暮れからひいてしまった風邪は案外しぶとく 何とか治ったかなとごそごそすると次の日は熱を出したりして・・・今は元気になりましたよ。
いつになくしょんぼりの私を何とか連れ出そうと思ったか 「下呂温泉に行こう」と
ちょっとふらふらするぞ と思いながら 自分でもいらついていたので でかければ何とかなると・・・
これは寒天を干しているんだよ。 ここは恵那の山岡 岐阜県ですが愛知県との県境近くに
冬雪は割合雪は降らないけれど 寒さはきついんだよね。 それが寒天作りには良いらしく 長野県も寒天で有名な寒天パパがあるし・・・
ほらね 糸寒天になって並んでいるでしょ? ところてん付き見たいので突いては並べます。
舞台峠を通って下呂温泉へ・・・・今日は山形屋のお風呂・・・・
わーい! と言うところですが どうしてもお風呂入る気がしなくて(ごめんね) 少しぶ~らぶらします。
これは何の実? ちょっと美味しそうな色しているけれど 残っているって事は鳥さんもぷいの木の実なんだろね
うわ この寒いのに露天風呂に人が入っている。 昔あの露天風呂のソバのホテルを家の常宿にしていたので 窓から見える露天風呂の様子は目のやり場に困るものだった。
こんな人通りの多い河原に堂々と入る露天風呂ってそう無いでしょ?
最近では水着着用が義務化されたらしいけれど あの人どう見ても・・・・
ま 良いけど
どうしてここにチャップリンがあるかは触れてはいけないタブーだそうで でもそれを売りにしている商魂
はぁ
林羅山が日本の三大名湯を 草津 有馬 下呂って決めたんだって
今林羅山がタイムスリップしてきたら 三大名湯を何処に決めるでしょうか?
みんな足湯に入って食べます。
今どこへ言っても足湯があって ミニ温泉を楽しめるのですが 私あんまり好きでないので(昔諏訪湖の足湯で 18切符で徹夜できたという若者がお風呂代わりに足をごしごしこすっていました)震えながらプリンを・・・
温めてあるので 水を大量に飲みたくなる甘さでした。
昔のちょっと鄙びた感じの温泉はなくなってしまったんかなぁ
裏通り(飛騨街道)を行くことにする。
坂道を登ると神変大菩薩 役行者様をお祀りしてある。 小さな祠だけれど 昔の飛騨街道沿いにあるからね。
そうそう こんな気のないレポートを届けようと思ったのではなく その後である。 思ったより道が空いているので今度は41号で帰ろうと道をひたすら南下 その途中 飛騨から美濃へはいろうかと思える頃に 金山という場所がある。
ここで 金山巨石群という標識に ちょっと気持ちが動いた。 巨石群は舟山にもあるようだけれど 行ったことなくて まだ時間も早かったので 寄り道
標識に誘われて行くと あらら? この道は梁谷山へ行く道。 な~んだ
ひょいと車から見下ろしてびっくり 本当に大きな石が ごろごろしている。 降りてみて更にびっくり。
巨石は ただ巨石ではなく意図を持っておかれた建造物であることを知る。
冬至の頃 春分 秋分の頃
昇る太陽光を観測
しかも 石には線刻がありその上にはスポット光の形が掘られている。
冬至の頃 秋分春分の頃 沈む太陽光の一を観察します。
岩屋岩陰遺跡巨石群は神社のご神体のように お社が祀られています。 この日中に入って閏年の光の観測が出来ることの証明を見ることができたのでしたが どんなことをしても あのフェンスをあけること出来なくて 諦めました。
この巨石群の他に標高560メートルの所に東の山巨石群があります。
今回は行けませんでしたが ここは冬至の頃昇る太陽光の観察が出来るとか
短い時間にこれだけの事を理解できるはずもなく がっくり
東の山巨石群周辺からは 沢山の縄文土器が発見されたと。 それは珍しくないかもしれないけれど 全国の特徴ある縄文土器が発見されたとなると 話は別。
なんだか途方もない叡智を持った縄文人がここにいた。 彼らは ギザのピラミッド アブ・シンベル神殿などに匹敵するすばらしい天文学者だった。 閏年もわかり 今でも この巨石群を使って観察をすると 何年 何月 何日って分かるんだって
まだ今世界の科学者をも仲間に入れて研究中とか どんな結果が発見されるかとても楽しみ。そしてもっともっとこの巨石の事知りたいなと思う。
それを察して亭主 学芸員から資料室のこと 学芸員がこの巨石群を説明に来てくれると言うことを聞いてきてくれた。
すぐには行けないけれど 近いうちに行くよ。 私の忘れられない場所になったからね。
有馬と草津とは行くけど、下呂は遠いわ。草津より苗場が良かったけど。
冬に露天風呂に入る時は、シャンプーは後にすること!これ極意。
温泉の番付は昔と価値感が違うし 個人の好みも多様化してきたし 難しいですね? 泉質の良し悪しだけで判別するにも日本には温泉ありすぎ。 有り難いことですが。
下呂は 場所が変わったわけではないのに 東海北陸道が出来て41号を通る機会が減った時点で 我が家でも結構遠い場所になりました。
近くの山の帰りに寄るくらいですが 日帰り湯が少ないですからね。 この頃少し変わったようですが
何でシャンプーは後にするの?
私リンスのぬるっとした感じが背中に流れるの嫌で 絶対先に頭洗うんだけれど。
縄文時代は、気候も暖かく、寒天作りには、向いていなかったでしょうね。
農耕狩猟民族が豊かな生活をしていたころです。
天体観測学が発達していたとは、驚きです。
そういえば 真冬に露天風呂は行ったこと無いのかも。。。記憶にない。
旅館で雪の中露天に入ったことはあるけれどね。
幼稚園入るまで飛騨にいたので極寒は経験しているよ。 時々ぬれた手で金属に触って手が取れなくなって泣いた・・・とかね