天相軒に 豆腐饅頭。
2016慶大・法:「
天竜寺
やがて南北朝時代から室町時代に至ると、五山僧を中心に、儒教は公家や神道家、武家の間でも学ばれるようになった。五山僧の一人である[ 28 ]は明に留学し、帰国後は漢詩文の分野で活躍するとともに、足利義満の招きで鹿苑院の院主などをつとめた。」
(答:28絶海中津 ※原問題には選択肢が59項あり)〉
〈2016関西大・全学部2月8日〉
義満は1382年、花の御所の東側に( 8 )を造営して、五山に加えた。この寺には、僧録が置かれ、初代僧録には( 9 )が就任して、これ以後、五山禅宗を統括する機関として活動した。」
(答:8相国寺、9春屋妙葩 ※原問には選択肢が30項あり)
〈2014早大・国際教養:「
問5 下線郎c東山の地域がたどってきた歴史に関する説明として、誤っているものはどれか。1つ選べ。
ア 僧の俊寛の山荘で平氏打倒の陰謀が企てられた。
イ 宋から帰国した栄西が建仁寺を建立した。
ウ 足利義満は南禅寺を建立し五山の上に位置づけた。
エ 豊臣秀吉が方広寺を創建し大仏を造立した。
オ 清水寺の周辺で清水焼と呼ばれる陶磁器が生産された。」
(答:ウ×南禅寺の創建は亀山法皇)〉
〈2013早大・国際教養:「
問3 下線部bの人物夢窓疎石に関する説明として誤っているものはどれか。1つ選べ。
ア 南禅寺を建立し、五山の上に位置づけた。
イ 天竜寺船の派遣を献策し、天竜寺を開山した。
ウ 春屋妙葩に招かれて相国寺の開山となった。
エ 西芳寺(苔寺)の庭園を設計した。
オ 全国に安国寺・利生塔を建立するよう提案した。
問4 下線部d五山の制度に対し、権力者の保護を敢えて求めずに、自由な布教活動を行った禅宗諸宗派を総称して何と呼ぶか。漢字二字で答えなさい。
問5 室町幕府はとくに臨済宗を手厚く保護してd五山の制度を整え、相国寺にこれら寺院の僧侶を管理する[ A ]の職をおいた。
ア十刹 イ僧録 ウ諸山 エ官寺 オ法主」
(答:問3ア×五山十刹の制ができたのは3代義満のころ。夢窓疎石は後醍醐天皇・足利尊氏と同時代、鎌倉末期室町初期の人、問4林下、問5イ)〉
〈2013北大・前期:「
問6 下線部e禅宗といえば武家との関係が連想されがちについて、室町時代になると、幕府の官寺としての「五山の制」が確立する。
(1)最高位である「五山之上」に位置づけられた寺院の名を答えなさい。
(2)五山以外の禅宗寺院である大徳寺から出て、『狂雲集』を著した禅僧の名を答えなさい。
(答:1南禅寺、2一休宗純)〉
〈2013上智大・法総合人間科神外国語:「
問3 天竜寺を含めた京都五山でない寺院はどれか。もっとも適切なものを、次から1つ選びなさい。
1建仁寺 2万寿寺 3東福寺
4相国寺 5鹿苑寺 6南禅寺
(答:5※南禅寺は別格だが京都五山に含めて考えられるので鹿苑寺)〉
A義堂周信 B桂庵玄樹 C春屋妙葩
D絶海中津 E夢窓疎石」
(答:C)〉