世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

なぜ恋人ができないのか

2012年10月08日 | 
いいナーと思う人がいないわけではない。

恋人になりかけた女性もいる。


でも何故かいざとなるとブレーキがかかる。


恋人は欲しい。

一緒にいたら楽しいだろうなと思う。



でもどうしても一歩が踏み出せないのは何故だろう。


自由でありたいという願望が強すぎるのだろうか。

確かにあまりにも自由を謳歌しているきらいはある。


このシテュエーションを壊したくない、失いたくないという想いがあるのも事実だ。


寂しいという想いはほとんどない。

孤独という感覚もない。


普段多くの人たちと接しているので、

むしろ一人になった時、ホッとするときの方が多い。


それでも、アー、あの人に会いたいという気持ちが湧かない訳でもない。

だけど、そのあとの鬱陶しさを考えると、急にそんな気持ちも萎えてしまう。


それ以上に、無性に旅に出たい気持ちが湧き上る。


これじゃあ、恋は出来ないな。


そんな都合のいい女なんていないだろうから。


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想うに、逆の場合も多いのではなかろうか。

つまり、都合のいい男を求めるる女。


束縛されたくないのよね。

自由が一番!


などと平気でのたまう女。

どついてやろかと思う。


一生独身でいろ!って。


こういう時って、女の方が毅然としているように見える。

目に見えないバリアを持っている。

これ以上近づかないで、っていうオーラを出している。


男なんて、だらしないものだ、

いくら強がっていても、どのみち女が欲しいのだ。




だから、思った。

「都合のいい女」「都合のいい男」ならうまくいくんじゃないかと。


会いたいときにあって、そうでないときにはお互い自由を満喫する。

これならいいかもしれない。


しかし待てよ。

お互いの都合が一致すればいいが、

咬み合わなくなったら、お仕舞だ。


私が会いたいときに、あなたは何故会おうとしないの。

オレが会おうというと、忙しいだの疲れているだの、今はそんな気分じゃないなどと


長年連れ添ってくたびれた夫婦みたいなことを、のっけから容赦なく言う。


これってお互い我儘なだけじゃないのか。


自由、自由っていうけど、

あんまり放っとかれたら、「愛されてる感がない」、なんてまた矛盾することを言う。



本当にしっくりくる者同士って

周波数がおんなじで、会いたいとき、そうでないときがピッタリと符合するもんだろう。



我儘同士が結びつくなんてあり得るのか。

結局またすぐ別れちまうんだろうナー。



そういやアッシー君やメッシー君もいたし、

セックスフレンドなんてのもいる。

それもまた、虚しいし、ちょっと違うんだよネー。



ヤッパリ、お互い愛し合ってるっていう実感が欲しいんだ。

それでいて

お互い尊敬しあって、相手を大切に思いあう。


昔は、夫唱婦随とかが美徳とされたが

今は逆転して婦唱夫随が現実だ。


昔、社会の秩序は、女の犠牲の上に保たれていたと言っても過言ではないだろう。

女性があらゆる場面で権利を主張し、奪還することで

男性主権主義の社会は一気に崩壊した。


それは、家庭においても然りであろう。


そして、恋人同士もまた然りと言えるかもしれない。


男の優しさは強さとともにあった。

が、女への服従こそ優しさへと変わりつつある。


どんな屈強な男でも、口では女に敵わない。

女に喋らせたとき、男は主導権を明け渡さざるを得ない。


食事の時おしゃゃべりな女は楽しい。

だが、ベッドでおしゃべりな女は、ただうるさいばかりで男を萎えさせる。



アーア、どっかいないかナー、都合のいい女