Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

ここにも藤堂高虎の城 宇和島城

2013-01-03 12:00:00 | まち歩き

藤堂高虎は城作りの名手だったそうです。あちこちの城を見て歩くとなるほどなと思えるのですが 一体いくつの城を作ったのか?
驚きの数です。

遊子から戻って町の真ん中にそびえている宇和島城に行くことにしました。 あ 私そんなに歴女ではありません。 違っている点があったら教えて下さい。

登城口が二つあります。 駐車場を探して行ったら西の方の登城口にでたようです。駐車場は三之丸の跡地です。 御殿のあったところにはお店が出来ていました。

Nagayamon
近すぎて変ですが藩老桑折氏武家長屋門だそうです。ちなみに桑折はこおりって読むのだそうですが私にはなじみの無い姓で変換できないだろうと思ったらちゃんとあった。 この辺では良くある姓なのですね?

でと取るても立派な門だったそうで間口35メートル 奥行き4.1メートルって凄くないですか?

35メートル・・・・・広すぎる

もともとここにあったわけでは無く ここに移すときに長屋の部分を切り取ってしまったんだとか・・・右には厩 左には門番や使用人達が済んでいたようですよ。 今はお城の入り口の狭い場所に無理矢理うつしてあるのでそのスケールはよくわかりませんけど

この門をくぐって石段を昔さながらに歩きたかったのですが 災害の痕がまだ復旧されていないとかで巻き道を行くことになりました。

Isidan宇和島城は初めから藤堂高虎が作ったものでは無いようです。

昔からあった板島丸串城の跡に作ったものだそうです。 板島 丸串って地名でしょうか? 今の地図を探しても分りませんでしたがきっとここにあったのでしょう。

なぜ気になるかというと 藤堂高虎が城を作るならもっと海沿いに作るのではないかと思ったからです。城を守るにこんな良い立地はないだろうと思うのです。

Umi
でも本丸から見た海は案外遠いのです。ふ~~ん

でも幕末の地図を見ていて分りました。
今ある市役所方面は昔は海だった。埋め立てもされてるようです。

Map2
石垣を左に見ながら登ってきたら 長門丸にでました。 今は児童公園になっています。

少し階段を上ったところにもう一つの郭があって藤兵衛丸と言われる場所が
何があった場所でしょうか?

今は郷土館があるようです。

Isidan_2
石垣 苔むしていて良いですね?

現在保存整備事業が行われているようです。どんな宇和島城が浮かび上がるか楽しみですね。

Tensyu
整備中為でしょうか? 工事用の網網の階段を上って二の丸に出ます。

二の丸と本丸合わせて9個もの矢倉があります。 城を守るためとは言え凄いですね?

Honmaru
天守から海を臨みます。

こうやってみるとやはり地形を利用した守りの城です。 リアス式の宇和海は小嶋がいっぱいあるように見えます。

Osonae
私に取っては宇和島城は藤堂高虎の城というイメージですが 宇和島の人々にとっては伊達の城のようです。

宇和島城の城主になった伊達秀宗を初めとしてその後この城を伊達家が治めていくようになります。

伊達政宗の長男で有りながら秀吉の人質になっていた伊達秀宗はその後秀吉 秀頼に使えていたことなどから 仙台城の跡継ぎとは認められず親子関係がうまくいかなくなったそうで ちょっと切ない歴史もあるのです。

この鏡餅は伊達家流だそうです。
ものすごい豪華ですね?

Setumei
読めますか? 

こんな説明がありました。

宇和島の人々に仙台の文化が根を下ろす。 今宇和島の人がお正月のお飾りをどんな風にしているかは知りませんが きっと何かの影響を受けている。

ある意味で不遇な暮しを余儀なくされた伊達のお殿様はこの地で地元の人々とどんな風に心を交わしたのでしょうか?

まだ発掘中とのこと また機会があったらもう少し勉強して訪れたいお城でした。

コメント (6)
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天と地と海のはざまに生きる 遊子水荷浦の段畑

2013-01-03 09:30:00 | 旅行記

昔テレビで宇和島のだんだん畑を見たことがあります。
あり得ないほどの急なだんだん畑で たとえば長野県の姨捨や 能登のだんだん畑や 愛知県で言えば四谷の段々畑の様なイメージを持っていた私にはかなり驚きの光景でした。

Obasute
これは姨捨です。これが私の段々畑のイメージでした。

私の知っている棚田は 小さな機械なら使えます。 ところがテレビの棚田は人の肩ほどの広さしかなくて じゃがいもを落とせば下までころころ  人だってうっかり落ちていきそうです。

確かめてみるしかないね

遊子水荷浦(ゆすみずがうら)と読むのだそうです。 iPadの地図には出てきません。 ああだこうだといろんな文字を検索にかけてみてやっとその場所を知りました。

宇和島って四角い四国の西南の位置にあるという認識はありましたがおやおや 随分入り組んでいます。 そして遊子は細い細い半島の先にありました。 地図だけを見ていたので車は尾根を走るのかしら?と思ったほどです。

Uwakai行っても行っても島 島 島です。
思ってもいなかった景色にちょっとびっくり。海と言えば大海原を想像していたので・・・・ 宇和海はリアス式海岸だったのですね?

それにしても海と言うより湖のようです。
すぐそこに九州があるとは思えません。

Uominooka
魚見の丘

魚貝藻霊供養塔とあります。海で暮らす人々が海の恵みを戴く事を感謝しているのですね?

それにしてもものすごい風です。 立っているのがやっと
気持ちが折れそうです。 水荷浦って何処?

Mizugaura
ん? あれじゃないの?
段々畑には見えないけれど山のてっぺんまで耕しているような場所が見えます。

海辺に降りて車を走らせます。

Danbatake
これです。 畑には見えませんねぇ

只の石垣のようです。よーく見ると横に線が見えるでしょ? あの細かい線が段畑の段なのです。

まだこれじゃぁ分りませんね? 近づいてみましょう

国選定重要文化的景観だそうです。
急斜面に等高線に沿って小さな石を積み上げて作った階段状の畑だそうですがまだこの時点ではよくわかりません。

Map
空からの写真です。刀の刃先の様な半島にてっぺんまで畑・・・・・

凄い

Gyokou
遊子は漁村です。 タイトルの天と地と海のはざまに。。。。はパンフレットのコピーですが まさにそんな地域なのですね?海沿いの道以外に暮らせそうにありません。

海の幸は採れても畑のものはこの地形では難しい。ここの暮らす人々の知恵と願いが産み出した農のあり方なのですね?

Danbatake2
民家の裏手を登ってみました。

おお~

少し段畑の様子が見えてきました。青いビニールの下に黒い点が見えるでしょ?

人なんですよ。 後でお話を聞くことが出来ました。

どのくらい狭い幅の畑かも分りますね?まだ本当は信じがたいんですけれど。

Jyagaimo
ジャガイモ畑のようです。 黒いビニールシートから青い葉がでています。あんなに風強くて寒いのに育つんでしょうか?

ビニールシートで根を守っているのかしら? このじゃがいも掘るときのこと考えるとどうするのかと思っちゃいます。

れれ モノレールが見えます。 静岡のお茶畑のように やっぱりモノレールが活躍?

Danbatake3
ひゃ~~ 
高度感たっぷりです。 

山登りをするので慣れているはずの私も 今こうして写真を見ていてもどきどきします。

本当に落ちる人いないのかしら?

Danbatake4_2

Ojisan
さっき黒い点だったおじさんです。
ちょっと調子の悪いカメラにもいやな顔しないでポーズとってくれました。

この畑もう慣れたから何ともないとのこと・・・・そんなもんかしら?

今はモノレールがあるけれど昔はこの狭い畑を天秤担いで登ったそうな・・・
天秤が壁にぶつかってバランス崩したりしないのかしら? 

考えただけでぞくぞくします。

カールおじさんの話によると今は大きな段畑はここにしか残っていないけれど昔は宇和島のあちこちでこんな風景が見られたそうです。
車で走っている間 四国は海と言うより山の中にあると感じていた。 そのぐらい農耕にむいている土地がなかったと言うことなんだね?

人間の力凄いです。

感動しながら魚見の丘方面に戻る途中沢山の大漁旗を付けた舟が遊子の方に向って行きました。 お正月の行事があるようです。 しまった・・・見たかった
始まりは10時のようで まだたっぷり待たねばならない私達は後ろ髪引かれながら宇和島の町に戻ったのでした。

コメント (2)
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長年気になっていた場所 宇和島

2013-01-03 07:00:00 | 旅行記

今回 息子が四国の旅を考えてくれたには訳があります。
私がネットの世界に踏み出したのは13年前。 ネットのことが全く分からないこと 今と違っておもちゃのようなパソコンだったこと等があってトラブルの連続でした。

そんなときにいつもとても丁寧に教えて下さったのが宇和島にお住まいのカールおじさんでした。IT関連のお仕事をされているとのことでしたがメールだけでパソコンのこと全くの初心者に教えるのはとても大変だったと思います。

まるで魔法使いでした。 パソコンの画面を貼り付けて説明下さったので こんなパソコン音痴でも何とか分るようになって・・・・
ずっと感謝していたのですが 私のパソコンが壊れリンクが消えたりして年賀状だけのおつきあいになってしまいました。

それでも今までにメールでのやりとりで面白い話をいっぱい聞かせてもらって まだ見ぬ四国の町宇和島に思いをはせていたことは確かです。 どんな町なんだろう? だんだん畑  冷や汁 じゃこ天 牛鬼 宇和島城 河内晩柑・・・・・

そんなことを息子が覚えていて「お母さん宇和島に行きたいって言ってたでしょ?」
有り難いことです

まず カールおじさんのホームページを探しました。 検索をかければ簡単に出てきます。それをしなかっただけ・・・・見ればカールおじさんフェイスブックなさっているではありませんか?
それも10年も前から・・・・・
フェイスブック そんなに古くからあったんや

お友達申請をしてiPadを荷物にくわえます。 これでお話が出来ます。

さて何処に行くか? 時間は一日しかありません。 カールおじさんに聞いていただんだん畑に行きましょう。 和霊神社も行きたいのですが 宇和島城も外せない。う~~ん  やはり時間が足りない。

夕方には松山まで戻って夜行バスです。 これで一杯一杯でしょう。

カールおじさんからメールが「宇和島まで来ているのなら案内しますよ。」有り難いお話ですが お正月早々ご迷惑をおかけできないし 時間も無いのでお断りを・・・・面白いお話が聞けたかもしれないのにね

いつかまた四国に巡礼の旅に・・・・その時にお目にかかれると良いなと思いながら・・・・

コメント (2)
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