●安土・桃山時代(正親町天皇 織田信長)
1582(天正10)年〈天正遣欧使節〉★
Tensho Embassy to Europe: four Christian Japanese boys are sent to Rome at the urging of Alessandro Valignano.
以後(いご)は日本の 名が知れて。
1582年 伊東マンショ 原マルチノ 中浦ジュリアン 千々石ミゲル
天正遣欧使節
1582年、キリシタン大名の大村純忠・大友宗麟・有馬晴信は宣教師ヴァリニャーニのすすめで天正遣欧使節を派遣。
正使には伊東マンショと千々石ミゲル、副使には原マルチノと中浦ジュリアンの4人が選ばれ、ローマに赴いて教皇グレゴリウス13世に謁見した。
▼伊東マンショとグレゴリウス13世の謁見の場面
〈ヴァリニャーニ〉 イエズス会の巡察使として1579年に来日し、天正遣欧使節の派遣を勧めたヴァリニャーニは、活字印刷機の輸入にも尽力したことを覚えておく必要がある。
「活字印刷機」の〈字〉という漢字の中に〈ヴァ〉があり、〈刷〉の中に〈リ〉があることを意識するだけで嘘みたいに簡単に覚えられるよ。
事実、彼は「大友宗麟の姪(一条房基子女)の夫である伊東義益の妹の子」という遠縁の関係にあった。(伊東マンショ)
He was in fact, said to be distantly-related as 'the child of a younger sister of Yoshimasu ITO, who was the husband of the niece (the daughter of Fusamoto ICHIJO) of Sorin OTOMO.'