(マニラのロラズハウス。ロラは帰った後でおられなかったが、リッチーさんらが陽気に迎えてくれた。左は、ロラ・ピラールさんの孫娘)
早いもので今回のサマール滞在も今日(16日)で終り。早朝の飛行機でマニラに飛ぶ。
マニラで1泊して、17日には帰国する。
下痢はまだ続いているので、気が気ではない。
マニラでJAPSAMの卒業生・Mさんが働いているマニラ新聞社を訪問。Mさんも、今では、もう中堅記者としてバリバリ仕事をしている。
サントーランのサルバシオンさんの家に荷物を預け、ロラズハウスに向かう。
ここは、大戦当時、日本軍の性暴力被害を受けたロラたちのセンター。日本で寄金を集め、やっと広い一軒家を買うことができたのだ。(その詳細は、下欄の各ブログを見てほしい。)
久しぶりの訪問だったが、リッチーさんたちはいつものように陽気に迎えてくれた。
サマールからのお土産として、ティナパ(魚の燻製)を渡す。マニラでも、サマールのティナパは有名だから、喜んでくれた。我々は、2005年以来、2回、ロラとリッチーさんたちを京都の証言集会に招待しているから、「●●は今、どうしてる?」、「○○は元気か?」と、リッチーさんも懐かしそうだ。
ただ、今日は、残念なことにロラたちは誰もいなかった。皆、歳をとって、なかなかここへも来られなくなっているらしい。あの元気だったロラ・ピラールさんも、家でひっくり返って腕を折ってしまったという。(それでも、ピラールさんの孫娘が、ロラズハウスに泊り込んで手伝っていた。)
そういうリッチーさんも、腰を痛めて、杖が頼り。7月1日には、日本大使館前での抗議行動を予定しているのだが、中止しようかどうか迷っているという。
日本政府が、何の謝罪も補償もしないまま、ロラたちはどんどん歳をとってしまっている。もう残された時間はほとんどない。
(ロラズハウスの壁には、亡くなったロラたちの写真がズラリと並んでいる。)
ロラたちが自ら作った、日本軍に被害に遭ったときの様子。
<参考>
*「チョイさんのサマール便り」より
・今も語り伝えられる勇敢なロラ---あるサマールの戦時性暴力被害者の話(2005.8.14)
・「サマールの勇敢なロラ」のお墓参り(2005.9.29)
*「チョイさんのサマール日記」より
2006.4.27、11.23
2007.8.26
2008.3.6、3.17、8.13、8.14、
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