●江戸時代(孝明天皇 徳川家茂)
1866(慶応2)年 〈薩長同盟〉★
Satsuma-Choshu Alliance is formed against the Tokugawa shogunate.
いや無論さと 薩長が。
1866年 坂本龍馬 薩長同盟 改税約書
幕府に敗れた長州藩では、高杉晋作が奇兵隊を組織して藩の主導権を握った。幕府は長州征伐後の長州藩の動きを不服として1865年に再征の命令を下した(第2次長州征伐)。しかし、翌1866年には、土佐藩の坂本龍馬らの仲介により、宿敵であった薩長両藩の和解が成立。薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允らが京都で軍事同盟の密約(薩長同盟)を結び、倒幕の一大勢力が結成された。
(1866年)(薩長同盟・改税約書)(第二次長州征伐・家茂(いえもち)急死)
[point]
1.1866年は、薩長同盟成立→改税約書なる→第二次長州征伐→家茂急死、と事件がつづいた。
[解説]
1.1866(慶応2)年1月、薩長同盟(連合)がなる。土佐藩出身の坂本龍馬・中岡慎太郎の仲介により、薩摩の西郷隆盛・小松帯刀(こまつたてわき)、長州の木戸孝允が会談。藩上層部を通さない、両藩の実権を握る下級武士間の秘密軍事同盟であった。
2.2月、改税約書を結ぶ。協定関税の改訂版のことで、兵庫開港延期の代償として、英・仏・米・蘭4国との間で結んだ関税協定であった。ロシア抜きであることに注意。
3.6月から第二次長州征伐が行われた。長州藩の実権をふたたび討幕派(高杉晋作ら)が握ったため、幕府は第二次長州征伐を号令(6月出兵)するが、薩長同盟後の薩摩藩が参加せず、幕府軍は各地で敗北。
4.7月、長州征伐の戦況不利の中、大阪城にて将軍家茂が急死。戦役の収拾に苦慮していた幕府は、服喪を理由に9月に長州藩と休戦合意し、撤兵した。
〈2017関西大・全学部2/8
(A)1865年、列国は兵庫沖まで艦隊を送り、条約の勅許を勝ち取った。翌年には幕府と交渉して、関税率を一律5%の従量税に改め、また自由貿易をさまたげる諸制限を撤廃する【ア日英通商航海条約 イ改税約書 ウ貿易章程】に調印させた。
(答:イ)〉
〈2012法政大学・文経営人間環境
問12 「孝明天皇」について、正しいものを以下のa~dのなかから一つ選べ。
a 1860年に妹和宮と江戸幕府の将軍徳川家茂の結婚を勅許した。
b 1865年に江戸幕府が要請した条約勅許を拒絶した。
c 1866年に結ばれた薩摩藩と長州藩の軍事同盟の密約(薩長同盟)を勅許した。
d 1868年に兵庫開港を勅許した。
(答:a ※b×1858年、c×秘密同盟であり薩長は勅許を求めていない、d×勅許したのは明治天皇、勅許の年は1867年)
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