「コージー パウエル」
この人が脚光を浴びた事によって、どれだけのハードロックドラマーが誕生したことか。
それだけかっこよくて、男女問わずに誰もが憧れる存在でしたね。
筋骨隆々でもないし、決して大柄でもないのですが、彼がドラムセットに座った途端に繰り出される激しいスティックワークにはただただ圧倒されてしまいます。
一躍コージーの顔と名前が知れ渡ったキッカケはもちろんレインボーなのですが、私は第2期ジェフベックグループでコージーの存在を知りました。
狼ヘアと鋭い眼光、野生的なルックスがジェフベックにソックリなのは当時話題になりましたね。
コージーとジェフはお互いに車が大好きな事もあって、プライベートではよく一緒にカーレースを楽しむ仲だったそうです。(コージーのソロファーストアルバム「ローナー」はジェフに捧げられていて、セカンドアルバムでは遂に共演が実現!)。
コージーはジェフベックバンド後は自ら立ち上げたいくつかのバンドで奮起するも(日本のロック雑誌に白黒写真入りで紹介されていました)ことごとく解散。
コージーほどのテクニカルな個性的ドラマーがもったいないなあ…と思っていた矢先に突然入ってきたレインボー加入の報には、決して大袈裟ではなく飛び上がるほどに喜びましたよ。
その時は、コージー自身も一旦ドラムを辞めてレーサーを目指していたそうです。
それ以降のコージーの大活躍はもはや説明不要。誰もが知る事。
伝説のバンドやミュージシャン達と火花散る膨大なる音源やライブを実現。
しかし、あまりにもバンド脱退を繰り返すので口の悪い輩からは「風見鶏」と揶揄されもしました。
一度聞いたら忘れられない独特のフィルや、大砲のような爆音、見るからにデカイサウンドが飛び出しそうな26インチツーバス仕様のヤマハドラムセット(以前はラディック)
そしてクールな表情で打ち鳴らすシンバルワーク。リストバンドにフェラーリのジャンパー。
ドラム小僧達が皆真似したものです(なかなかコージーのようにはいかないけど。コージー自身はボンゾの足元にも及ばないと語っていました)
お約束のバスドラマシンガン速射砲打に、ハイハットを絡めた「ダ・チーチー!」はコージーのトレードマーク。
スティックもチップ無しのずん胴タイプで極太サイズ。あんなのをヤワな奴が使用したら腱鞘炎になるんじゃない?
私が東京で組んでいたバンドのドラマーも、もちろんコージーの熱狂的ファンで同じドラムセットをスタジオ練習のたびに自宅の横浜からトラックに積んで港区のスタジオまで運んでいました。あれだけでも重労働だった。コージーのドラムクリニックが九段科学技術館で開催された際にも、彼は喜び勇んで足を運んだのですが、コージーは登場した途端に教則本を破り捨てて「こんな堅苦しいものよりも、俺が皆に伝えたいのはこれだ!」と言い放ち即座にあの有名な迫力あるドラムソロをこれでもかあ!というほどにぶちかましたらしいです。
もうこれで掴みはオーケー!会場に集まったドラマー達は全員すっかりやられてしまいコージーフリークになったとさ(ちなみにレディースハードロックバンドのショーヤのドラマーも参加していて雑誌で同じことを言ってました)。
私がコージーをライブ生体験したのは「セインツ&シナーズ」発表後のホワイトスネイク武道館。
私はあいにく風邪気味でしたが、ソロ3作目「オクトパス」を発表したばかりのコージーは新しいドラムソロを披露して万雷の拍手を浴びていました。また曲中でもコージーがオカズを連打した途端にドラム以外の音が一瞬かき消されたのには、周囲の観客達皆がどよめいていました。凄い迫力!
私は東京にて楽器関連の仕事をしていた関係でいきなり上司から「村上、ひとっ走り羽田空港までトラックで行ってサンタナとコージーパウエルのドラムセットを積んできてくれ!1人でな!」と言われました。
私は夢のような気持ちで受け取りにいきましたが、コージーのシンバルケースやスタンド類の重さには身体が砕けそうになりました(T ^ T)。金属の塊だよ。
サンタナのドラムセットはノーマルでしたが…(両方共にヤマハ)
しかも会社の倉庫はコンサートラッシュで楽器や機材の山!
「もう置くところがないから、村上の部屋にコージーのドラムセットを置けないか?」とマジなのか冗談なのか信じられないことを上司が言うのです。置けるならばそうしたい!コージーのドラムセットに囲まれて一晩寝てみたい!でも三畳一間ほどのマイルームゆえに泣く泣く諦めました…。
それからもコージーの動向は常に追いかけていましたが、あの忌まわしき事故であっけなくこの世を去ってしまいました…。スピード狂のコージーらしいと言えばコージーらしいけど、あんなにはやく逝くことないでしょうよ、全く。
コージーの訃報が世界中を駆け巡って数多くのファン達がショックを受け、悲しみに浸る中、トリビュートアルバムが2作日本で発表されました。
両作共にジャパニーズヘヴィメタル界の重鎮が指揮をとって制作されたもの。
曲目はもちろんコージー絡みのものばかりですが、ちょい首を傾げたくなるような部分もあり。参加メンバーもね。
しかも、裏では色々と嫌な噂も囁かれ漏れ伝わってきました。
片方の参加ミュージシャンはあちらには関わるな!とか、お祭り気分のラインナップやミスマッチな組み合わせとか。
このコージーの件から発展して、ライブ盤、レインボーやツェッペリンものへとシリーズ化した頃にははっきり言って一気に興ざめしちゃいましたよ。海外ではコージーのトリビュート作品はないのかなあ?
さあ、とにもかかくにも、コージーだよ!
もうこの世にいないなんて今でもピンとこないです。
現にその後もコージーの申し子達が続々と誕生しているではないですか。
コージー現役時代にドラムをはじめた人は皆が皆、影響を受けているはずです。これって素晴らしいことです。
あ!私、コージーとは誕生日が1日違いです。惜しいなあ…!😓