学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

ピーター・ゲイ『ワイマール文化』

2017-03-03 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 3日(金)09時41分36秒

『本の神話学』の「二十世紀後半の知的起源」で、山口昌男はピーター・ゲイの『ワイマール文化』(到津十三男訳、みすず書房、1970)を取り上げてかなり詳しく紹介しているので、その内容を確認するために同書を図書館で借りて読み始めたのですが、翻訳のレベルがあまりに低いので、ちょっと驚きました。
「序文」の冒頭を少し紹介してみると、

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 ワイマール共和国は、一九三三年に死んでからわずか三五年しかたっていないのに、もう伝説になっている。目だった造形力をもってはいたが、苦痛にみちた短い生涯、あるいは殺害、あるいは病気による衰弱、あるいは自殺によって招かれたその悲劇的な死は、恐らくはしばしばぼんやりした、しかし常にかがやかしい印象を人々の心に残した。われわれがワイマールのことを思う時、それは美術、文学および思想における近代化のことであり、父親に対する息子の反逆、伝統美術に対するダダイズム、肥満した俗物に対するベルリン人、古風な道徳家に対する自由人のことである。われわれは、三文オペラ、映画のカリガリ博士、魔の山、バウハウスと女優のマレーネ・ディートリッヒのことを思う。そして、われわれはとりわけ、ワイマール文化を全世界のいたる所に輸出した亡命者たちのことを思う。
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という具合で(p5)、まあ、何となく意味が分からない訳ではない程度の「ぼんやりした、しかし常にかがやかしい印象を人々の心に残」さない文章が延々と続きます。
三十ページほど読んでさすがに我慢できなくなり、改めて調べてみると1987年に亀嶋庸一氏の新訳が同じみすず書房から出ていることに気づき、そちらを入手して読んでみたところ、先の部分は、

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 ワイマール共和国が死んだのは、僅か三五年前の一九三三年であるが、しかし、それは、すでに一つの神話と化している。すぐれた業績に輝く苦痛に満ちたその短い生涯と、殺害や病いからくる消耗や自殺によるその悲劇的な死とは、人々の心の中に、恐らく大抵は漠然としているけれども常に光り輝く印象として残っている。ワイマールについて考える時、われわれは美術や文学思想における革新〔モダニティ〕について考える。例えば、父親に対する息子の、伝統芸術に対するダダイズムの、太った俗物に対するベルリン子の、古いタイプの道徳家に対する放蕩者の反抗のことを、あるいは『三文オペラ』『カリガリ博士』『魔の山』、バウハウス、マレーネ・ディートリッヒのことを考える。そして、とりわけ、世界のいたる所にワイマール文化を輸出した亡命者のことを考えるのである。
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となっていて、極めて明晰ですね。
1970年版の奥付には到津十三男(いとうず・とみお)氏の略歴として、

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1912年に生れる.
1954~56年の3年間朝日新聞社特派員としてドイツに滞在.
現在 国際問題を専攻.
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とあり、ネットで検索したら「東京外国語学校ドイツ語科卒」だそうです。
また国会図書館で検索してみると、『ワイマール文化』の他にヘルベルト・シヤック『人間と労働』(増進堂、1944)とワルター・ケンポウスキ編『君はヒトラーを見たか : 同時代人の証言としてのヒトラー体験』(サイマル出版会、1973)の二冊の訳書があり、単著も五冊あるそうで、一見すると立派な経歴と業績の持ち主ですが、内実は疑問ですね。
明らかに英語もまともに読めない人が朝日新聞のドイツ特派員というのはちょっとびっくりです。
もちろん山口昌男も翻訳の誤りを指摘していますが、文学書ならともなく、社会科学の書籍で複数の翻訳が同じ出版社から出るのは相当珍しいことなので、あるいは山口昌男の指摘を受けて翻訳のレベルがあまりにひどすぎることが問題になり、みすず書房が会社の信用を維持するために改訳を試みたのですかね。
ま、そんなことを想像したくなるほどのレベルです。
ピーター・ゲイは非常に優れた人で、他の著作もまとめて読んでみたいですね。

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『ワイマール文化』

革命と反革命の拮抗するなかで祝福を受けずに生まれたワイマール共和国。強大な力の崩壊は、しかし、文化において好ましい強力な反作用を生み出した。
哲学や精神分析、社会研究の分野において、思想の自由と革新性を重んじ、根本的探求に従事する真の理性の共同体が誕生し、文学や建築、美術、映像の分野において、すぐれた新しい芸術を数多く育んだワイマール文化は、いかに生まれ成長していったのか。
帝政時代に芽生えた精神が、共和国の現実政治を反映し、批判しながら展開し、その胚胎していたものを一気に華ひらかせた「黄金の20年代」を、政治史の視点を越えて、文化史の側面から見直し、新たなワイマール像を描く。
http://www.msz.co.jp/book/detail/05037.html

Peter Gay(1923-2015)
https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Gay
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今福龍太氏の「校閲者注記」について

2017-03-02 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 2日(木)09時29分44秒

『本の神話学』(初版は中央公論、1971)の「二十世紀後半の知的起源」に、

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 ワールブルクはインディアンの調査に赴いてはいないはずであるから、彼のズニ族の研究は、当然、F・H・カッシングの調査報告にもとづくものであろうと推理してカッシングの報告の刊行された年をみると、まさしく「ズニの物神」(一八八三)と「ズニ創造諸神話の概要」(一八九六)を発見することができるのだ。
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という一文があり(岩波現代文庫版、2014、p26)、これに今福龍太氏が、

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山口の本書執筆時点で、ワールブルクが一八九五年から九六年にかけての七カ月ほどの間に行ったアメリカ南西部インディアン居住地帯への観察旅行については広く知られてはいなかった。その旅の経験をもとに書かれた一九二三年の講演『蛇儀礼』(三島憲一訳、岩波文庫、二〇〇八)の原テクストが日の目を見てドイツで出版されたのは一九八八年のことである。そこに付されたウルリヒ・ラウルフの解説には、ズニ族研究者カッシングとワールブルクとのアメリカでの交流や、インディアンの象徴思考をめぐるワールブルクの議論とカッシラーの思想との刺激的な相互関係についても触れられており、山口が描きだす精神史的な繋がりの傍証ともなっている。
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という「校閲者注記」を書かれていますね(p37)。
Warburg はドイツ・アメリカを跨いで巨大な金融グループを形成した一族で、たまたま私はロン・チャーナウの『ウォーバーグ ユダヤ財閥の興亡』(青木榮一訳、日本経済新聞社、1998)という本を読んでいて、美術史とは全く関係のない方向からアビ・ワールブルクがインディアン調査を行っていたことを知っていたのですが、この本の原書(The Warburgs: The Twentieth-Century Odyssey of a Remarkable Jewish Family)は1993年に出たそうなので、あるいはロン・チャーナウも『蛇儀礼』を参照したのかもしれません。
しかし、まあ、素直に考えれば、仮に『蛇儀礼』の紹介が遅れていたとしてもアビ・ワールブルクがインディアン調査を行なったこと自体はちょっと調べれば分かるはずの簡単な事実で、ここは山口昌男の単なる怠慢ないし勘違いじゃないですかね。
山口昌男の膨大な学識に対する今福龍太氏の敬意は理解できますし、私もそれを共有しますが、そうかといって山口の些細な怠慢ないし勘違いの背後に壮大な「精神史的な繋がり」云々を見出すのも滑稽であって、そうした事大主義、山口昌男の神話化は山口本人が一番嫌うはずのものではないですかね。

Aby Warburg(1866-1929)
https://en.wikipedia.org/wiki/Aby_Warburg

Warburg family
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/96fc7aedc00fe4c2bc5258fd61cc5ecc
THE WARBURG INSTITUTE
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/79019a0602f6b9f4d5d34590be65cbbe

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