通夜に参加するため、沖縄市に向かった。
佐久間さんは大阪出身。2004年から辺野古に住み、ボーリング調査阻止闘争に参加。その後、2007年に高江のヘリパッド工事が始まると、辺野古から高江に移り、ヘリパッドいらない住民の会の一員として頑張ってこられた。私が高江に行くようになったのは2007年の秋からだったが、その頃、佐久間さんはいつもN1ゲートのテントに一人泊まり込んで監視行動を続けておられた。コテコテの大阪弁で笑顔が素晴らしい人だった。
その後、佐久間さんは、毎朝、東村平良の交差点で、住民の会の幟を振りながら通り過ぎる車に「高江をよろしくお願いします!」と大声をあげて挨拶を続けてこられた。炎天下の県道は煮えたぎるような暑さだったが、一日も休むことなく汗だくになって交差点に立ち続ける佐久間さんには頭が下がった。そして、時々、そんな佐久間さんから、高江にいる私たちに電話が入った。「今、防衛局の職員らがそちらに向かった!」 そう、佐久間さんの朝立ちは、地元住民への挨拶だけではなく、防衛局の動きを監視する目的もあったのだ。
体調を崩されてからも、住民の会のメンバーらがそれこそ家族のようになって毎日の生活や入院の世話を続けてきた。明日の葬儀も、住民の会が中心になってすすめられる。佐久間さんは、多くの友人を得た沖縄で骨を埋めることができて、きっと幸せに思っておられることだろう。
夜、Yさんから連絡によると、明日の葬儀でお経をお願いしている知花昌一さんが佐久間さんの法名をつけてくれたらしい。高江院釋世務(こうこういん しゃくせいむ)、釋世はお経の中にあるそうで、世の中のために尽くした、役に立ったという意味を込めたという。
心からご冥福をお祈りします。