彼女が私達の前から姿を消してもう二か月以上になります。
三月末には49日の法要も済ませ 私たちは何事もなかったかのように暮らしていますが 一時も忘れたことはありません。
「るっち ははちゃんがいなくなって悲しい?」
上の子はとても母にべったりだったので そのケアをどうしようか?と考えていました。
毎日泣かれて 慰めるのにどうしたものかと思っていたのです。
ところが彼の返事は意外なものでした。
「ううん ははちゃんの骨がみられてよかった」
耳を疑う言葉でした。何しろ4歳の子 言葉を鵜呑みにするのはいかがかとは思いますが息子と目を合わせ言葉を失ったことを思い出します。
療養生活が長かったことで 彼の中では何となく覚悟ができていたのでしょうか?
我が家にはまだ仏壇というものがありません。
正確に言うと義父が家を新築した時に買いました。 おかしな話ですが仏様のいない仏壇です。
墓地もありますが 誰もいません。
じゃぁ彼女が一番の・・・・
7年間しか暮らしてなくて いきなり我が家の仏壇に入ったり墓地に入るのはあまりにかわいそうなので 息子の海の家に置くことにしました。
ここで子供たちと一緒に暮らします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/23/41e71dba4f07884b5f94cc04b2fb382d.jpg)
彼女が子供ころに使っていたベビーダンスのようなものを彼女の場所にしました。
引き出しには 子供たちが大好きだった母親を偲べる洋服や道具が詰まっています。
さみしいときは引き出しを開けたらにおいなど感じることができたらな・・・と思い品物は厳選しました。
お骨も一緒にいます。
彼女が輝いていた子供時代と学生時代の写真 そして一番大きな写真は 去年沖永良部島で遊んだ楽しい写真です。
「るっち朝起きてきたら ははちゃんにおはようって言おうね」
「だって ははちゃんもういないから返事してくれないもん」
「違うよ 何か困ったことがあったとき ははちゃんなら何て言うかな?と考えてごらん。 きっとははちゃんが教えてくれるよ。」
そんな会話が効いたかどうかわかりませんが
「ははちゃんに ご飯あげる」とお供えを飾ってくれたり お土産と称して ドングリを持ってきて写真に向かって語り掛けたりしてくれるようになりました。
今私がしてやれることは 子供たちに母親の記憶をいっぱいいっぱい残してあげること
毎日 母親の話題を出します。
笑い転げながら
泣きじゃくることもありますが きっと一緒に私たちの暮らしを見守ってくれていると思います。
時々子供を叱りすぎて 彼女がなんて言っているかな? 悲しんでいないかな?と後悔したり反省したりして写真の彼女に謝ります。
私の使命は長生きをすること
1歳の孫は私がいつまで生きていたら いいのでしょうか?
年を取ってあちこちガタが来ている私に かなりの難題なんですけれど
三月末には49日の法要も済ませ 私たちは何事もなかったかのように暮らしていますが 一時も忘れたことはありません。
「るっち ははちゃんがいなくなって悲しい?」
上の子はとても母にべったりだったので そのケアをどうしようか?と考えていました。
毎日泣かれて 慰めるのにどうしたものかと思っていたのです。
ところが彼の返事は意外なものでした。
「ううん ははちゃんの骨がみられてよかった」
耳を疑う言葉でした。何しろ4歳の子 言葉を鵜呑みにするのはいかがかとは思いますが息子と目を合わせ言葉を失ったことを思い出します。
療養生活が長かったことで 彼の中では何となく覚悟ができていたのでしょうか?
我が家にはまだ仏壇というものがありません。
正確に言うと義父が家を新築した時に買いました。 おかしな話ですが仏様のいない仏壇です。
墓地もありますが 誰もいません。
じゃぁ彼女が一番の・・・・
7年間しか暮らしてなくて いきなり我が家の仏壇に入ったり墓地に入るのはあまりにかわいそうなので 息子の海の家に置くことにしました。
ここで子供たちと一緒に暮らします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/23/41e71dba4f07884b5f94cc04b2fb382d.jpg)
彼女が子供ころに使っていたベビーダンスのようなものを彼女の場所にしました。
引き出しには 子供たちが大好きだった母親を偲べる洋服や道具が詰まっています。
さみしいときは引き出しを開けたらにおいなど感じることができたらな・・・と思い品物は厳選しました。
お骨も一緒にいます。
彼女が輝いていた子供時代と学生時代の写真 そして一番大きな写真は 去年沖永良部島で遊んだ楽しい写真です。
「るっち朝起きてきたら ははちゃんにおはようって言おうね」
「だって ははちゃんもういないから返事してくれないもん」
「違うよ 何か困ったことがあったとき ははちゃんなら何て言うかな?と考えてごらん。 きっとははちゃんが教えてくれるよ。」
そんな会話が効いたかどうかわかりませんが
「ははちゃんに ご飯あげる」とお供えを飾ってくれたり お土産と称して ドングリを持ってきて写真に向かって語り掛けたりしてくれるようになりました。
今私がしてやれることは 子供たちに母親の記憶をいっぱいいっぱい残してあげること
毎日 母親の話題を出します。
笑い転げながら
泣きじゃくることもありますが きっと一緒に私たちの暮らしを見守ってくれていると思います。
時々子供を叱りすぎて 彼女がなんて言っているかな? 悲しんでいないかな?と後悔したり反省したりして写真の彼女に謝ります。
私の使命は長生きをすること
1歳の孫は私がいつまで生きていたら いいのでしょうか?
年を取ってあちこちガタが来ている私に かなりの難題なんですけれど