気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

早春信濃路北上サイクリング

2009-03-16 20:58:14 | サイクリング
MTさんがこのツーリング企画に乗ってくれた。
15日(日)4時前に起床し4時50分頃自宅を出発。
府中四谷橋手前を浅川CRに入る。まだ暗い。
多摩都市モノレール下の新井橋を渡る。
少し早めに万願寺駅手前の日野バイパスを左折したため迷走してしまったが
なんとか甲州街道駅に出てかって知ったる甲州街道で日野駅に余裕で着く。
やはり不測の事態を想定した余裕の出発でありたい。(言い訳じみているが)
日野駅5時40分発高尾駅5時57分着。
松本行き電車に乗ったら輪行袋が目に付き、そして、MTさんに気付く。
1電車前に着いたとのこと。
日曜日なのか乗客は少なく、自転車は邪魔にはならなかったようだ。
8時28分ようやく小淵沢駅に着く。
8時40分に輪行袋を解いて出走準備完了、事前の調査地図を見ながら
八ヶ岳高原ライン(県11号)に入る。
MTさんとは野辺山駅待合わせで自由走行にした。
3,4キロ坂を上ったところで勾配8%の坂が延延と続く。




前方には八ヶ岳が見える。途中「信玄棒道」の看板。
なんか聞いたような名前だと思ったが、そのまま通り過ぎる。




さらに進み木立の合間に南アルプスが見える。八ヶ岳高原ラインに入る
途中での眺望がよかったのだが撮り損ねた。
その後もあちこち撮影チャンスがあったのだが・・・



そのうち道は山すそを縫うように通るので蛇行する。
何度も曲がるうちに気付いたのだが、沢筋に向かうと下り坂になる。
そのほうが沢水が道に溢れ出すのを防ぐことになると納得。

そして、まきば公園に着く。ここからの眺めは良い。
特に富士山が。




八ヶ岳も間近に迫り壮観である。






予定より押しての走行であるがようやく清里ライン(R141)に出る。
ピークから100から200mは下ったかも知れない。



後で、MTさんがあまりに上りすぎだ、とぼやいていた。

少しして横を挨拶して追い越していくサイクリストがいた。
その先の橋で自転車を欄干に立てかけて写真を撮っていた。
私も、と同じように八ヶ岳を背景に一枚撮る。




JR最高地点付近では八ヶ岳が一望できる。
立山「連邦」というのが話題になったが、ここは立派な八ヶ岳「連邦」である。




予定より1時間遅れて11時半頃にようやく野辺山駅に着く。



しばらくしてMTさんも到着。マイクロバスの観光客がドヤドヤって感じで
野辺山駅を背景に記念写真を撮ったりしていた。
MTさんが走りはじめの一方的な坂道で「足」を使ってしまったようだ。
野辺山駅で持参の軽食で一休みする。

次は一方的な下りなので佐久穂町役場で待ち合わせることにする。
途中、八ヶ岳を背景に農作地が広がる風景を撮る。



この清里ラインは別名「サラダ街道」とも言うらしい。

下りが快適であったが風が冷たい。下り坂で信濃の早春だから当然か。
役場を通り過ぎたようで、浅間山が良く見えるところで休憩する。
山頂付近からは白い煙が立ち昇っている。
交差点の標識から宿岩という場所のようだ。




佐久平駅東交差点を右折し岩村田交差を左折、小田井北交差で右は
軽井沢の標識があった。前方は上り坂が見える。見えているものが
嫌なら良さそうな右折がいいなぁ、と思いながらMTさんを待ち即決。
が、曲がった前方には御代田駅に続く延延とした上り坂。
まぁ、マーフィの法則どおりだ。
「見えている困難を避け、見えない先の選択にも同様の困難が待っている。」
でも坂の途中に見えた長くすそを引く浅間山の勇姿と噴煙は絵になる。




やがて三ツ谷東交差で国道18号に出る。交差点近くのコンビニで休憩。
この付近の18号は日本ロマンチック街道とも称される。そういえば途中
コスモス街道もあった。例の狩人の曲にもあった。野辺山付近のサラダ街道も
信濃はとってつけたような街道が多い。
追分宿あたりでも浅間山が間近に見えたので一枚撮る。
噴煙が活動の活発さを物語っている。




18号が旧道と新道の分岐を旧道に入る。ここはもうMTさんのナビに任せ
あたりをきょろきょろしながら付いていく。
冬の軽井沢は観光客も少なく良い雰囲気である。尤も夏の雑踏は知らないのだが。
軽井沢駅付近で休憩し、この先すぐ碓氷井峠とのことで行く。
確かにちょっといっただけで峠だ。というか、ここが峠?ってな具合。



多分群馬から上ってくれば感慨一入なのだろうが。
車が少ないね、と聞くと大半は新道(バイパス)に流れているんだろうとのこと。

ここからは横川駅まで自由走行にする。曲がりくねった一方的なくだりが続く。
しかし、道は荒れているので必ずしも快適な下りを楽しめるとはいえない。
だが、旧道の荒れるに任せて廃道へと変わりつつある姿に先行した信越線の廃線の
痕跡のほうにも心が動いた。
国道18号線旧道よりも横川・軽井沢間の鉄道の廃止のほうが私にとって時代の
変遷を感じさせる。アーチ橋は車中の者には初めて見る姿である。




旧道を下りながら、列車は喘ぎながら登っていったのだ、と感慨深く遠い昔
夜行急行・妙高や特急・あさまを利用していたことを想起した。
今は帰省に際しては、もっぱら越後湯沢経由ほくほく線の利用である。
盆暮れ車で帰省する田舎の知り合いの人たちは、この旧道を走行したのだ。
渋滞で10時間以上かかったという話も聞いていたが、確かにこの何十もの
カーブの続く坂道を越えるのは難儀なことだったと容易に想像できる。

有名なめがね橋のそばには駐車場もある。




午後4時40分頃ようやく横川駅に着く。



峠の釜めしのおぎのやが国鉄・JR時代を通じて横川駅と強い関係であったと
わかる。駅周辺のあちこちに創業明治18年ののぼりが。




駅前広場には動輪が展示されていた。左の動輪の内側にある歯車は急坂を
上り下りするとき、動輪がスリップしないよう制御するアプト式の仕組と
思える。



MTさんもほどなく到着する。高崎まで行こうかと提案していたが、日没間近で
あったので、ここで電車に乗る事にする。
5時11分発に乗るため輪行の準備をする。両輪を外すタイプのMTさんの輪行
準備の完了が私の前輪を外すのより早かった。要領の良さの違いか。
で、ビールは?ない!おぎのやの売店のおばさんに尋ねると「置いてないよ」と。

高崎で購入。5時59分発上野行き電車に乗り待望のビールで疲れを癒す。
MTさんはしっかり缶ビールの大と小を買っていた。
浦和で長い通路を移動し京浜東北線に乗換え、次の南浦和で武蔵野線に乗換える。
電車はいいタイミングで入線してきた。
府中本町でMTさんと別れ聖蹟桜ヶ丘駅からかえる。駅前で輪行袋を解いて
走行準備していたら、同年輩とおぼしきおじさんが話し掛けてきた。
「自転車高いのは百何十万もするんだってね」「えぇ、まぁそういうのもあります」
「これは5,6万で買えるのかね」「(実際はそのくらいで譲っていただいたのが)
ちょっとそれでは難しいですね」・・・・

8時45分頃に無事帰宅する。大満足の良い一日であった。。




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