病は気からという。
いつのころか『気』というものに感心を抱くようになった。
それは大自然の中で暮らし始めたころだろうか。
東洋医学という分野にも興味を抱いた。
世界を旅し、いろんな経験を積むことで、
宗教という側面を垣間見てきたことによるのかもしれない。
高校時代から武道を始め、
禅という世界を知るようになったことがきっかけだったかもしれない。
いずれにせよ、
そうしたボクの生き様が複合的に絡み合って
『気』の世界に触れることができたのだろう。
ボクは何かにつけ、瞑想をする。
何も難しいことではない。
目をつぶって、静かに呼吸をするだけのことだ。
心を落ち着かせ、体をリラックスさせる。
怒り、憎しみ、妬みといった邪気を取り除く。
反対に、悲しみや慈しみといった感情には奔放になる。
沸き上がる涙や愛という観念には無抵抗だ。
悲しみを発露したり、愛を惜しげもなく振りまくのに遠慮はいらない。
時に誤解を生むこともあるが。
人の目は気にしない。
そうした行為が自分自身を苦しめる一方、何度救われたことか。
人に騙され、裏切られても許すことができる。
愛を受け取ることにはまだ躊躇があるものの、
人の情けを感じることは憚らない。
おかげで、自分を失わずに済んだ。
肉体的にも、
患部(痛いところ)にそっと手を当てる。
幸い、自然の中に身御置くことができる環境にある。
気という自然かにあるエネルギーの元を頂き、
瞑想により手当(手を当てる)することで心身が復元することを実感できる。
周囲の騒めきは後を絶たないが、
おかげで心身ともに穏やかでいることができる。
愛する人が心を病むとき、
初めて気を自分以外の人に使った。
何となく伝わったようだ。
愛する人の痛みは自分の痛みとして感じるからなのかもしれない。
自分を慈しむように、愛する人を慈しむ。
自愛を超えた慈愛の心が愛する人を癒してくれればいいと願う。
【追記】
『気』を高めることにより
すべての物事は好転する
いつのころか『気』というものに感心を抱くようになった。
それは大自然の中で暮らし始めたころだろうか。
東洋医学という分野にも興味を抱いた。
世界を旅し、いろんな経験を積むことで、
宗教という側面を垣間見てきたことによるのかもしれない。
高校時代から武道を始め、
禅という世界を知るようになったことがきっかけだったかもしれない。
いずれにせよ、
そうしたボクの生き様が複合的に絡み合って
『気』の世界に触れることができたのだろう。
ボクは何かにつけ、瞑想をする。
何も難しいことではない。
目をつぶって、静かに呼吸をするだけのことだ。
心を落ち着かせ、体をリラックスさせる。
怒り、憎しみ、妬みといった邪気を取り除く。
反対に、悲しみや慈しみといった感情には奔放になる。
沸き上がる涙や愛という観念には無抵抗だ。
悲しみを発露したり、愛を惜しげもなく振りまくのに遠慮はいらない。
時に誤解を生むこともあるが。
人の目は気にしない。
そうした行為が自分自身を苦しめる一方、何度救われたことか。
人に騙され、裏切られても許すことができる。
愛を受け取ることにはまだ躊躇があるものの、
人の情けを感じることは憚らない。
おかげで、自分を失わずに済んだ。
肉体的にも、
患部(痛いところ)にそっと手を当てる。
幸い、自然の中に身御置くことができる環境にある。
気という自然かにあるエネルギーの元を頂き、
瞑想により手当(手を当てる)することで心身が復元することを実感できる。
周囲の騒めきは後を絶たないが、
おかげで心身ともに穏やかでいることができる。
愛する人が心を病むとき、
初めて気を自分以外の人に使った。
何となく伝わったようだ。
愛する人の痛みは自分の痛みとして感じるからなのかもしれない。
自分を慈しむように、愛する人を慈しむ。
自愛を超えた慈愛の心が愛する人を癒してくれればいいと願う。
【追記】
『気』を高めることにより
すべての物事は好転する