北魏前半の都であった平城(へいじょう)(現在の山西省大同)に位置する北魏時代の大石窟寺院。《下品な覚え方だが、「大同」の「大」で「雲崗(ウンコ)」とつなげよう!》。
460年より494年の洛陽遷都までに大規模な石窟寺院が造営された。仏像にはガンダーラ美術・グプタ美術の影響が見られる。洛陽に遷都した後も6世紀前半まで石窟の造営が続けられた。
雲崗の緯度
北京のすぐ近くに位置する雲崗の緯度も北京や敦煌と同じく北緯40度である。
北緯40度の都市にはスペインの首都マドリードやイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであったブハラなどがある。
頻出の石窟寺院の位置を問う問題では、40度付近の右(「東」)にあるのが雲崗で、左(西)に位置するのが敦煌と考える(「右」を「ウ」と読んで「雲崗」を連想して識別すると完璧)。
問題 ●m、n、o、pの遺跡から、雲崗石窟寺院を選べ。但し、●f は平城(現在の大同)、●gは洛陽、●hは長安である。
正解は図の下▼
正解 ●m. 雲崗、
●n.は竜門、o.は敦煌の石窟寺院である。p. は広開土王碑である。
問題2. 次の図A. B. C.の中「から雲崗石窟寺院の像を選べ。
B.
C.
正解 B.
解説 文成帝が平城(大同)郊外に建造。ガンダーラ・グプタ様式の影響が強い。
解説 C.は竜門の石窟寺院。中国風。