エチオピアとのオガデン戦争(1977~78年)敗北後、反政府武力闘争が激化。
1991年1月に反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都モガディシュを制圧し、バーレ政権打倒後、モハメド暫定政権を樹立。
これにアイディードが率いるソマリア国民同盟(SNA)が反発。
さらに同年5月ソマリア国民運動(SNM)が北部(旧イギリス領)のソマリランド共和国としての分離独立を宣言。10派以上の対立による内戦と旱魃による大量難民発生を前に、92年4月国連PKOの国連ソマリア活動(UNOSOMユノソム)が設置され、12月アメリカ軍中心の多国籍軍を派遣。
翌年5月武力行使を含む初のPKOとしてUNOSOM2を派遣するが、無政府状況下での武力闘争激化のため95年全外国軍撤退。
◆アイディード将軍
97年12月、武装28派がカイロ和平協定を調印したが、和平協定そのものが無効になってしまった。2000年5月、隣国ジブチで和平会議が開催され、暫定大統領にハッサンが就任、約10年ぶりに政権が発足した。
しかしアイディード派など有力氏族およびソマリランドなど独立勢力は暫定政府を「ジブチの傀儡」として承認せず、その後も内戦が続いた。
◆ハッサン
2006年6月、イスラム法廷会議(ICU)が首都モガディシュを占領。
12月に暫定政府の要請を受けたエチオピア軍がモガディシュを奪還して事態は収拾されたものの、より強硬なイスラーム主義勢力「アル・シャバーブ」が台頭し、ソマリア南部を支配する。
2012年8月、暫定政権の統治終了を受けて正式国名がソマリア連邦共和国に改称された。