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1904(明治37)年 〈日露戦争(~1905年)〉★★

2013-10-21 | 『新日本史頻出年代暗記』

● 明治時代(明治天皇 第1次桂太郎内閣)

Russo-Japanese War begins.
戦苦を承知 日露戦。
1904年      日露戦争
              ローズヴェルト大統領の仲介     

ロシアは北進事変後も軍隊を満州にとどめ、南下の気配を見せた。

第1次桂太郎内閣は日露協商論を退け、ロシアの南下を牽制するため、1902年に日英同盟を結んだ。

そして1904年、日露戦争が勃発。

翌年日本は旅順・奉天を占領し、ロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で破ったが、国力は限界に近づいた。ロシアも国内の革命運動が激化し、戦争の早期終結を希望。ローズヴェルト米大統領の仲介により、翌1905年にポーツマス条約が結ばれた。


《ポーツマス条約の内容の覚え方》
1905年に結ばれたポーツマス条約で、ロシアは遼東半島南部の租借権、南満州鉄道の経営権の他、北緯50度以南の樺太の領有権などを日本に譲った。《条約が締結された「1905年の」〈05〉をひっくりかえして「50度以南」を覚えれば、年代ともども一石二鳥!》。

◆小村寿太郎

ローズヴェルト米大統領


1905年 〈ベンガル分割令〉★★

2013-10-21 | 『新世界史頻出年代暗記』

◆ジョージ=カーゾン 

●インド(インド帝国)

The Partition of Bengal is announced by then Viceroy of India, Lord Curzon.

ひどく怒(おこ)るか ベンガルで。

1905年       カーゾン  ベンガル分割令

19世紀以降、ベンガル地方を中心に民族運動は急進化。

日露戦争での日本の勝利を機に、インドの民族運動が一層高まることを恐れたインド総督カーゾンは、ベンガル州をヒンドゥー教徒とイスラム教徒の地域に分割するベンガル分割令を発して民族運動の分断を図った。

これに対してティラクらの急進派は1906年、ベンガル地方の中心都市カルカッタ(現コルカタ)で国民会議派の大会を開いた。


1905年・1911年 〈モロッコ事件〉★★

2013-10-21 | 『新世界史頻出年代暗記』

●ドイツ(ドイツ帝国)

German Emperor William II asserts German equality with France in Morocco, triggering the Moroccan Crisis.

モロに怒った 日々足掻(あが)く。

モロッコ事件 (1905年 タンジール事件

                         (1911年 アガディール事件

1904年の英仏協商に反発したドイツ皇帝ヴィルヘルム2はモロッコのタンジール港に上陸。

1906年のアルヘシラス会議でフランスがモロッコの優越的地位を獲得した(1次モロッコ事件)。

これに不満なヴィルヘルム2世は1911年に軍艦をアガディール港に向けた2次モロッコ事件

しかし、イギリスがフランスを援助したため、再び譲歩せざるを得なくなり、結局フランスのモロッコ保護権を認めた。