こちらのライブレポートも長年書き続けていて最近、やっとこさ、あちこちから好意的な意見を頂戴するようになりました。
これが縁でビックリするような展開に発展したこともあったりしてね。
この日も対バンや観客たちから、励ましのお言葉なんかもたくさんあり、単純明快なる私は嬉しくなりおだってしまいましたよ。
2,13:05~13:25
「PANDRA'S」
ハイ、さっそくライブレポートの続きです。
地元の小樽で活動中の粋な若者たち。
彼らから、熱きメッセージが届いています。
「結成して間もないですが、ただひたすらにロケンローでやっていきたいと思います!」
そうなのですよ。
大体、このイベントに初出演でも、どこかで会っていたりするものです・・・・そうなのですよ。
今年2月の雪明りの路「運河プラザホール」でSTAとはすでに対バン済み。
でも浅草橋オールディズナイトは彼ら、正真正銘の初陣。
だからこそ、その振る舞いが初々しいくらいだ。
ステージ上ではちょっと強面なイデタチですが、オフステージでは気のよい気さくな連中。
5か月ぶりの再会に際して、気軽に近況や楽器などの会話なんかも交わしちゃいましたよ。
そうそう、その2月には小樽の大御所「ホットワックス」リーダー(G&VO)のモーリー君も観客として訪れていましたが、このバンドを見たとたんに血が騒いでしまい居ても立ってもいられなくなったそうだ。
そうだろうねえ。
その気持ちは痛いほどに理解できるよ。
それぐらいに迫力の3コードビート大会が炸裂しまくったのだ。
写真からもお判りの通り、男性ばかりの4人編成。
応援団も大挙して駆けつけてきていましたよ。
これは心強きこと。
持つべきものは仲間たちだね。
美しき友情が手の取るように伝わってきたよ。とにもかくにも頑張れ!
ジョニーはVO&SIDE・G(サンバーストカラーボディのストラトを使用。メイプル指板)、ジョージはLEAD・G&CHO(ボディカラー真っ黒な愛器ギブソン335。大切そうに手入れしている姿が印象に残ったよ。嬉しそうに機種について説明してくれたしね)、ワクティはBASS(艶消し黒ボディのミュージックマンを使用。フィンガーピッキング)&CHO、そしてDR(ジャージ)という基本的な編成。
ギターの2人は革ジャンでバッチリと決め込んでいた。
全員が黒ずくめのファッションで身を固め(アームレスト、帽子からTシャツまで)、サングラスないしは眼鏡を装着。
ボーカル以外はコロナ感染予防対策の一環として、黒のマスクを着けています。
「はい!セッティング・オーケーの合図が出ました!お待たせしました!!」
リードヴォーカルは持参してきたシュアーのベストセラー「骸骨マイク(エルビス・プレスリーでも有名な伝説の機種)」に向かって雄たけびをあげる。
「オールライト,アーユーレディ、YEAH!ウィーアー・パンドラ―ズ!!オーケー、ここは小樽だぜい、レッツゴー!イッツ・ショータイム!!」
お約束の幕開けから、軽快なリズムにのって、いきなり序盤から爆発サウンドだ。
第1音が発せられた瞬間から、その堂々たる雄姿に度肝を抜かれた。
自信と余裕と貫禄漲るパフォーマンス。
オープニングのアナウンスもジョニー・パンドラを参考にしている。
なるほど、芸が細かい。
凝りに凝っている。
何度もリハーサルを重ねた血と汗の涙の結晶。
その成果が花開いた瞬間がこれだ。
「タイム・トウ・ビー・ア・スター(ジョニー・パンドラ)」
まさにライブバンドの面目躍如。
下手な屁理屈なんか一瞬でぶっ飛ばせ。
躍動感あふれる強烈無比なる爆音炸裂の連続。
文句なしにウキウキ気分さ。
オリジナルのジョニー・パンドラは海外のバンドかと思いきや日本のバンドでした。
それもそのはずで海外進出をも視野に入れての結成。
実際に数多くの海外ツアーも実現させている。
確実に知名度を高め、実績を積み重ねている実力派。
ロックンロールにとどまらず、ロカビリー、パンク、ブルースなどのルーツミュージックなどをも取り込み、そこに日本独自のテイストを加味しつつ新たなスタイルを確立。
他に類をみないほどのカリスマ性を伴い評価は高まる一方だ。
今後もどん欲なまでの快進撃はとどまることを知らない。
当然、歓声が沸き起こる。
間髪入れずに、メドレーの2曲目は「ラバンバ」(アルバム、リッチー・ヴァレンスに収録)
これは元々メキシコの民謡。
それをロック調にアレンジしたもの。
ロックの原点の一つとも言われている。
1958年11月12日リリース。
ビルボードホット100では22位が最高ランク。
でもこれはリッチーの死後の話なんだよね・・・・。
それ以降、リッチーは神格化された。
往年の悲劇のスター、リッチー・バレンス永遠の代表作。
彼は若くして飛行事故で亡くなったんだよね。
映画化にもなって大ヒットしたなあ・・・・。ロス・ロボスがカバーしてリバイバルヒットした。
これはビルボードの1位をはじめ世界中でチャートの1位を獲得したただ一つの「ラバンバ」
懐かしいなあ・・・。
思わずたまらずに手拍子を打ち鳴らし続けるオーディエンス。
パンドラーズのメンバー達は皆、若いのにこんな大昔の曲に取りつかれているなんてひじょうに素敵な事。
ジョニーはドラムセット前にて腰振りダンスまで不敵な笑みを浮かべつつ披露。
情け容赦なきパフォーマンスは大したもの。
そんな彼らに、惜しみない拍手がここでも存分に送られていた。
ケニーさんなんて、まだ2バンド目にも関わらず最前列中央にてノリノリのダンシング。
その勢いそのままに、これまた超がつくほどのスタンダード「ツイスト&シャウト」に雪崩込み。
ビートルズが取り上げたことで有名になった曲だけど、いかにもライブの熱狂を想定して制作されたような曲構成だけに熱狂の度合いもピカイチ。
初のリリースはトップ・ノーツで1961年2月23日。
ただし最初のチャートインは、かのアイズレー・ブラザースでビルボード17位を記録。
でも最大の功労者はやっぱり先のビートルズ(デビューアルバムのプリーズ・プリーズ・ミーに収録)。
ビートルズのカヴァー曲で唯一のミリオンセラー。
ビルボード4週連続2位を獲得。
リードヴォーカル担当のジョン・レノンはレコーディング時、酷い風邪をひいていたというのは有名な話。
牛乳を飲み、咳止めシロップを服用して2テイクを歌ったら声が出なくなったそうだ。
それはあの絶叫でリアルに伝わってくるね。
それを意識したのかジョニーも血管がぶち切れる寸前までの咆哮。
ジョニー「パンドラ―ズです!!今日はコロナ禍の中、こんなにもたくさんのお客さんに集まってもらい感謝しています・・・・チューニングタイムです・・・」
ジョージ「あ、何かこの間はしゃべらないとね・・・・でも何もありません(((´∀`*))
ありがとうございます!!」
ステージ前面の床に置かれたステンレス製のケースには「パンドラ―ズ」の派手なロゴステッカーが貼られていて、さりげなくアピール。
「俺の大好きなナンバーで・・・・・横浜クルージン」(ジョニー・パンドラ)
これまた生きのよいノリノリなナンバーの登場。
ちょっとストレイ・キャッツを彷彿とさせるダンサンブルにはじけまくるチューン。
チャレンジ精神旺盛なジョニー・パンドラにぞっこんなパンドラ―ズ。
そのバンド名にもそれは如実に表れているね。
アクションも交えてすでに汗まみれさ。
ちなみにジョニー・パンドラは、あの横浜銀蝿とも交流があるそうだ(今月、リーダーでドラマーの嵐が亡くなったばかり。享年67歳・・・・)
ここ小樽で五十嵐君が経営しているライブハウス「クルーズ」にもジョニー・パンドラは訪れているんだよ。
もちろんパンドラ―ズも見に行ったんだろうなあ。
ジョニーは脳天から湯気が漂うほどに汗ぐっしょり。
ここでたまらず潔く革ジャンを脱ぎ捨てた。
左腕に燦然と輝く見事なタトウのデザインが神々しくて鮮やか。
白のタンクトップが全く贅肉のない引き締まった体にジャスト・フィットしている。
ドラムが地響きのようなボトムラインを刻む中をメンバー紹介。
ジョニー、ジョージ、ベースはワクティ、そしてドラムスはいつもジャージ姿なのでストレートに「ジャージ」と呼ばれているそうですよ。
「今日はこんな雨の中を集まっていただきましてありがとうございました!!・・・・マイ・スィート・ホンダ」(ジョニー・パンドラ)
この曲も基本的な構成は王道の路線。
タイトでストレートすぎるくらいのワイルドこの上ないロックンロールへの原点回帰。
でもいつ聞いても古臭さを微塵も感じさせない。
不思議な魅力だよね。
世代も国籍も性別も軽く超越しちゃう魔力が秘められているのか。
リード・ギターのジョージくんがライブ後、色々と親切に解説してくれました。
その端々にジョニー・パンドラ愛が充満していて微笑ましかったよ。
その気持ちをずっと忘れないように膨らませて「第2のジョニー・パンドラ」、「小樽の・・・いや北海道のジョニー・パンドラ」を目指してくれよ。
そうなった暁には私も鼻高々だよん。
編成は本家と同じですが、ジョニー・パンドラのジョニーはベーシスト&リード・ボーカルなんだよねえ。
めちゃくちゃにかっこいいなあ。
ルックスや振る舞いも含めてキャロル時代の永ちゃんからの影響が濃厚みたい。
こうやって色あせることもなく、代々受け継がれていくんだね。
「最後の曲になります・・・・盛り上がっていこうぜい!!・・・・ロック・ミー・ベイビー」
一生懸命さがこちらサイドにまで、ビンビンと伝わってくるほどに渾身の大熱演。
それは最初からラストまで一切だれることもなく、エネルギー全開の疲れ知らず。
羨ましいほどの逞しさだ。
どの曲も基本的には3コード命を貫いているのでシンプル・イズ・ベストの3分台。
だから一気に次々と何曲もが畳みかけるように疾走していく。
息をもつかせぬ迫力。
テンションマックス状態がいつまでも継続。
その単純明快すぎるほどの暴れ具合が素晴らしい。
レッドゾーンはとっくに振り切っている。
なんまらデンジャラスに輝ける生きの良さは若さの特権だ。
誰もが度肝を抜かれたはずさ。
純粋過ぎるほどロック街道を猛然とまっしぐらに突き進む。
でもジックリ聞き込むとあちこちに隠し玉が潜んでいるからその発見も楽しみの一つ。
と言っている間にノリノリのパーティーショーは終了。
「オーケー!!また会いましょう!!!」
本当にお疲れさまでした。
心底、弾けまくったよん。
プレシャーの大きいセカンド・アクトという重責を軽く果たしてくれました。
ヤチヨ嬢からのアナウンス
「もう一度パンドラ―ズの皆さんに盛大なる拍手をよろしくお願いします!!」
まだまだ聞き足りないよう、とでも言いたげな観客たちから「アンコール!!」がいつまでも浴びせられていました。
会場内に響き渡るBGMは
ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」
ハミルトン・ジョン・フランク&レイノルズ「恋の駆け引き」
あろうことかその次に流れてきたのはヴァイオレンスチックなビースティ・ボーイズで「ファイト・フォー・ユア・ライト」
これは誰のセレクションだ!!?
****ライブ・レポートはこの後にも続くよ。
覚悟のほどを!!
3番目はガラッと趣向を変えて札幌は琴似からのバンド。
大人のフォークロックをしっとり甘く聞かせてくれます****