- 大正時代(大正天皇 清浦圭吾内閣)
Second Movement to Protect Constitutional Government; Cabinet of Three Groups supporting the Constitution is formed.
行(い)く二次護憲 期待する。
1924年 第二次護憲運動 清浦圭吾内閣退陣
原敬首相の暗殺をうけて成立した高橋是清内閣は閣内不一致で総辞職し、政党内閣は中断した。1923年貴族院の勢力を背景とした清浦奎吾超然内閣に対し、憲政会の加藤高明・政友会の高橋是清・革新倶楽部の犬養毅の護憲三派は第二次護憲運動を展開。1924年、加藤高明を首相とする連立内閣が成立した。
大正13年(1924年)1月15日、立憲政友会総裁の高橋是清も、加藤や犬養に呼応して清浦内閣打倒を決断する。
On January 15, 1924, in responding to a call from KATO and INUKAI, Korekiyo TAKAHASHI, the president of the Rikken Seiyukai Party determined to join them in their efforts to overthrow the KIYOURA cabinet.