中国における儒学の歴史について述べた次の文章【A】・【B】を読み、あとの問いに答えなさい。
【A】 儒家の祖とされるのは、(a)春秋時代に魯の国に生まれた孔子である。彼は仁を政治上・倫理上の理想とし、各人が仁を実践することで社会秩序が維持されるとした。孔子の思想はその後、弟子たちやさまざまな思想家に受け継がれたが、戦国時代に活躍した(b)孟子もその代表的人物の一人である。
前3世紀末に中国の政治的統一を達成した(c)秦の始皇帝は、焚書・坑儒の言葉で知られるように儒家を弾圧したが、前漢の武帝の時代には( ア )の献策で儒学が官学とされ、続く後漢の時代には、経書の字句の解釈を目的とする訓詁学が発展し、( イ )らが大きな功績を残した。
後漢の滅亡後、儒学は停滞したが、隋・唐代には皇帝による儒学の奨励で再びさかんとなった。(d)唐の太宗の命を受けて孔穎達らが編纂した『五経正義』は、後漢以来の訓詁学の集大成にあたる。
問1 下線部(a)の時代について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 周王室の鎬京への遷都が、この時代の始まりとされている。
- 斉の桓公などの有力諸侯は、「春秋の五覇」と称されている。
- 諸侯国の一つである燕は、陝西地方を支配した。
- 楚の韓・魏・趙への分裂をもって、この時代は終幕した。
1.鎬京は洛邑の誤り。3.燕が支配したのは中国東北部。陝西地方を支配したのは秦。4.楚は晋の誤り。
問2 下線部(b)の人物について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 性善説を唱え、王道政治を主張した。
- 無為自然を唱え、一切の人為を否定した。
- 性悪説を唱え、礼による統治を強調した。
- 兼愛を唱え、侵略戦争を否定した。
正解 1
2.無為自然を唱えたのは道家の老子。3.性悪説を唱えたのは荀子。4.墨子に関する記述。
問3 下線部(c)の人物の事績について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 全土に郡県制と呼ばれる統治制度を実施した。
- 統一貨幣として半両銭を鋳造した。
- 匈奴の侵入を阻止するために万里の長城を修築した。
- 塩・鉄・酒の専売制度を創始した。
正解 4
前漢の武帝に関する記述。
問4 空欄( ア )・( イ )にあてはまる人名の組み合わせとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- ア-董仲舒 イ-鄭玄
- ア-董仲舒 イ-蔡倫
- ア-司馬遷 イ-鄭玄
- ア-司馬遷 イ-蔡倫
正解 1
3.4.アは『史記』の編纂者。2.4.イは後漢の宦官で、製紙法の改良者とされている。
問5 下線部(d)に関連して、太宗の時代について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 太宗の時代の政治は、「開元の治」と称された。
- 唐は新羅と連合して高句麗を滅ぼした。
- 太宗の時代の政治は、「貞観の治」と称された。
- 税の増収をはかるため、両税法を採用した。
正解 3
1.「開元の治」は玄宗の治世の前半を指す言葉。2.高句麗が滅ぼされたのは高宗の時代。4.両税法が創始されたのは徳宗の時代の780年。
【B】 宋代になると、仏教などの影響を受けて宋学と呼ばれる宇宙論哲学が創始された。北宋の儒学者で『太極図説』を著した( ウ )がその先駆者とされ、南宋の(e)朱熹によって大成されたことから、宋学は朱子学とも称されている。朱子学は元以降の中国の王朝で官学となるとともに、(f)李朝(朝鮮王朝)にも受容されて官学となり、また江戸時代の日本でも幕府の御用学問となった。
明代の半ばには、王守仁(王陽明)が南宋の陸九淵の説を継承して実践を重んじる陽明学を創始した。この学派に属する李贄(李卓吾)は徹底した合理主義・個人主義の立場から朱子学を批判したことから、危険人物として投獄され、獄中で自殺した。(g)明末・清初には、黄宗羲・顧炎武らによって考証学が創始された。考証学は本来実証主義と実用主義をその特色としたが、(h)清朝による思想弾圧のために、やがて実用主義の側面は失われた。銭大昕はこの時期の考証学の大家の一人である。
問6 空欄( ウ )にあてはまる人名を、漢字で記せ。
正解「周敦頤」
周敦頤は北宋の儒学者で、宋学の祖とされる。
問7 下線部(e)の人物について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 四書を重視し、『四書集注』を著した。
- 知行合一や致良知などを唱えた。
- 性即理説や格物致知説などを唱えた。
- 君臣などの区別を重視する大義名分論を説いた。
正解 2
知行合一や致良知を唱えたのは、明代の儒学者で陽明学を開いた王守仁(王陽明)。
問8 下線部(f)の王朝について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 骨品制と呼ばれる出自に基づく身分制度がとられた。
- 世界最古の金属活字が造られた。
- 訓民正音と呼ばれる独自の音標文字が制定された。
- 科挙が初めて導入され、両班と呼ばれる新たな階層が生まれた。
正解 3
1.新羅に関する記述。2.4.高麗に関する記述。
問9 下線部(g)に関連して、明末・清初の政治的動向について述べた次の文章を読み、空欄( a )・( b )にあてはまる人名の組み合わせとして正しいものを、あとの1~4のうちから一つ選べ。
1644年に明が滅亡すると、明の武将であった( a )は清側に投降し、この( a )の先導で清軍が北京に入城した。こうして始まった清による中国支配に抵抗した( b )は、1661年、反清・復明闘争の拠点を台湾に移した。
- a-李自成 b-鄭成功
- a-李自成 b-張居正
- a-呉三桂 b-鄭成功
- a-呉三桂 b-張居正
正解 3
1.2.aは明を滅亡に追い込んだ農民反乱の指導者。2.4.bは明の万暦帝の時代に行財政改革を試みた人物。
問10 下線部(h)に関連して、清朝は漢民族に対する弾圧政策と懐柔政策を巧みに使い分けて中国統治を安定化させた。こうした清朝の統治政策について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 文字の獄や禁書によって、反満思想を統制した。
- 満漢併用制をとって、漢民族にも高官につく機会を与えた。
- 漢民族の男子に満州族の習俗である辮髪を強制した。
- 中国文化を尊重し、『五経大全』などの編纂事業を行った。
正解 4
『五経大全』を編纂させたのは明の永楽帝。清代には『康煕字典』『古今図書集成』『四庫全書』などが編纂された。