いいナーと思う人がいないわけではない。
恋人になりかけた女性もいる。
でも何故かいざとなるとブレーキがかかる。
恋人は欲しい。
一緒にいたら楽しいだろうなと思う。
でもどうしても一歩が踏み出せないのは何故だろう。
自由でありたいという願望が強すぎるのだろうか。
確かにあまりにも自由を謳歌しているきらいはある。
このシテュエーションを壊したくない、失いたくないという想いがあるのも事実だ。
寂しいという想いはほとんどない。
孤独という感覚もない。
普段多くの人たちと接しているので、
むしろ一人になった時、ホッとするときの方が多い。
それでも、アー、あの人に会いたいという気持ちが湧かない訳でもない。
だけど、そのあとの鬱陶しさを考えると、急にそんな気持ちも萎えてしまう。
それ以上に、無性に旅に出たい気持ちが湧き上る。
これじゃあ、恋は出来ないな。
そんな「都合のいい女」なんていないだろうから。
―――――――――――――――――――――――
想うに、逆の場合も多いのではなかろうか。
つまり、都合のいい男を求めるる女。
束縛されたくないのよね。
自由が一番!
などと平気でのたまう女。
どついてやろかと思う。
一生独身でいろ!って。
こういう時って、女の方が毅然としているように見える。
目に見えないバリアを持っている。
これ以上近づかないで、っていうオーラを出している。
男なんて、だらしないものだ、
いくら強がっていても、どのみち女が欲しいのだ。
だから、思った。
「都合のいい女」と「都合のいい男」ならうまくいくんじゃないかと。
会いたいときにあって、そうでないときにはお互い自由を満喫する。
これならいいかもしれない。
しかし待てよ。
お互いの都合が一致すればいいが、
咬み合わなくなったら、お仕舞だ。
私が会いたいときに、あなたは何故会おうとしないの。
オレが会おうというと、忙しいだの疲れているだの、今はそんな気分じゃないなどと
長年連れ添ってくたびれた夫婦みたいなことを、のっけから容赦なく言う。
これってお互い我儘なだけじゃないのか。
自由、自由っていうけど、
あんまり放っとかれたら、「愛されてる感がない」、なんてまた矛盾することを言う。
本当にしっくりくる者同士って
周波数がおんなじで、会いたいとき、そうでないときがピッタリと符合するもんだろう。
我儘同士が結びつくなんてあり得るのか。
結局またすぐ別れちまうんだろうナー。
そういやアッシー君やメッシー君もいたし、
セックスフレンドなんてのもいる。
それもまた、虚しいし、ちょっと違うんだよネー。
ヤッパリ、お互い愛し合ってるっていう実感が欲しいんだ。
それでいて
お互い尊敬しあって、相手を大切に思いあう。
昔は、夫唱婦随とかが美徳とされたが
今は逆転して婦唱夫随が現実だ。
昔、社会の秩序は、女の犠牲の上に保たれていたと言っても過言ではないだろう。
女性があらゆる場面で権利を主張し、奪還することで
男性主権主義の社会は一気に崩壊した。
それは、家庭においても然りであろう。
そして、恋人同士もまた然りと言えるかもしれない。
男の優しさは強さとともにあった。
が、女への服従こそ優しさへと変わりつつある。
どんな屈強な男でも、口では女に敵わない。
女に喋らせたとき、男は主導権を明け渡さざるを得ない。
食事の時おしゃゃべりな女は楽しい。
だが、ベッドでおしゃべりな女は、ただうるさいばかりで男を萎えさせる。
アーア、どっかいないかナー、都合のいい女。
恋人になりかけた女性もいる。
でも何故かいざとなるとブレーキがかかる。
恋人は欲しい。
一緒にいたら楽しいだろうなと思う。
でもどうしても一歩が踏み出せないのは何故だろう。
自由でありたいという願望が強すぎるのだろうか。
確かにあまりにも自由を謳歌しているきらいはある。
このシテュエーションを壊したくない、失いたくないという想いがあるのも事実だ。
寂しいという想いはほとんどない。
孤独という感覚もない。
普段多くの人たちと接しているので、
むしろ一人になった時、ホッとするときの方が多い。
それでも、アー、あの人に会いたいという気持ちが湧かない訳でもない。
だけど、そのあとの鬱陶しさを考えると、急にそんな気持ちも萎えてしまう。
それ以上に、無性に旅に出たい気持ちが湧き上る。
これじゃあ、恋は出来ないな。
そんな「都合のいい女」なんていないだろうから。
―――――――――――――――――――――――
想うに、逆の場合も多いのではなかろうか。
つまり、都合のいい男を求めるる女。
束縛されたくないのよね。
自由が一番!
などと平気でのたまう女。
どついてやろかと思う。
一生独身でいろ!って。
こういう時って、女の方が毅然としているように見える。
目に見えないバリアを持っている。
これ以上近づかないで、っていうオーラを出している。
男なんて、だらしないものだ、
いくら強がっていても、どのみち女が欲しいのだ。
だから、思った。
「都合のいい女」と「都合のいい男」ならうまくいくんじゃないかと。
会いたいときにあって、そうでないときにはお互い自由を満喫する。
これならいいかもしれない。
しかし待てよ。
お互いの都合が一致すればいいが、
咬み合わなくなったら、お仕舞だ。
私が会いたいときに、あなたは何故会おうとしないの。
オレが会おうというと、忙しいだの疲れているだの、今はそんな気分じゃないなどと
長年連れ添ってくたびれた夫婦みたいなことを、のっけから容赦なく言う。
これってお互い我儘なだけじゃないのか。
自由、自由っていうけど、
あんまり放っとかれたら、「愛されてる感がない」、なんてまた矛盾することを言う。
本当にしっくりくる者同士って
周波数がおんなじで、会いたいとき、そうでないときがピッタリと符合するもんだろう。
我儘同士が結びつくなんてあり得るのか。
結局またすぐ別れちまうんだろうナー。
そういやアッシー君やメッシー君もいたし、
セックスフレンドなんてのもいる。
それもまた、虚しいし、ちょっと違うんだよネー。
ヤッパリ、お互い愛し合ってるっていう実感が欲しいんだ。
それでいて
お互い尊敬しあって、相手を大切に思いあう。
昔は、夫唱婦随とかが美徳とされたが
今は逆転して婦唱夫随が現実だ。
昔、社会の秩序は、女の犠牲の上に保たれていたと言っても過言ではないだろう。
女性があらゆる場面で権利を主張し、奪還することで
男性主権主義の社会は一気に崩壊した。
それは、家庭においても然りであろう。
そして、恋人同士もまた然りと言えるかもしれない。
男の優しさは強さとともにあった。
が、女への服従こそ優しさへと変わりつつある。
どんな屈強な男でも、口では女に敵わない。
女に喋らせたとき、男は主導権を明け渡さざるを得ない。
食事の時おしゃゃべりな女は楽しい。
だが、ベッドでおしゃべりな女は、ただうるさいばかりで男を萎えさせる。
アーア、どっかいないかナー、都合のいい女。