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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

バカとバカでない人の違い

2015年10月12日 | 100の力
テーマ: バカ力


バカからバカと言われたくない。

これはバカの言う常とう句。


バカはバカと言われて憤慨し、

そうでない人(もともとバカでない人間はいない)は、バカと言われてもさらりと受け流す。


はっきり断っておくが、

ボクはバカである。

それも相当なバカである。


スティーブジョブズも言っている。

"Stay foolish."



だが、同じバカでもバカさが違う。


バカには大きく分けて2種類ある。


楽しいバカと悲しいバカ。

阿波踊りの踊る阿呆に見る阿呆、と似たような感覚。


楽しいバカと悲しいバカは、外見上の違いはさほどない。

だが、今その人が何をやっているか(仕事、行動)で察しはつく。

それに、人相、表情に表れている(顔、態度を見ればわかる)。


悲しいバカの特徴は、

シコシコ飲んで、ドクロを巻いて、そこにいないものの悪口をいって鬱憤を晴らしている。


養老孟司の「バカの壁」を待つまでもなく、

つける薬のないバカは、自分で自分に壁を作っているものだ。


その狭い壁の中に閉じこもって、臆病だから外に出ることを恐れる。

そして、悲しいかなそのこと自体にも気づかない。


これが悲しいバカの性(さが)である。



一方、

悲しいバカは現実的であり、

楽しいバカは理想主義者であることが多い。


楽しいバカは、時に現実を無視してあり得なこと(妄想)に走るから、バカにバカにされる。


悲しいバカは、目の前の現実(事象)にしか目が行かないから、一見妙に説得力がある。

どこそこの国が攻めてくる(すでに来ている)とか。

表層的現実面を突き付けて、あたかもそれが継続的であるかのように強調する。

知識が浅薄であり本質が見抜けない。


さらに自分に都合の悪い情報を遮断し、自分の脳が理解できることしか見ようとしないので

固定観念の壁の内側のみで生き、外側に広がる世界を知ろうとしない思考停止の状態にある。


自分と違う人の意見を聞こうとしないから、

相手もそうだと思ってしまう。

話しても分からないと。

つまりはコミュニケーション能力の無さを証明しているようなものだ。


狭い知識に固執し、表層的なこと(書いてあること)しか分からないから、

その裏に潜む深い意味を理解できないでいる。

(「論語読みの論語知らず」、という)



一方、広く意見を聞く人間は、話せば相手も分かってくれると信じている。

ある意味おめでたい人間である。


悲しいバカは総じてひねくれており

楽しいバカは一般的に素直で謙虚だ。


真実は一つ、自分は正しいと思うところから壁は発生する。



悲しいバカは、きわめて多様性に欠ける。

外国人が増えると犯罪が増える。

日本語だけで生きていけるから英語なんて必要ない、などなど。

気の合う仲間とだけつるんで、狭い世界で生息しているからそれでもいいのだろうが。


自分に都合よく(甘く、容易な方に流れる)解釈し、了見が狭い、器が小さい、肝っ玉が小さいので外部のものを遮断したがる。

そのくせ爆買いは受け入れる。

儲かるからマナーの悪さには目をつぶろうと。


本当は壁のむこうに、

多くの知恵、ロマンが、楽しみが、感動が、無限に広がっているというのに。



あなたは踊るバカ? 見てるだけのバカ?


同じバカなら踊らにゃ損損、孫正義。



最後に、バカのぼやき。


バカにつける薬を開発したら、ノーベル賞。

いや、

イグノーベル賞、かな?



おまけにもう一つ。

さて、この挑発に乗るバカがどれだけいるか、楽しみである。

だいたい想像はつくが。


楽しいバカはさらりと受け流し、

悲しいバカは、自分のことを言われたと被害妄想に陥り、

まともに対抗してくる。

これを滑稽と言わずして、何を滑稽というのか。


バカとはそもそも滑稽なものであるのだが。