●江戸時代(後陽成天皇 徳川秀忠)
1609(慶長14)年 〈島津家久、琉球に侵攻〉★
Shimazu Iehisa, load of the Satsuma domain, mounts a military expedition against the Ryukyu Islands.
一路(いちろ)王宮 支配しようね。
1609年 琉球王国 島津家久 尚寧
1609年、薩摩の島津家久は琉球王国に侵攻。首里城を陥して国王尚寧を捕らえ服属させた。これ以後、琉球は島津支配下で、清の朝貢国として独立国を装いながら存続するが、実質的には幕藩体制下に組み込まれることになる。
〈2013慶大・経済〉
Ⅱ 沖縄の歴史について述べた次の文章を読んで、以下の問6~11に答えなさい。
沖縄本島では、15世紀前半に琉球王国が成立し、周辺地域と広く交易を行って繁栄し、独自の文化を発展させた。豊臣秀吉や徳川家康によって日本の統一が進むと、琉球王国はBこれらの政権による対外政策の影響を受けるようになり、17世紀初めに幕藩体制に組み込まれた。
問7 下線部Bに関連して、豊臣・徳川政権と琉球王国との関係について述べた次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選びなさい。
1.豊臣秀吉は薩摩の島津氏を通じて琉球王国に服属と朝貢を求め、島津氏は秀吉に朝鮮への出陣を求められた際に琉球王国に兵糧の提供を要求した。
2.島津氏は徳川幕府の許可を得て琉球王国に侵攻してその支配下におくと、明朝との関係を断絶させ、明との通商交易権を奪った。
3.薩摩藩は、琉球王国にも検地・刀狩りを行なって農村支配を確立し、那覇に役人を派遣して、特産物の黒砂糖などを上納させた。
4.徳川幕府は琉球王府に対して、国王の代替わりごとにその就任に感謝する謝恩使を、将軍の代替わりごとにそれを奉祝する慶賀使を派遣させた。」
(答:2 ※対外的には薩摩の支配下にあることを秘して、中国に服属する独立国として装わせることで朝貢貿易を継続させ、その貿易の利益を搾取した)〉
〈2012明大・法
沖縄では、1609(慶長14)年に、薩摩の島津家久の軍により、琉球国王であった[ 3 ]が捕えられ、琉球王国は薩摩藩の支配下に入った。しかし、琉球王国はそれ以後も中国から冊封を受け、複雑な両属関係にあった。
(答:尚寧 ※原問には尚姓の4人分選択肢あり)