◆最後の藩王尚泰王
明治政府による琉球国の日本国への併合にいたる一連の措置。
1871(明治4)年に明治政府は廃藩置県によって琉球王国を鹿児島県に編入したが、1872年に琉球藩にを設置。
国王尚泰を藩王とし、外務省の管轄下に置き日本軍の台湾出兵を契機に外務省から内務省へ移管。
75~79年の第2段階では、冊封進貢関係廃止、明治年号の使用などを命じ、裁判権の接収などを強行。
79年3月~81年3月の第3段階では廃藩置県を宣言して併合を完了したが、琉球および清国側の抵抗にあい、前米国大統領グラントの調停を契機に琉球分割条約を締結するものの、琉球帰属問題の解決は事実上日清戦争によらなければならなかった。
●琉球処分
ベック式暗記法!
いや殴(なぐ)りたい 竜急所。
1879年 グラント 尚泰 琉球処分