THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

COZY POWELL TRIBUTE CD'S

2018-01-17 04:57:07 | free form space

「コージー パウエル」

この人が脚光を浴びた事によって、どれだけのハードロックドラマーが誕生したことか。

それだけかっこよくて、男女問わずに誰もが憧れる存在でしたね。

筋骨隆々でもないし、決して大柄でもないのですが、彼がドラムセットに座った途端に繰り出される激しいスティックワークにはただただ圧倒されてしまいます。

一躍コージーの顔と名前が知れ渡ったキッカケはもちろんレインボーなのですが、私は第2期ジェフベックグループでコージーの存在を知りました。

狼ヘアと鋭い眼光、野生的なルックスがジェフベックにソックリなのは当時話題になりましたね。

コージーとジェフはお互いに車が大好きな事もあって、プライベートではよく一緒にカーレースを楽しむ仲だったそうです。(コージーのソロファーストアルバム「ローナー」はジェフに捧げられていて、セカンドアルバムでは遂に共演が実現!)。

コージーはジェフベックバンド後は自ら立ち上げたいくつかのバンドで奮起するも(日本のロック雑誌に白黒写真入りで紹介されていました)ことごとく解散。

コージーほどのテクニカルな個性的ドラマーがもったいないなあ…と思っていた矢先に突然入ってきたレインボー加入の報には、決して大袈裟ではなく飛び上がるほどに喜びましたよ。

その時は、コージー自身も一旦ドラムを辞めてレーサーを目指していたそうです。

それ以降のコージーの大活躍はもはや説明不要。誰もが知る事。

伝説のバンドやミュージシャン達と火花散る膨大なる音源やライブを実現。

しかし、あまりにもバンド脱退を繰り返すので口の悪い輩からは「風見鶏」と揶揄されもしました。

一度聞いたら忘れられない独特のフィルや、大砲のような爆音、見るからにデカイサウンドが飛び出しそうな26インチツーバス仕様のヤマハドラムセット(以前はラディック)

そしてクールな表情で打ち鳴らすシンバルワーク。リストバンドにフェラーリのジャンパー。

ドラム小僧達が皆真似したものです(なかなかコージーのようにはいかないけど。コージー自身はボンゾの足元にも及ばないと語っていました)

お約束のバスドラマシンガン速射砲打に、ハイハットを絡めた「ダ・チーチー!」はコージーのトレードマーク。

スティックもチップ無しのずん胴タイプで極太サイズ。あんなのをヤワな奴が使用したら腱鞘炎になるんじゃない?

私が東京で組んでいたバンドのドラマーも、もちろんコージーの熱狂的ファンで同じドラムセットをスタジオ練習のたびに自宅の横浜からトラックに積んで港区のスタジオまで運んでいました。あれだけでも重労働だった。コージーのドラムクリニックが九段科学技術館で開催された際にも、彼は喜び勇んで足を運んだのですが、コージーは登場した途端に教則本を破り捨てて「こんな堅苦しいものよりも、俺が皆に伝えたいのはこれだ!」と言い放ち即座にあの有名な迫力あるドラムソロをこれでもかあ!というほどにぶちかましたらしいです。

もうこれで掴みはオーケー!会場に集まったドラマー達は全員すっかりやられてしまいコージーフリークになったとさ(ちなみにレディースハードロックバンドのショーヤのドラマーも参加していて雑誌で同じことを言ってました)。

私がコージーをライブ生体験したのは「セインツ&シナーズ」発表後のホワイトスネイク武道館。

私はあいにく風邪気味でしたが、ソロ3作目「オクトパス」を発表したばかりのコージーは新しいドラムソロを披露して万雷の拍手を浴びていました。また曲中でもコージーがオカズを連打した途端にドラム以外の音が一瞬かき消されたのには、周囲の観客達皆がどよめいていました。凄い迫力!

私は東京にて楽器関連の仕事をしていた関係でいきなり上司から「村上、ひとっ走り羽田空港までトラックで行ってサンタナとコージーパウエルのドラムセットを積んできてくれ!1人でな!」と言われました。

私は夢のような気持ちで受け取りにいきましたが、コージーのシンバルケースやスタンド類の重さには身体が砕けそうになりました(T ^ T)。金属の塊だよ。

サンタナのドラムセットはノーマルでしたが…(両方共にヤマハ)

しかも会社の倉庫はコンサートラッシュで楽器や機材の山!

「もう置くところがないから、村上の部屋にコージーのドラムセットを置けないか?」とマジなのか冗談なのか信じられないことを上司が言うのです。置けるならばそうしたい!コージーのドラムセットに囲まれて一晩寝てみたい!でも三畳一間ほどのマイルームゆえに泣く泣く諦めました…。

 

それからもコージーの動向は常に追いかけていましたが、あの忌まわしき事故であっけなくこの世を去ってしまいました…。スピード狂のコージーらしいと言えばコージーらしいけど、あんなにはやく逝くことないでしょうよ、全く。

コージーの訃報が世界中を駆け巡って数多くのファン達がショックを受け、悲しみに浸る中、トリビュートアルバムが2作日本で発表されました。

両作共にジャパニーズヘヴィメタル界の重鎮が指揮をとって制作されたもの。

曲目はもちろんコージー絡みのものばかりですが、ちょい首を傾げたくなるような部分もあり。参加メンバーもね。

しかも、裏では色々と嫌な噂も囁かれ漏れ伝わってきました。

片方の参加ミュージシャンはあちらには関わるな!とか、お祭り気分のラインナップやミスマッチな組み合わせとか。

このコージーの件から発展して、ライブ盤、レインボーやツェッペリンものへとシリーズ化した頃にははっきり言って一気に興ざめしちゃいましたよ。海外ではコージーのトリビュート作品はないのかなあ?

 

さあ、とにもかかくにも、コージーだよ!

もうこの世にいないなんて今でもピンとこないです。

現にその後もコージーの申し子達が続々と誕生しているではないですか。

コージー現役時代にドラムをはじめた人は皆が皆、影響を受けているはずです。これって素晴らしいことです。

あ!私、コージーとは誕生日が1日違いです。惜しいなあ…!😓

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シカゴ結成50周年記念ボックス セット発売か⁈

2018-01-16 21:34:57 | CHICAGO

貴重な音源としては、1970年8月ワイト島フェスティバルに出演した際のライブも収録されるようです。

これは最大の目玉。

なんといっても、長年にわたって噂ばかりが先行して未だに陽の目を見ていない幻の音源。

当初は正式にシカゴ第三弾アルバムになる予定だったものが、諸事情により「カーネギーホールライブ」になったという経緯があります。

それが遂に、遂に聴けるわけですね。

興奮を抑えられません。若き熱いブラスロックが蘇る!

〜very  special thanks to chicago navi!〜

 

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water ripples(chicago)

2018-01-16 21:27:21 | CHICAGO

水に石などを投げたとき水面にできる模様。波や渦などの模様。水面の波紋。また、それに似た模様。

masa's art chicago logo respect gallery

〜ウィキペディアより〜

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2018年STA始動!

2018-01-16 19:46:13 | リハーサル

CSテレビで「ハレンチ学園」をやっていたよ。
懐かしいなあ^ ^。
私が小学生の頃、社会問題になったハレンチブームのキッカケ作品。
今改めて見たら、おバカなドラマだけれど、かえって新鮮で笑える可愛らしさ。
しかし児島みゆきさんのようないやらしいくらいに綺麗で明るいスタイル抜群な女学生が学校にいたら、そりゃあ男子達は大変なことになったでしょう。

 

さてさて、早速STAは今月のライブに向けて動き出しましたよ。

といっても前もって課題曲は振り分けられていたので、各自で年末年始も個人練習に汗していたことでしょう。

久し振りのススキノ・スペースアートホールでのライブに、メンバー一同かなり燃えています。

今回の編成は7人。

ただ、スタジオリハにはコニタン&シゲは残念ながら合流できず・・・。

5人が元気一杯に集結しました。ドアを開けたらロビーには村上トリオがくつろいでいました。

ファニーとシロクマさんね。

オーナーもいつもの穏やかな笑顔で出迎てくれました。

皆さん、今年もヨロシクね。

今回のSTAの顔ぶれがこれまた新鮮。

クニ&マサは常連組だけど、ミツが本格復帰。

帯広から札幌に数年ぶりに戻ってきたのです。多忙の中、トロンボーンを手にやってきましたよ。

他のメンバー達も同じくなんとかスケジュールをヤリクリして参加。

ミツは長年のブランクもなんのその。さすが昔取った杵柄!とばかりに意気揚々と吹きまくっていましたよ。頼りになる奴だ。

やっぱりベテランがいるといないとでは、空気感がまるで違いますね。

互いにインスパイアされる、いい意味での目に見えない不思議な何かが確実に存在するのです。

ミツ本人は「いやあ、音感も体力回復もまだまだだ。

勘を取り戻すのには時間が必要だ」と謙遜していましたが。

クニも相変わらずトランペット、パーカッション、コーラスにと休みなく汗を流していました。それプラスでホーン隊のなかでは一番状況を把握しているので、彼が中心となってスコアとペンを手に懇切丁寧なる説明を逐一加えていました。

皆、自分のことを差し置いて思いやりの心でコミュニケーションをはかりつつも一丸となって音造り。

そして先月から正式メンバーとして加入したギターの若武者コニタンなんだけど、

はやくも彼の後にニューフェイスが年明け錚々お目見え。

しかも2人ですよ!!

まずはテナーサックスのブンキさん。

実は彼とは先月のホットタイムでSTAは初タイバンを組んだ仲。彼は「ボズプロ」というボズ・スキャッグスのカバーバンドで唯一の管楽器プレイヤーでした。

マサがその人柄と腕前にほれ込み、くどき落として今月のライブでご一緒することに落ち着いたわけです。

年末にマサとブンキさんとでラインのやりとりをしながら、音源&スコアを郵送して打ち合わせはバッチリと完了。

ブンキさんはスコアが苦手と言っていたけれども、そんなこと微塵も感じさせないほどに吹きまくっていましたよ。

STAのセットリスト、オープニングからブンキさんのサックス・ソロがいきなり吹き荒れます。全体的にみてもブンキさんのソロ率が高い!これはホ-ン・セクションでの話し合いによる結果。

ブンキさんもクールに、かつ不敵なる笑みをうかべて、躊躇なくそれを受け入れていました。

ブンキさんのルーツは驚いたことに(本当にマサとミツはビックリした!)ピンク・フロイド「狂気」に収録されている「マネー」に聞かれるサックス・ソロなんだよね。

つまりはプログレが入り口。でもジャズには走らなかったそうです。

だから一種独特な雰囲気のあるフレーズを演出するわけだ。

今後の活躍が超楽しみです。

そしてマサと初めてリズム・セクションを組むのがドラムのヨシキくんだ!

彼とクニとは10代の頃からのマブダチ。

つまり小樽在住。

もちろんこの日は一緒の車でやってきました。

今回のライブ演奏話もクニが間に入って進めてくれたのです。

打ち合わせや音源提供もクニ。

その後の詳細なる詰めはマサの役目。もうこれだけでオーケーでしたね。

売れっ子ドラマーのヨシキくんは今も10バンド(!!)を掛け持ちしているのですよ。

こんなにたくさん在籍しているなんて信じられない。

自身がリーダーとして牽引しているのが「クラッシュ・ビート」

だからとっくにSTAとは顔なじみなわけ。

他のバンドでもドラムやパーカッションを最高のアクションとパワーとテクニックで叩きまくっている姿がたくさん見てきたマサは、いつか絶対にヨシキくんと一緒にプレイしたい!という夢を描いていました。それが遂に実現したわけです。

実際にやってみたらば、想像以上のケミストリーを感じちゃいました。ミツも大満足。

センスと勘とグルーヴが半端じゃあないくらいにいかしています。

なんといっても、これだけの癖ある曲目を、よくもまあ短期間で憶えてきたものだ、と感心しきり。

ただ一言でバッチリと噛み合っちゃうんだもんね。

第1音が発せられた瞬間に「今回のライブはいただきだ!」と確信。

そうとわかれば、あとはしめたもの。

マサがいつものように、壁に張り出した曲目表に沿って試しに合同演奏。

曲ごとにマサがイントロ、カウント、テンポ、ソロの配分、エンディングなどを口頭で解説。補足の役目はクニ。

ブンキ&ヨシキの2人も疑問点は、膝つき合わせて納得のゆくまで討論。

コニタンがいないので、マサがギターに扮して2曲のイントロ・リフを弾く。

これはこれで面白いね。

当然ギター・ソロがないので、その穴はミツがトロンボーンで乱入。

小樽・北運河サウンド・エナジー・ライブでやったあの場面の再現だ!懐かしい。アヴァンギャルドな展開でシンも火花散らしてソロの応酬を繰り広げたっけねえ。

フェイド・アウトの曲もマサが説明・・・・でもうまく表現できないため「演奏したほうが手っ取りばやく伝わる」と即座に音出し。

ホーンの3人がソロの順番と小節数を固めていきます。

その合間のリラックスした雑談でも常に笑いが絶えません。

今回のライブは初組み合わせのメンバー達用に特別にマサが仕上げたもの。

ここ数年のライブに導入しているエディットナンバーは一切なし(だからちょくちょく戸惑いや勘違いも勃発したけれども演奏をストップして確認後に解決)。

時間的にも余裕があるので、本番では色々と遊び心も加味するつもりです。

それもこれも今回のプレイヤーたちに対する厚い信頼があったればこそだ。

むやみやたらにそんなことを取り入れて、今までに何度も痛い思いをしたものです・・・・。

ライブ風に一巡してしばしの休憩。

演奏の合間にマサが初対面のメンバー同士の架け橋となって紹介をするのですが、第一声は皆決まって、音楽や楽器、バンドやライブの事なんだよね。微笑ましい光景だ。

後半では、さっきの多少不安定だったところを意識しての取り組み。これがまた一段と向上。

ヨシキくんは「不安定で噛み合わないところは、叩き方を変えてみたんだよね」

研究熱心。実は出かけ間際に雪投げ作業をしてきたらしく、腕に疲労が蓄積されていたみたい。

微塵もそんなことは感じないくらいの爆音だったけど(笑)

ただむやみやたらに叩くだけではなく、一発一発にかける意気込みが半端じゃあない。

そうこうしているうち、あっとういう間に終了時間となりました。

充実のヒトトキ。中身が濃厚な2時間。

これは年明け錚々ミュージシャンにとっては縁起のいいことだ。

幸先の良いスタートだね。

27日のライブではオオトリをつとめさせていただきます。貴重なメンツによるSTAライブだよ。

 

 

 

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slingerland(danny seraphine)DRUMS

2018-01-14 21:09:11 | CHICAGO

その歴史

■1920年代:バンジョーからドラムへ

スリンガーランドは、イリノイ州シカゴで誕生しました。
創業者はヘンリー・スリンガーランドという人物で、優秀なビジネスマンであったといわれています。1900年代に音楽の通信教育を始め、1920年代に入ると当時ブームとなっていたバンジョーの製造を開始しました。そしてバンジョーが下火になると、「ヘッド」という共通点のあるドラムの製造に乗り出しました。

スリンガーランド・ドラムの出発点は、“ドラムにおける完成の極致”と銘打たれた1928年版のカタログに見ることができます。
特に、「アーティスト」「プロフェッショナル」「ユニバーサル」の3グレードで構成されるスネアドラムは、クラシカルなフックタイプのフープとチューブラグの組み合わせが印象的な、戦前のスリンガーランドを代表するモデル群といえます。ビンテージ市場でも時折見かけるアイテムです

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Char Bogert Appice LIVE (CD)

2018-01-14 21:04:07 | free form space

日本が世界に誇るスーパーギターヒーロー、チャーによる夢のようなロックトライアングル「CBA」
再結成パールがテレビ出演した際、ゲスト参加したチャーとカーマインは「迷信」をプレイ。それが縁でこれまた再結成来日したバニラファッジのライブにて、チャーが再び「迷信」で合流。たちまちティムとも意気投合したチャーがCBA結成へと動きます。
ロック史上最高のトリオバンドBBAに引っ掛けてのバンド名。つまりジェフベックのポジションをチャーが担当する…わけでもなく、バニラファッジ、チャーのレパートリーにBBAも組み入れてのミニツアーとなりました(BBAの未発表曲まで披露)。
日本のジェフベック!とチャーはよく言われますが、よくよく聴いてみると、若干の違いはありますよね。チャーは安定したテクニックがかっこいい器用な天才ギタリストで、しかもボーカルまでこなしちゃう。コンポーザーとしても一流。
かたや、ジェフベックはといえば、全く予期しない角度から突拍子もないサウンドでいきなり鋭く切り込んでくるギタリスト。しかも時にはアバンギャルドな音やら奏法まで交えて。
ベックは指弾き。スライドバーも多用するし、昔はボイスモジュレーターやギターシンセなんかもこなしていたし。いずれにしてもチャーがジェフから多大なる受けているのは事実だけど。
話を戻してCBA。
結局はこの音の悪いライブCD一枚で終わりました。テレビ生中継や、別会場でのライブ映像なんかも放映されたけど、DVD発表なし。ライブ盤も2枚組みでもよかったのでは…!
まあ、昔取った杵柄とは良く言ったもので、さすがロック界最高のリズムセクションだけあって分厚く重いアンサンブルは貫禄充分。3人共に歌えるのも強み。
チャーも安定感抜群なプレイで対等に渡り合っています。
ところがです!事件は神戸チキンジョージで勃発!
これは有名な話ですが、JL&Cの代表的な「ドライブミーナッツ」のイントロでトラブルは起こりました。
演奏や曲やバンドを舐めていて進行を把握していなかったカーマインがトチるのです!
ブチ切れたチャーはアンプを蹴り倒して引っ込んでしまいました!
なんとかティムがとりなして事なきを得てライブは再開!
このバンドの名前を聞くたびに(まあ滅多にない事だけど)必ずこのほろ苦いアクシデントが頭をかすめます。
私は1981年ピンククラウドの品川プリンスでのライブで、チャーがあまりにも周りをうろちょろしてプレイの邪魔になるカメラマンに「もっと離れて!」と指で指示してもやめず、ついに怒り爆発してギターのボディをソロ弾きながらカメラに何度も叩きつけたシーンを目撃しました。そのノイズまでもがフレーズの効果音になってて素晴らしかった。曲終了後もMCで、かなりチャーは怒ってましたね。オーディエンスも当然盛り上がってました。
チャーはその後、ジャックブルース、サイモンカークと奇跡のトリオライブを武道館で敢行!…の予定が直前になってジャックブルースの癌手術で幻となりました(伝説と化したクリーム、フリー、バッドカンパニーのメンバー)ジャックはすでに故人ですから叶わないユニットとなり、ひじょうに残念です。
一方、カーマインアピスは商売上手な人。
リックデリンジャーと組んだDBAも実現させています。
他にもバーガスというギタリストとも組んでいますね。豊富な人脈あったればこそ。
チャーとジェフベック共通の友人ジムコープリー(故人。信頼厚き職人ドラマー)がジェフにCBAのことを伝えると「よくチャーはあの2人とやってるなあ」と言ってたらしいです。ジェフさん、あなた人のことは言えないでしょう^_^!
因みにBBA未発表曲をCBAで演奏する許可をカーマインがジェフに求めると「それも面白い!」と言ってくれたのだとか。
カーマインとジェフは今も交友関係にあります。

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PASS (chicago)

2018-01-14 18:38:13 | CHICAGO

とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所。 山脈越えの道が通る最も標高が高い地点。 なお、の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片という。 日本での片の代表的な事例としては碓氷がある。

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〜ウィキペディアより〜

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PINK FLOYD/TRIBUTE CD'S

2018-01-14 18:35:11 | CHICAGO

プログレ界のカリスマバンド「ピンクフロイド」
彼らのトリビュート作品は、たくさん存在するのでしょうが、私は現在のところ3枚を所持。
もっとあったんだけど、貸したきり戻ってきません(T ^ T)…!

まずは、一目でロジャーディーンとわかるジャケットデザインのシンフォニーモノ。
そして、プログレ専門のレーベル「マグナカルタ」から選りすぐりのバンドマンたちが、恐ろしいことに、なんとあの永遠の名作「狂気」を完全再現!
最後はお約束のロックミュージシャン達が一堂に介してカバー大会。
元シカゴのジェイソンシェフも参加しています。
他のミュージシャンは…
スティクス、エイジア、ディープパープル、ロキシーミュージック、チューブス、TOTO、ポイズン、ザ カーズ、キッス、ドゥービー、イエス、クリムゾンなどなどのメンバー、そしてドゥイージルザッパ!

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crescent moon(chicago)

2018-01-14 15:42:48 | CHICAGO

円弧状の細い範囲が輝いている。そのため、眉月(まゆづき、びげつ)、蛾眉(がび)、繊月(せんげつ)などとも言う。三日月より早い2日の月はほとんど見ることができず、三日月は最初に見える月であるため、新月(しんげつ、ただし現在は朔の同義語に使う)、初月(はつづき、しょげつ)などとも言う。他にも多くの異名がある。

三日月の黄経太陽よりわずかしか先行していないため、三日月は日没のすぐ後(約2時間後)に、光っている側を下(北半球では右下、南半球では左下)にして沈む。いっぽう、三日月の出は日の出のすぐ後であるため、見ることは難しい。

朔(月齢0日)が陰暦1日なので、三日月の月齢は3日ではなく2日である。厳密には、朔は陰暦1日の平均12時(0時から24時までのいつか)で、いっぽう三日月は(昼月を別にすれば)日没直後しか見えないので3日18時の月齢を求めると、平均2.25日になる。これは平均朔望月29.53日の約8%で、月相は平均27度、2.13日となる。ただしこれらは平均であり、朔の時刻のばらつきなどにより±半日強の変動がある。

地球から見た三日月の輝いている面積は、(1 - cos 27°) / 2 = 0.056 と、満月のわずか6%にすぎない。しかも、光っている月面をほぼ真横から見ているため光度はさらに下がり、満月の1/300にすぎない。

陰暦26日深夜(27日未明)の月を二十六夜(にじゅうろくや)と言い、三日月に形は似ているが、光っている部分が東西逆側である。見える時間も違い、日の出の前に、光っている側を下(北半球では左下、南半球では右下)にして昇る。

masa's art chicago logo respect gallery

〜ウィキペディアより〜

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A TRIBUTE TO QUEEN'S

2018-01-14 15:39:18 | CHICAGO

クィーンって、デビューしたての頃は全く評価されてなかったのです。今だと信じられないけど本当の話。本国のイギリスでも酷い扱い。
ところが、ここ日本だけは違った。
早くも音楽雑誌では大特集を組み、増刊号まで続々と発売。巻頭カラーは当たり前。
でもほとんどのファンは女の子達でした。
それも仕方ないこと。
全員がヒラヒラした白い衣装で正に漫画の世界から飛び出してきた王子様のよう。
全員が長髪姿で美形。
お化粧もバッチリと施して (クィーンとはオカマの隠語でもあります)
人気急上昇。
初来日時、飛行場でのビートルズ並みのファンによる熱狂の渦は、クィーン自身もたまげたらしいです。なんたって、そんな経験は初。
今でもクィーン達にとっては、忘れられない思い出だそうです。
その後のクィーン快進撃はもはや説明無用。
だから、クィーンから多大なる影響を受けてリスペクトしているバンドやミュージシャンも膨大。
当然、トリビュート作品もたくさん発表されています。私もちょこちょことコレクションしていますが、こんなに持ってたなんて…
改めてビックリ。
日本のバンドも多いし、オーケストラモノ、スパニッシュ、ダンストラックス、ミニアルバムなどなど様々。
定番のハードロック界隈のミュージシャン大集合のアルバムはやはり聴き応えがあります(元シカゴのジェイソンシェフも参加)
この手の常連組には慣れっこです^_^。

極め付けは、誰がなんといっても1992年ウェンブリーで開催されたフレディマーキュリーのトリビュートコンサートでしょう!
いかにフレディが偉大なるアーティストであったかが、あの顔触れやスケールを見たら納得です。
キーが合わないエルトンは気の毒でしたが、デビッドボウイは「アンダープレッシャー」だから手慣れたもの。

クィーンは札幌にも来てくれましたが、私は最後の来日「ワークスツアー」武道館で観ることができました。
ブライアンメイはライブより、スタジオ盤向きなギタリストだなあ…と個人的には思いました。
全盛期は過ぎていて、ボーカルにも不安感があったフレディではありましたが(最後の来日とか病気の噂が流れていたし)そんなこと微塵も感じさせないほどのカリスマ性を備えていてオーラ発散しまくり、ナルシスト全開、世紀のエンターテイナーぶりに「クィーンとはフレディそのもの!」と一挙手一投足に見入り納得して大感動しました!
彼の代わりなんて、絶対にありえない!
フレディマーキュリーというジャンルは唯一無二だからね。

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