8月31日(水)は識名トンネル住民訴訟の弁護団会議。長くかかったがこの秋からいよいよ証人尋問に入れそうだ。仲井真前知事、当時の土建部長ら県の幹部2名、そして大成建設の担当者らの証人尋問を実現させ、「沖縄県始まって以来の不祥事」と言われるこの問題の全容を解明して沖縄県民が被った損害を賠償させたい。
会議が長引き、午後、名護に向かう。遅くなってしまったので、今日は高江行はあきらめる。
9月1日(木)は午前3時半起床。午前4時、Kさんに引率されて関西の学生ら8名がやってきた。皆、18歳~19歳というから頼もしい。若者たちの純粋な目で、じっくりと沖縄の現状を見てほしい。
彼らを先導して高江へ。N1裏テントには午前5時過ぎに着いた。いつ、テントの強制撤去が始まるかもしれないということで、多くの人たちが泊まり込んでいる。午前6時から集会。今日の行動を確認する。
(午前5時過ぎのN1裏テント。もう大勢の人たちが集まっている)
(午前6時からの集会)
集会を終え、それぞれの配置に着く。今日からG地区、H地区の工事が始まるかもしれないので、揚水発電所入口で監視をするグループ、そして、県道70号線でダンプトラックの進入を阻止するグループの2つに分かれる。我々は県道70号線のメインゲート北へ向かった。
メインゲート北には、今日もアメリカの「平和のための退役軍人会」(VFP)のメンバーたちがきてくれた。何人かは、以前、私が辺野古・大浦湾の海を案内したメンバーたちだ。再会を祝してがっちりと握手。
やがて砕石を積んだダンプトラックが近づき、機動隊が県道を封鎖した。我々も県道いっぱいに車を止め、阻止態勢に入る。何人かの女性は車の下に潜り込んだ。絶対に工事車両の進入を許さないと、それぞれが必死の行動を行っている。
(車の下に潜り込んで抵抗を続ける女性たち)
VFPのメンバーらは、3人が車の上で横断幕を掲げ、5人は座り込みに参加した。
うるま市の島ぐるみ会議の一行51名が大型バスで来てくれた。皆で、車の前に座り込む。
機動隊は、当初、VFPのメンバーらにどう対応していいか分からず、長い時間戸惑っていた。それでもしばらくして強制排除が始まった。VFPのメンバーらも必死に頑張っている。
(座り込んだ人たちを強制排除した後、VFPメンバーが乗ったままのワゴン車を小型ジャッキを入れて動かし始めた。ワゴン車は大きく揺れる。危険きわまりない)
2時間以上かかって座り込んだ人たちを排除し、車両を動かした後、機動隊の壁の向こうを10台ほどの砕石を積んだ大型ダンプが通過していった。今日も、前後を数台の警察車両が警備している。
(救急車で運ばれるAさん)
今日も機動隊は抗議する人たちを力づくで強制排除を続けた。その混乱の中で、Aさんが突然倒れ込んでしまった。彼は心臓疾患を持っており、容態が心配される。VFPの一人が元衛生兵だというので様子を見てくれたが、「危険な状態」だとのこと。機動隊はいつも負傷者が出ても知らぬ顔をしている。それでも今日は放置できないと思ったのか、やっとAEDを持ってきた。
その後、簡単な集会をした後、裏のG地区、H地区の入口に向かう。こちらでも、今日から作業が始まるかもしれないので、大勢の人たちがゲート前に座り込んでいた。
やがて多数の工事関係車両が高江の集落を通る村道を通過したという連絡が入った。この高江の集落を通る村道については、防衛局長が何度も「工事車両は通らない」と約束し、東村の村長も議会本会議で「集落の村道を工事車両が通過するのなら身体をはってでも阻止する」と明言したことがある。ここを工事車両が通ることは有り得ないのだ。皆、絶対に通過させないよう頑張ろうと確認する。
やがて機動隊に先導されて工事関係車両がやってきた。農道でしばらく座り込んだ後、G地区、H地区の入口となる揚水発電所のゲート前で阻止態勢に入る。VFPの連中も来てくれた。
東村の担当課長らに連絡し、現場に来てもらう。村として、今日の状況を確認し、防衛局に工事関係車両を通行させないよう、再度、抗議してくれと要請する。課長らは、「上司に伝える」とだけ言って引き上げて行った。
東村の課長らが引き上げると、機動隊の強制排除が始まった。ゲート前に座り込んでいる人たちを力尽くで引き剥がしていく。今日の機動隊は、今までになく手荒い。工事が遅れているので防衛局も焦っているようだが、機動隊にも抗議行動をすぐに排除せよという指示が出ているのだろう。
午後3時をすぎてやっと今日の行動を終えた。朝は県道70号線、午後も揚水発電所のゲート前で座りこんで機動隊のごぼう抜きに抵抗を続けたのでさすがにもうぐったりだ。