1889年
欧化政策に反対して退官した陸羯南は、1889年に新聞『日本』を創刊し、日本の自主独立と公共の利益を説く国民主義をとなえた。彼は日本の中国分割への参加を批判したが、義和団事件後のロシアによる満州占領を機に、対露強硬論に転換した。」
いやや苦が勝つ 日本国。
1889 陸羯南 日本 国民主義
[point]
1.陸羯南が国民主義を唱え、新聞『日本』を発行。
[解説]
1.国民主義は国粋主義の一種で、内における国民の統一と外国に対する国家の独立を説くもの。藩閥政府の専制や皮相な欧化主義を攻撃した。
2.陸羯南(1857~1907)は、青森県出身で、ジャーナリスト。大隈重信外相の欧化主義的条約改正案に反対して官(内閣官房局編輯(へんしゆう)課長)を辞し、1889年新聞『日本』を創刊。
3.羯南に私淑したのが正岡子規で、2人の関係は文学史に名高い。羯南は病魔に冒された子規を献身的に支え、子規は絶筆となった随筆『病牀六尺(びようしょうろくしゃく)』などを『日本』に連載している。
〈2016関西大学・全学部
欧化政策に反対して退官した( 9 )は、1889年に新聞『( 10 )』を創刊し、日本の自主独立と公共の利益を説く国民主義をとなえた。彼は日本の中国分割への参加を批判したが、義和団事件後のロシアによる満州占領を機に、対露強硬論に転換した。
(答:9陸羯南、10日本 ※原問には30語の選択肢あり)
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
この12)大日本言論報国会会長であり、日本文学報国会の会長も務めたのは誰か。次のa~dから1つ選べ。
a.陸羯南 b.志賀重昂
c.高山樗牛 d.徳富蘇峰」
(答:d徳富蘇峰〈ホウ〉)
〈2013法政大学・法国際文化
雑誌『太陽』で編集を務め、また日本主義をとなえた人物をつぎのア~エのなかから一人選べ。
ア徳富蘇峰 イ陸羯南
ウ高山樗牛 エ志賀重昂」
(答:ウ高山樗牛)〉
〈2010センター試験・日本史B
問6 下線部1)に関連して、明治時代の思想界の動向に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤を答えよ。
X 陸羯南は新聞『日本』を刊行し、欧化主義を批判した。
Y 高山樗牛は雑誌『太陽』で、日本主義を唱えた。」
(答:X〇、Y〇)〉
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