投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月17日(金)10時59分48秒
>筆綾丸さん
憲法学者が市民運動の先頭に立って政権の打倒を図るというのは、遥か半世紀以上も昔、60年安保騒動のコミカルな二番煎じでしたね。
高度経済成長前の「発展途上国」の時期だったら、ケイモウ的な憲法学者が民衆を導く自由の女神ないし男神として活躍することもさほど不自然ではなかったかもしれませんが、先進国となってから幾星霜の今日では、日本の憲法学者に期待されるのはデモの先頭に立つことではなく、他の先進国の憲法学者と肩を並べて、新しい国際環境の中での新しい憲法秩序を構想することではないかと思います。
日本語の壁に守られた日本史学と異なり、憲法学は言葉の壁など存在しない世界で、実際に石川氏は英語・フランス語・ドイツ語に精通し、おそらくそれ以外にも何か国語はそれなりに理解できるほどの有能な人ですから、国際的レベルの研究を進めるだけの基礎的能力は充分にある人なのでしょうが、そういう人材が何故に清宮四郎研究のような田舎臭い黒ミサ研究をやっているのか。
本当に不思議ですし、もったいないことだと思います。
>フロイト
私が学生の頃は大学生協書籍部の書棚にユングが溢れていて、フロイトなんかもう古いという風潮があったような微かな記憶がありますが、私自身は全く興味が抱けず、ユングもフロイトも読みませんでした。
私が個人的にそれなりの危機意識を感じてユング、というか河合隼雄が日本人向けに分かりやすく翻案してくれたユングの学説に夢中になったのは世間のユングブームの相当後、1990年くらいでしたが、その個人的ユング熱も、河合の『宗教と科学の接点』(岩波書店、1986)を読んで、これは駄目だなと思い、急速に冷えてしまいました。
現在の私の関心は「宗教的空白」なので、宗教に妥協的なユングよりも無神論を徹底したフロイトの方が参考になりそうです。
フロイトの無神論についてはピーター・ゲイの『神なきユダヤ人』に既に結論は出ているのですが、『フロイトⅠ・Ⅱ』でフロイト学説が生まれた背景、家庭環境や社会環境を少し詳しく見ておきたいですね。
河合隼雄(1928-2007)
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
黒ミサとマタタビ 2017/03/16(木) 14:22:44
小太郎さん
東大法学部教授と云えば、世界的にはともかく、少なくとも日本では最も中心的な地位の筈ですが、なぜ黒ミサのようないかがわしいマージナルな領域に入れ込むのか、奇妙なパラドックスではありますね。
若い頃、フロイトとマーラーに深入りしたことがありますが、あの世界は一度入ると抜け出すのに苦労するので、最近は、遠くから眺めるようにしています。
昨日、『猫忍』を見ました。深手を負った忍者がマタタビのエキスを飲んで元気になる、というストーリーは笑えました。父上は、忍者の世界に身を置いているのに緊張感が微塵もなく、弛んだ唯のデブ猫ですが、首から下げた手裏剣はなかなかのアクセサリーでした。
小太郎さん
東大法学部教授と云えば、世界的にはともかく、少なくとも日本では最も中心的な地位の筈ですが、なぜ黒ミサのようないかがわしいマージナルな領域に入れ込むのか、奇妙なパラドックスではありますね。
若い頃、フロイトとマーラーに深入りしたことがありますが、あの世界は一度入ると抜け出すのに苦労するので、最近は、遠くから眺めるようにしています。
昨日、『猫忍』を見ました。深手を負った忍者がマタタビのエキスを飲んで元気になる、というストーリーは笑えました。父上は、忍者の世界に身を置いているのに緊張感が微塵もなく、弛んだ唯のデブ猫ですが、首から下げた手裏剣はなかなかのアクセサリーでした。