の展覧会へ。「ボッティチェリとルネサンス展」である。毎日新聞が主催者の一つだからなんだろうけれど、新聞屋がチケットをくれたわけ。入館料が結構高いらしいので、まあ、お得だったのではないでしょうか。
新聞の特集欄を読むとボッティチェリの絵画に感想が集中しちゃっていたのだが、この展覧会の主題はボッティチェリじゃないんですよね。彼が生きていた当時のフィレンツェにおける経済情勢、特にメディチ家の発展と衰退に伴うあれこれ、や、貨幣とか金融業の発展等々・・・・・。
宗教って贅沢や金が嫌いなんですねえ・・・・・・。キリスト教が金貸しを糾弾したり、贅沢品を規制したり、商人に「後ろめたい感」を起こさせる感じ、今も何となくそういう流れってありますけども。
その後ろめたさを解消する手立てとして、芸術家のパトロンになって、というのがトレンドになったと。でそれに乗っかってボッティチェリ等々が活躍したということですね。
しかしボッティチェリの晩年近くになったら今度は「ぜいたくは敵だ!!」コールが起こる。メディチ家の没落に伴ってそういう流れが起きてきて、絵が焼かれたりする。で、ボッティチェリも没落してゆく。
この展覧会は、どちらかというと、そういう世の中の流れを紹介してるんです。
展覧会場を出て渋谷を歩くと。東急百貨店のすぐ前にファストファッションの店がある。看板にでかでか「これがいくら、あれがいくら」って書いてあって、バカ安なんですよ。高級ブランドのショーウインドウのすぐ近くなのに。
今の世の中の流れって、前代未聞だな。
なんでもある。贅沢品が溢れかえってる。だから、もう要らないってなってきてるのね。別に欲しいものなんかない、ブランド品なんか、必要な時に借りればいいじゃん、買う必要ないって。確かにその通りだよね。ヘタに買っちゃうと、その後の維持経費がやたらかかったりするしさ。それに、そこそこの値段でそれなりのものも手に入っちゃうし。服なんか、とりあえずイメージをデパートとかで見つくろっといて、似た奴を「しまむら」で探すとあるんだよね、これが。
不況だというけど、そりゃそうだろう。金が手に入らない、という根源的な問題も大きくなってるけど、それだけじゃなくて、金の使い道が全然違ってきちゃってるんだもの。今までの処方箋じゃあどうにも対処できないんじゃないかな。
新聞の特集欄を読むとボッティチェリの絵画に感想が集中しちゃっていたのだが、この展覧会の主題はボッティチェリじゃないんですよね。彼が生きていた当時のフィレンツェにおける経済情勢、特にメディチ家の発展と衰退に伴うあれこれ、や、貨幣とか金融業の発展等々・・・・・。
宗教って贅沢や金が嫌いなんですねえ・・・・・・。キリスト教が金貸しを糾弾したり、贅沢品を規制したり、商人に「後ろめたい感」を起こさせる感じ、今も何となくそういう流れってありますけども。
その後ろめたさを解消する手立てとして、芸術家のパトロンになって、というのがトレンドになったと。でそれに乗っかってボッティチェリ等々が活躍したということですね。
しかしボッティチェリの晩年近くになったら今度は「ぜいたくは敵だ!!」コールが起こる。メディチ家の没落に伴ってそういう流れが起きてきて、絵が焼かれたりする。で、ボッティチェリも没落してゆく。
この展覧会は、どちらかというと、そういう世の中の流れを紹介してるんです。
展覧会場を出て渋谷を歩くと。東急百貨店のすぐ前にファストファッションの店がある。看板にでかでか「これがいくら、あれがいくら」って書いてあって、バカ安なんですよ。高級ブランドのショーウインドウのすぐ近くなのに。
今の世の中の流れって、前代未聞だな。
なんでもある。贅沢品が溢れかえってる。だから、もう要らないってなってきてるのね。別に欲しいものなんかない、ブランド品なんか、必要な時に借りればいいじゃん、買う必要ないって。確かにその通りだよね。ヘタに買っちゃうと、その後の維持経費がやたらかかったりするしさ。それに、そこそこの値段でそれなりのものも手に入っちゃうし。服なんか、とりあえずイメージをデパートとかで見つくろっといて、似た奴を「しまむら」で探すとあるんだよね、これが。
不況だというけど、そりゃそうだろう。金が手に入らない、という根源的な問題も大きくなってるけど、それだけじゃなくて、金の使い道が全然違ってきちゃってるんだもの。今までの処方箋じゃあどうにも対処できないんじゃないかな。
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