THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

chicagoX

2017-05-15 18:23:17 | CHICAGO

 

Chicago X

グラミー賞の,「最優秀アルバム・パッケージ」受賞アルバム
グラミー賞の数ある部門賞の中で,特に異色といえるのが,
最も優れたアルバム・ジャケットに贈られる「最優秀アルバム・パッケージ賞」_。

本アルバムは,第19回(1976年度)の「(同賞)」の栄冠に輝いています。
ぜひとも,紙ジャケット仕様で再発を望みたい作品です。

また「最優秀アルバム」にもノミネートされましたが,こちらはスティービー・ワンダー
「キー・オブ・ライフ」に残念ながら持っていかれました。

(ちなみに,他のノミネート3作品は,ボズ・スキャッグス「シルク・ディグリース」,
ジョージ・ベンソン「ブリージン」,ピーター・フランプトンの「カムズ・アライヴ」と,
ものすごい顔ぶれでした。)

全米チャート成績(ビルボード誌)は,アルバムチャートで最高位は3位。
シングルチャートでは,このアルバムから3曲のシングルヒットが輩出され,リリース順に
「Another Rainy Day In New York City(雨の日のニューヨーク)」が最高位32位,
「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」が同1位,「You Are On My Mind(君の居ない今)」
が,同49位_となっています。

(ちなみに,シングル「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」で,上述のグラミー賞において,
「最優秀アレンジメント」を受賞し,またバンドとしては「最優秀ポップグループ賞」を
受賞しています。)

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PAUL RODGERS&JIM COPLEY

2017-05-15 18:16:34 | free form space

5月13日、白血病で他界したドラマー、ジム コープリー…。
彼の名前をここ日本で最も有名にしたのは、なんといってもチャーと結成したサイケデリックスでしょうね。
ところが、私がジムを観たのは、ブリティッシュブルースロック界の生きた伝説的ボーカリスト、ポールロジャース札幌公演1996年でした!
ポールはライブでソロ作品からと、もちろんフリーやバドカンの名曲などをマイクスタンドアクションを絡めて貫禄の熱唱。
ベースはジムとのサイケデリックス絡みでジャズロックリー。ジムとリズムセクションを渋いグルーヴで支えていました。ジャズは後にバドカンにも一瞬だけ在籍してもいました。
ギタリストは、故ポールコゾフの後任としてクローラー(バックストリート)に加入したジェフホワイトホーン!
凄まじ過ぎるメンツに圧倒されっぱなし。
熟練のワザ応酬にオープニングからアンコールまで酔いしれたライブでした。
写真はポスター型パンフレット、フライヤー、チケット、ジム参加のポールロジャースフルCD、シングルCD。

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chicago17

2017-05-15 17:27:45 | CHICAGO

アメリカグループ、シカゴの1984年発表の17作目。デヴィッド・フォスタープロデュースで復活を果たした前作に続き、フォスタープロデュース第二作。プロデューサーとの相性、新メンバー、ビル・チャンプリンとの相性等、前作では手探り状態だったところが解消され、より大きな成果を収めています。

ブラス3本をフィーチャーした特殊な形で、1969年にレコードデビューを果たしたこのグループ。日本でもブラスロックという呼び名でもてはやされ、「クエスチョン67&68」、「長い夜」、「僕らに微笑を」といったヒット曲を連発しました。私も中学生の頃、ラジオでよく聞きました。アルバムを聞いてみたいと思ったんですが、1枚目から3枚目まではすべて2枚組。4枚目のカーネギーホールでのライヴにいたっては4枚組ですから、ちょっとガキには手が出ないですよね、、。初めて1枚もので発表された5枚目のアルバムを購入した覚えがあります。'72年のことですから中学3年の頃ですかね。ここらのアルバムは今でもたまに聞きます。例えばファースト収録の「クエスチョン」の間奏のブラスソロなどは、アンサンブルを重視した見事な演奏だと思いますし、セカンド収録の「長い夜」のイントロのトランペットの耳をつんざくような音はブラスの醍醐味を生かしています。

順調にキャリアを重ねていった彼らを不幸が襲ったのが'78年のこと。リードギタリスト兼ヴォーカリストのテリー・キャスが銃の暴発事故で死亡。サウンドの核であったテリーの死はグループに大きな打撃を与え、’76年のACチックな「愛ある別れ」以降、ヒットチャートからも遠ざかります。

そんなグループを立て直すべく指名されたのが、敏腕プロデューサーとして当時大活躍していたデヴィッド・フォスター。大所帯のグループの音を整理し、演奏とヴォーカルの表現力強化のために盟友ビル・チャンプリンをグループのメンバーとして参加させ、バラード系の曲では自らペンを揮い、「素直になれなくて」という久々のナンバーワンヒットを送り出します。絵に描いたような素晴らしいACバラードのこの曲は、ベースのピーター・セテラのハイトーンヴォーカルを見事なほど使いこなしたラヴバラードで、昔からのシカゴファンには評判はよくありませんでしたが、長らく低迷期にあったグループの存在を、世に知らしめる意味でも非常に大きなヒットでした。この曲はピーターなき後のシカゴでも重要なレパートリーで、コンサートの盛り上がりが最高潮を迎えるアンコール前に必ず演奏されています。

今回取り上げるこのアルバムでは、それほど大甘なバラードナンバーはありませんが、ハードさとスウィートさが見事にブレンドされた出来になっています。残念ながらピーターはこのアルバム発表後脱退しソロ活動に専念することになりますが、最後の力を振り絞り使い切っての脱退で、このアルバムでも類稀なる存在感を示しています。

ウィキペディアより

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JIM COPLEY死去(EX UPP.DR)

2017-05-15 17:23:18 | free form space

嗚呼、…イギリスの職人ドラマー、ジム コープリーが白血病の為に亡くなったそうです。
享年63歳。
ジムの名前を知らない人でも、私の世代ならUPPというバンド名を聞いて思い出したら、相当なロック通。
ジムはこのバンドのドラマー。
70年代初頭にデビューしたUPPは、ジェフベックの秘蔵っ子としてデビュー。2枚のアルバムを残しました(写真は未発表&別テイク集CD)
ベックの惚れ込みようは半端ではなく、ギターはもとよりプロデュース、コンポーザー、挙げ句の果てにはバックコーラスや伝家の宝刀ギターシンセまでをも担当。
UPPはロックにソウル、ファンクやジャズなどを取り入れた、なかなかに当時としては斬新なアプローチで話題になりました。
その時、ベックは「ブローバイブロー」でフュージョン界に旋風を巻き起こし気を吐いていた頃。多いにUPPでもインスパイアしあったことでしょう。
UPP解散後もジムとベックの付き合いは続き、一緒にプレイしたり、プライベートでも交流する仲。
ジムはその多方面ジャンルに精通したテクニックから、セッション、レコーディングにと引っ張りだこだったようで世界中をドラマーとして渡り歩いていたようです。
ここ日本にも数え切れないほど来日して、あらゆるミュージシャンと交流を持ちましたね。
アンルイス、矢沢永吉、そしてなんといってもチャーと満を持して結成したスーパーバンド「サイケデリックス」は有名。
チャーのもとからはジョニー吉長、石やん、そしてジムと、盟友達が次々に他界してしまい残念です。

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