Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

伊予の小京都 大洲Ⅱ

2013-01-02 17:00:00 | 旅行記

Hei
臥龍山荘は肱川が大きく蛇行して膨らんだ場所にあります。長く連なる美しい塀を回り込んで川の方に降りたところに入り口がありました。

Isidumi
もともとは藩主加藤泰恒公が この景勝地に桜は吉野から楓は龍田から移植して愛でていたのだそうだけれど 特に手を入れることもなかったのでどんどん荒れていったのだと・・・・

この美しい山荘は明治になってから河内寅次郎さんがこの庭を買い取ってから造ったもののなのだそうです。

ミシュランガイドの星一つをもらっていると言うことを考えても見る価値はありそうです。

Mon
山荘は 不老庵 臥龍院 知止庵 庭園 臥龍蓬莱山からなっている実にわびさびのあふれる山荘でした。

建物のの中は写真を撮ることが出来ません。つたない説明でこの山荘のすばらしさを伝えられるかどうか? 怪しいところです。

私が特別にこころ惹かれた場所は臥龍院の部屋の造り。 霞月の間 清吹の間 壱是の間
計算し尽くされた美しさです。 自然を部屋に取り込む技があちこちにあります。清吹の間の障子に当たる陽は次の間の丸窓を通して月と映ったり 透かし彫りを浮かし上がらせたり・・・・

どれだけいても語り尽くせない魅力でいっぱいです。壱是の間は畳を上げると能舞台にもなるそうで反響音の効果も工夫されているとか。 大きな部屋ではないのですが あちこちに遊びも一杯で・・・・何と贅沢な山荘でしょう?

コウモリって私の感覚から言うとあんまり良いものではないのですが ここには随所にコウモリがいますよ。 取っ手 くぎの頭

Niwa
中は写真が撮れないので庭に出ます。

Cyasitu

Tukubai随所にわびさびの心です。

下手な説明は野暮ですね?

Furouan_4
不老庵 臥龍淵の真上にあります。庵その者を舟に見立てたあるそうですが天井に川面の月光を反射させる趣向が組まれているそうです。

Himuro
氷室もあります。

Garyuuann
閉館の時間が近づいて 部屋に灯りがともっています。

光の明暗を美しさに変える技を持った美しい山荘にお別れです。まだ少し大洲を回って 夕方までに宇和島まで行かなければなりません。

Akarennga
行きよりも一本肱川寄りの道を回って帰ります。

赤煉瓦館です。

函館やうちの近くで言えば半田を思い出します。赤煉瓦異国情緒がいっぱいですが商業銀行として建てられたようです。

Pokopen
亭主がきょろきょろしています。 お目当ての場所が見つからないと・・・・

ここ ポコペン横町でした。 懐かしい香りのする横町でした。 三丁目のなんちゃらって言う映画に出てきそうな風景です。

只時間が遅かったのかお正月のせいかやっていませんでした。

大急ぎであさもやに戻りじゃこ天とじゃこカツをおやつ代わりにつまんで宇和島に向います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊予の小京都 大洲 Ⅰ

2013-01-02 15:30:00 | 旅行記

「伊予の小京都」は観光パンフレットにあったのだけれど 実際歩いて見て感じたのは小京都と言うよりはもう少し時代の新しい明治大正の色を強く感じた。

とは言え城下町である。戦国時代から戸田勝隆 藤堂高虎 脇坂安治 加藤貞泰と城主が変わり明治維新になる。一国一城の決まりによる城郭廃止例から免れたけれど あまりに傷みがひどくて明治21年には取り壊されたとのこと。

平成16年に資料を基に復元したものである。

Oozujyou
息子が「大洲へ行くならふじどうたかとらの城も行くんでしょ?」

「アホか とうどうたかとらじゃ。」と言い合った事を思い出してくすっ

息子は歴史には全く無知で時々面白いことを言う。

でも お隣の滋賀県出身で 三重県のお殿様でもあったのだからもう少し知っていて欲しかった。

Isigaki石垣はとても立派なので 往時はかなり大きな城が建っていたのだろうなと思う。

天守は復元されたものですけれど繋がっている台所櫓 高欄櫓は重要文化財になっているので昔のまま残っているのですね?

Getabako
おや? 玄関下駄箱がめちゃ豪華です。 ちょっと違和感あります。
復元されたのが2004年と言うから仕方ないのかな?

Jiorama
天守はあまり見るべきものがなかったのが残念。 一回には城を作っている様子がジオラマ風に

後は一番上まで全国の城の写真を並べてあるだけでした。

いろんな資料はどこかに展示してあるのでしょうか? 

Map_2
お城のおじさんの案内で町の駅あさもやに来ています。
ここが大洲散策の拠点らしい。

ここに二つの散策の提案がありました。江戸幕末期を訪ねるコース。
明治大正を訪ねるコース。

ここで江戸のコースを選べばもっと大洲の歴史が分ったに違いありません。私達が大洲を明治大正の色を強く感じたのはこのコースを右の方へ行ったからに違いありません。

Hameeおはなはん通りから臥龍山荘へ行き 赤煉瓦館 ポコペン横町などを回って戻ってくる予定です。

Ohanahandoori_4
おはなはん通りです。
子どもの頃見ていたNHKの朝の連ドラの舞台のようです。
いーつでも あーかるく~♪

うろ覚えですがテーマソングも覚えていますよ。倍賞千恵子さんが歌い ヒロインは樫山文枝さんでした。

ふ~~ん ここが舞台だったのかぁ

この通りの肱川側に商家 反対側に武家屋敷が並んでいるのだそうです。 立派な家が並んでいます。

Kura
蔵が並んでいます。
この辺も内子と同じように蜜蝋や繭で栄えたそうです。
回りの町並を見ているとどのくらい賑やかな町だったのか想像が出来ます。

Kura2_4
ここでもクリーム色の蔵や壁が並んでいます。

蔵は白壁と思っていた私達にとって新鮮な色です。優しい感じです。

Roji
おはなはん通りを抜けて狭くなった道を更に進みます。

臥龍山荘へ向かいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬鹿と煙は高い方へ  富士山(とみすやま)

2013-01-02 14:00:00 | 山歩き

大洲へ行く途中 亭主が地図を見てう~~ん と唸っている。
どうしたの?
雲海展望公園へ行きたいんだけど 行き方がよくわからん。

亭主は山登りはしないのだけれど 高いところへ行くのが大好き。 つまり楽して展望があるとなると必ず行ってみる人である。 今までのお出かけでも振り返ってみると必ず一度は高いところへ行っている。 馬鹿と煙は・・・・・である。

反対はしなかったのだけれど諦めたらしい。 車は大洲に向って走っていた。 もう少しで大洲の町と言うところで「あ 富士山 ここでもいいや。」
と言うことできゅ~~んと左へ 山道をクネクネと登って着いたところは大洲家族旅行村。
ここからの眺めも良いのだそうな。

Mapこんなミニミニ山登りを敢行。。。。
なんて大げさな 

Kaidan_3
ところがこの散策路 階段が長くて長くて。。。。

階段の上には藤棚。 時期が来て藤が咲くと実に綺麗だろうな・・・良い匂いもするな・・・・と想像しながらもはぁはぁ

亭主は駐車場から見た景色だけで満足したらしく 不満たらたら

「もう もどろうよ~」
「もうちょっと」

Kyoseki座禅石と呼ばれている石

この山の下に妙法寺が有り妙法寺山頂巨石遺跡なのだそうです。
驚くほど大きなものでは無いですが謎に満ちているという巨石だそうで心惹かれます。

その名のとおり座禅をしたとか この上で祭礼を行ったとか 朝鮮から伝わった支石墓だとか・・・

苔むした石は何も言わずに静かに有ります。

Hijikawa
なんの知識も無くここへ来たので惜しいことをしました。

下を流れるのは肱川のようです。 亭主が行きたがっていた雲海展望公園はここからさほど遠くないようです。そして雲海の後に現れる肱川あらしは肱川がくねった向こうで見られるようです。

山間部ならではの時間限定の特別な自然現象のようです。

Sancyou
山頂表示がありました。
319.6メートルです。

山頂の少し下にぐるっと周回できる道があります。 
ちょっと回ってみます。

Oozu
展望台方面から見ると大洲の町がよく見えます。 後で大洲の町を歩いているときずっとこの展望台が見えていました。

臥龍山荘は確認できるのですが大洲城がどれだけ伸ばしてみても分りません。残念です。 知識を持って行くべきでした。

伊予の小京都だそうです。

大洲の町を見下ろすと言う道草をしたので時間が余りありません。 急ぎましょう。大洲の町へ降りていきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山間の町 内子

2013-01-02 12:00:00 | 旅行記

松山の町を出るのに随分時間がかかりました。
思うに道が沢山無いようです。 何処へ行くにも同じ道を利用するから車が集中してしまいます。
今日はお正月二日目です。 私達の町なら 通勤の車がないので極端に町が静かになります。

高速(松山自動車道)に乗って程なく道は山の中です。 濃尾平野で暮らす私達には不思議な風景です。山また山・・・・ お天気さえ良ければ隣のまた隣の町が見えたり 隣の県さえも見える風景とは大違い。

内子という町は鄙びていても町の中にあるのだと勝手に思っていたので驚きです。 内子五十崎ICを降りてその景色を見たことがあるように感じました。

Kaidou

家の近くには旧東海道や 中山道が通っていますが 東海道は言ってみれば海沿いの街道。中山道は山を通る道。 内子の町は中山道の様に谷沿いに出来た集落なのだと思いました。

木蝋生産で栄えた町なのだそうです。
全く知りませんでした。反省です。

随分豊かな町だったのでしょう。立派な漆喰のお屋敷が並んでいます。
ここの木蝋はパリ万博にも出品されていたんだって。凄いね日本の技術。

車は町並駐車場に入れます。 混むと思って端っこの駐車場を選んだのですが 何しろお正月。 観光客はまばらです。

Tera
高昌寺
お遍路さんのお寺だろうか? 確認はしなかったけれど 時々白い装束のお遍路さんに出会う。

Yane
この辺は芳我家って言うお家が名士らしい。 木蝋生産で財をなしている。

本芳我家 上芳我家 下芳我家・・・・
芳我家がいっぱい。

資料館になっていたり お庭の公開があったり・・・・だけれど正月休み
はぁ~~

Kaidou2
時間が止まったみたい

ここの建物は黄色いのが特徴です。
お洒落でちょっと現代的な感じさえします。

Nyankoにゃんこもまったり

Hosigaki_2トウモロコシと干し柿が・・・・

トウモロコシは何に使うのかしら?
干し柿は丁度食べ頃じゃん。
通る度に一個づつ食べても良いとか・・・・んな訳ないけれど

Asahikan懐かしいねぇ
映画館があるよ 
もうやってないのかもしれないけれど 昔の映画のポスターなどが貼ってあって 活動写真って言われた頃の感じがぷんぷんするよ。

子どもの頃あった映画館はこんな感じだったのかなぁ? 

隣に見える車が時代の違いを教えてくれている。

Sutamago_2
この建物は酢卵の工場なんだけれど 私の思い出の映画館はこんな風だったように思う。

旭館 とても小さく見えるんだけれど 二階席もあったようで近隣の町の娯楽の場だったんだなと思うと急に輝きを増してくる。

大正14年に出来たと言うことは70年以上の歴史があるんだね

しばらく静かな町並を散策。銀行の支店の所を右に折れると本町通り。 メイン道路と思われるけれど先程の道と大差は無い。 お店が増えたかな?

内子座はその先右側にあった。駐車場空っぽ。
あれ~~ ここもお休みかぁ。 残念。 ここは中を見てみたかったけれどね。

愛知県にもこういった芝居小屋はいくつか残っている。 街中のは聞いたことないけれど 山間部に・・・・農村歌舞伎の小屋である。 隣の長野県では大鹿村の歌舞伎小屋を舞台に映画も作られたけれど。。。。何処も今では時々しか使われていないようだけれど ここの内子座は街道の中にあるので 近隣の人々を集めていつも賑わっていたんだろうね。

Utikoza2
この建物は大正5年に建てられたとのこと。 作りが道後温泉の建物にも似ていると感じたのは気のせい?

芝居小屋はやがてその目的を変え映画館や商工会館などに転用されそのたびに部分的な改装をされてきた。
老朽化に伴い取り壊されるところをみんなの熱意によって復元されると言う経緯を辿っている。

今では文化活動だけでは無く結婚式などにも使われているとか

良いね  みんなで残していきたい文化財です。
中は見られなかったけれど いつかもう一度来て確かめたい場所です。

おなかが空きました。 お店はほとんど開いてないのですが こぎれいな店見つけました。

Taimesi
鯛飯です。

鯛飯と言ったら釜の一番上に鯛をどんと乗せた炊き込みご飯を想像していましたが これは違います。

たれに漬け込んだ鯛の刺身を乗せて薬味やだし汁?のようなものをかけて食べます。

のっけ丼とお茶漬けの間のようなイメージでしょうか?
これ 美味しかった。 愛媛には鯛飯というと二種類の鯛飯があるようです。

愛媛の美味しいもの一つ食べたよ。 満足 満足。
さて 次は大洲に向います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3000年の歴史を誇る? すごいね!道後温泉

2013-01-02 10:00:00 | 旅行記

朝6時に鳴る太鼓の音を合図に開館するという道後温泉。 それには間に合わなかったけれどまだ早いのにもうずいぶんな人でいっぱい。

ずっと私の頭の中にあった道後温泉は ビルの中にあった。札幌の時計台ほどの衝撃ではないけれど・・・・仕方ないんだろうね? 道後温泉本館のたたずまいから見ると場違いなビルやホテルが立ち並ぶ。 それでも前に立つとその品格を失ってはいなかった。

Dougo

Dougoonsen

何の知識も持たないでやってきた。

前に来たことがある亭主が「団子付きで部屋で休憩するコースとお風呂入るだけのコースがあるけれどどっちがいい?」と聞く。
まだ行きたいところいっぱいあるし「お風呂だけでいいよ。坊っちゃん団子そんなに好きじゃないし。」

後で息子に言われた。
「せっかく行ったんだから文化財とか見てくるべきだった。」と
だって父ちゃん 部屋借りるだけもったいないって言わんばかりだったんだよ。

むかーし白鷺が足の傷を癒したことに始まるんだって。それが3000年前? 誰が見たんだか

そういえば下呂温泉も白鷺だった。 動物はそんな知恵を身に着けているのかもしれない。
大国主命の玉の石伝説もある。

にぎたづにふなのりせむとつきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな
なんて額田大王の歌もある。

古くからその効能を知られる温泉であることは確かですね?

中の写真を写せなかったので へたくそな説明になります。 私の入ったのは一回の神の湯になるのかな? 中も木造のとてもいい雰囲気が漂っています。
お風呂はさほど広くないのですが 早い時間にも拘わらず洗い場はぎりぎりセーフで使えました。

真ん中に温泉の噴き出し口がありそれを囲むようにしてお湯に入ります。 あちっ
ぬるめが好きな私には少々熱い。。。。我慢我慢・・・・・

と 目が点

真ん中に泳ぐようにして進み出たおばあちゃん 湯の出口に直接顔つけてじっとしています。その後かおをごしごし。。。。え~~っ? 温泉のお湯を直接顔にかけるとしわが伸びるのかぁ? じゃぁ 私も。。。って いえいえ 私はやりません。

この建物は明治27年に建てられたものだそうだけれど こんなに湯けむりでもうもうとしていて建物傷まないのかしらね?

いろんなはてなのある体験でした。 
そしてもっといろんな部屋見たかった~~ 亭主のけちんぼめ!

Map
朝からポッカポカになって気分いいです。

これから松山城です。 ホテルの駐車場に車も置いてあるので また大街道に戻ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする