チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

ロラたちと琵琶湖へ

2007年11月13日 | マニラ・ロラズハウス
 10時前に修学院荘に着いた。
 昨夜、植物園でのロラたちの写真を大きくプリントしたので、ピラールさんとナルシサさんに渡す。2人は花が大好きなので、本当に喜んでくれた。

 皆で詩仙堂を散策。天気もよく、庭園が広くて気持ちがいい。
 ハリーナで昼食。その後、大急ぎで琵琶湖へ。
 大津港でミシガンに乗船。陽気な楽団のお迎えに、ロラたちも何事だろうとウキウキしている。船が出ると、カモメが餌を求めていっぱい集まってきた。ロラたちは、かっぱえびせんを撒いて、大喜び。ピラールさん(写真左)は、かもめを捕まえようと何度も飛び上がってはしゃいでいた。
 平日で乗客はあまりいず、広い甲板でロラたちはいつのまにか踊りだしていた。



 (カモメに大喜びのロラたち。右がナルシサさん、左がピラールさん)


     (ミシガン号の甲板で踊りだすロラたち)


 陽気に踊りまわるロラたちだが、2人の体験談には驚くほかない。

 ナルシサさん(78歳)
 彼女が14歳のときに、村に日本軍が侵攻。彼女の目の前で、村長だった父親は日本軍に拷問を受け、母親は暴行されたという。その後、家を焼き払われて、父親、母親、弟たちは焼き殺されてしまった。彼女ら3人の姉妹は、そのまま日本軍に連行され、夜は、強姦される毎日が続く。長姉は途中で行方不明となってしまった。数ヶ月後、日本軍が敗走し、彼女ら2人はやっと救出された。
 彼女の右腕には、今も、当時、日本兵に暴行されたときに受けた骨折の後が残っている。また、姉は、あまりの体験のためか、戦後、精神に異常をきたしてしまった。3年前に死んだ姉の身体には、当時の火傷の後がいっぱい残っていたという。

 ピラールさん(80歳)
 彼女は15歳のときに被害を受けている。村にやってきた日本軍に捕まり、頬に火のついたタバコを何度も押し付けられて火傷し、鼻をナイフで切られて血だらけになったという。傷が回復したとたん、今度はレイプされる。
 その後、ピラールさんら4人の女性は、腰ヒモでつながれたまま、日本軍に連行された。そして、夜は、4人が腰ヒモでつながれたまま日本兵に暴行され、昼は、洗濯などの仕事を強いられる毎日が続いたという。
 彼女の頬には今も日本軍に受けた火傷の後があり、鼻の傷もそのまま残っている。毎日、鏡を見るたびに、当時の体験が蘇えってきて身震いするという。
 ピラールさんは一昨年に続いて2回目の京都。また、昨年2月には、マニラ郊外の彼女の家も訪問した。今回は、その頃より、少し身体が弱られたようなのが気になる。

 こんな凄惨な体験を持つロラたちだが、こうして楽しんでくれているのを見るのは、本当に嬉しいことだ。

 琵琶湖で目いっぱい楽しんで修学院荘に戻ったのは夕刻になってしまったが、今日は登久子の誕生日なので大慌てで帰宅。詩仙堂の前の茶店で買った団子がバースデーケーキ。
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