●室町時代(後小松天皇 足利義持)
Shogun Ashikaga Yoshimitsu sends an envoy to Ming- dynasty and diplomatic relations are established.
意志(いし)負いてこそ 明国へ。
1401年 肥富 祖阿 明 足利義満 永楽帝
1401年、将軍を退いても大きな力をもっていた足利義満は倭寇の禁圧を求めてきた明の永楽帝に、僧祖阿を正使、博多商人肥富を副使として派遣。
国交を開き、明の皇帝に臣従する形の国王の称号を受容し、1404年に勘合貿易を開始した。
〈2013上智大・法総合人間科神外国語
B 明から帰国した海商( イ )らの進言により遣明使を派遣した足利義満は、靖難の役といった明の政治情勢の変化を受けて、( ウ )年には「日本国王臣源」と名乗って国書を送り、翌年には朝貢貿易のいわば査証としての勘合を入手した。
問4 空欄(イ)に当てはまる人物は誰か。もっとも適切な人名を、次から1つ選べ。
1王直 2至本 3李旦
4肥富 5陳外郎 6五官
問5 空欄(ウ)に当てはまる年代はどれか。もっとも適切なものを、次から1つ選べ。
1)1392 2)1399 3)1401
4)1403 5)1429 6)1433
(答:問4→4、問5→4)
〈2013立大・文:「
5)日本准三后某、書を大明皇帝陛下に上る。日本国は開闢以来、聘問を上邦に通ぜざることなし。某、幸いに国鈞を秉り、海内虞なし。特に往古の規法に遵いて、肥富をして[ ]に相副え、好みを通じ、方物を献ぜしむ。(後略)
出典[ ヌ ]『善隣国宝記』
問ヌ 空所ヌに当てはまる語句を選べ。
a桂庵玄樹 b瑞渓周鳳
c無学祖元 d夢窓疎石
(答:b)
問 文中の空所に当てはまる語句を記せ。
(答:祖阿)
問5 下線部5に関する記述として正しいのはどれか、一つ選べ。
a 海禁政策をとっていた明は、これにこたえて日本との貿易のために塩浦を開いた。
b 遣明船は、幕府の作成した勘合と呼ばれる証票の持参を義務づけられた。
c 日本准三后某は、のちに日本国王臣源を名のった。
d 明の朱元璋は翌年、日本国の大君宛てに返書を送った。
(答:c ※b×明側が作成)
〈2012明治大・政経:「
問5 下線部オ)国交の回復を行った室町幕府第3代将軍についての説明として正しいものはどれか。A~Eから一つ選べ。
A 大内義弘による明徳の乱を鎮めた。
B 南朝と北朝の合体を仲介した。
C 朝廷に段銭徴収権を与えた。
D 側近である僧の肥富と博多商人の祖阿を明に派遣した。
E 死後、朝廷は「太上法皇」の称号を送ろうとしたが息子の義教が辞退した。
(答5:B ※A明徳の乱は山名氏清を滅ぼした、D肥富が商人・祖阿は僧、E義持の誤り)
問6 下線部カ)日明貿易における日本側と明側の主要な輸出品の組み合わせとして正しいものはどれか。A~Eから一つ選べ。
A(日本)銅 (明)硫黄
B(日本)生糸 (明)茶
C(日本)蒔絵 (明)漆器
D(日本)陶磁器(明)銅銭
E(日本)刀剣 (明)陶磁器」
(答:問6:E)〉
〈2016早大・教育:「
(問題文冒頭には『一遍上人絵伝』の「福岡の市」の図版が示されている)
生徒B:着物でも仕立ててもらうのでしょうか。この布は木綿ですか?
教師C:[ A ]
問3 空欄[ A ]に入る教師の言葉として最も適切なのはどれか。
ア 日本に木綿が入ってくるのは12世紀頃だから、この絵巻物が製作された頃にも木綿はあっただろうけど、まだ庶民の間で売買されることは稀だったから、これは麻布だろうね。
イ 日本に木綿が入ってくるのは13世紀頃だから、この絵巻物が製作された頃にも木綿はあっただろうね。きっと木綿じゃないかな。
ウ 日本に木綿が輸入されるようになったのは15世紀頃だから、この絵巻物が制作された頃にはまだ木綿はなかっただろうね。きっと麻布じゃないかな。
エ 日本に木綿が輸入されるようになったのは14世紀頃だけど、国内ではもっと早くから栽培されていたので、これも木綿じゃないかな。
オ 日本に木綿が輸人されるようになったのは17世紀頃だし、国内で栽培が始まるのも18世紀頃だから、これは麻布じゃないかな。」
(答:ウ ※朝鮮半島では、1392年、倭寇を撃退して名声をあげた武将の李成桂(1335~1408)が高麗を倒し、朝鮮(1392~1910)を建てた。朝鮮もまた通交と倭寇の禁止とを日本に求め、足利義満もこれに応じたので両国のあいだに国交がひらかれた。そして大量の木綿の輸入がはじまるのはすなわち15世紀)〉
〈2016早大・人間科学:「
いわゆる木綿の実際の普及は、中世後期からと考えられているが、当初はa大陸との交易、とくに朝鮮から輸入されたものが主であった。輸入の「唐木綿」に対し、16世紀に入ると、畿内や三河地方を中心に「日本木綿」の生産が本格化したことが知られている。
問2 下線部aに関連して、明・朝鮮・琉球から室町時代に輸入された主な品として誤っているものはどれか、2つ選べ。
ア生糸 イ刀剣
ウ永楽通宝 エ大蔵経
オ蘇木 カ銅
(答:イ・カ)
〈2013上智大・法総合人間科神外:「
問9 日朝貿易における日本側の主な輸入品は何であったか。適切なものを、次から2つ選びなさい。
1銅 2胡椒
3大蔵経 4木綿
5硫黄 6銀
(答:3・4 ※入超大もめ)
〈2012大学入試センター試験・日本史B
問2 下線部bそこでの戸は、実際の家族そのままではなく、平均20数名になるよう、帳簿の上で編成し直したものであったに関連して、奈良時代の戸籍や民衆の生活について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1.律令国家は、原則として6年ごとに戸籍を作成した。
2.律令国家は民衆に対し、戸籍にもとづいて口分田を班給した。
3.結婚のかたちの一つとして、男性が女性の家に通う妻問婚があった。
4.民衆は、木綿の衣類を着るようになった。
(答:4)〉
〈2012新潟大:前期:「
朝鮮とは多くの日本人が居住する乃而浦・塩浦・[ オ ]の三浦などで貿易を行った。日本からは蘇木・胡椒などを輸出し、朝鮮からは木綿・[ カ ]などを輸入した。」
(答:オ富山浦、カ大蔵経)