前から施設に入所していた義母が亡くなりました。
私が仕事をやめてからは 義父と義母の様子を見に週に3度ほど通っていたのですが 息子のお嫁さんが亡くなってから 様子が変わりました。
変わらざるを得なかった。
息子は赤ちゃんに近いようなチビを抱えて 生活ができない。
大慌てで チビ達との暮らしを選んだのは7年ほど前でした。
暫くは 認知症の様子を見ながらの生活でしたか 皆が仕事をしていたので 施設に入れることに
危ういながらもなんとかなっていたのですが
だんだん問題が大きくなっていって、、、、
夜中に何度か呼び出され 救急病院へ駆けつけたことも
家に駆けつけると 廊下に寝っ転がって助けを待っていたこともあります。
病院へ入院していたとき 義母の方が食事をとれなくなって もうあまり長くないから。。。と医者に引導を渡され
そのときにとった選択は胃瘻の手術でした。
医者をやっている姪っ子が反対をしましたが 義父はどんな形をとってもどんなことになっても生きていてほしい。と願いました。
で究極の選択をしたわけですが それが彼女のために良かったかどうかわかりません。
完全に植物人間のようになりました。
面会に行ってもただ横たわっているだけ
私の母も認知症で施設にお世話になっていますが 歌を歌ったり 制作をしたり踊ったり。。。それなりに愉しそうにしています。
相棒がかわいそうだとおもっていました。
せめて表情があったら。。。。
今年に入って 血圧が異常に下がって 何度も施設から呼び出しを受けました。行っても人工呼吸器をつけ心電図を見て そのときを待つだけしか仕様がないのですが
何かあっても延命治療をしない
自然に任せると院長先生と約束をして そのときを待ちました。
それでも10かぐらい通いましたか?
近くのスーパーに買い物に行っている間に 連絡がありました。
98歳 大往生です。
お疲れ様でした。
どんな風に生きていったらいいのか私自身のこれからの覚悟を考える看取りでした。
昔と違って 葬式も100人も集まるような規模はなく 身内だけの静かなお別れ式でしたが 賑やかだった昔の集まりに話の花が咲きました。
相棒にはもう父も母もいません。
さみしいことかもしれないけれど いつも話しかけて
今までの関わりの中から お父さんとお母さんの願いや心が聞こえてくるよ
私にももう母しか残っていません。 いつか来るその日のために 私は私で私らしい悔いのない毎日を送っていきたい そんなことを考えています。