世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

災難慣れ

2016年04月15日 | 100の力
        子供のころからの遊び場だった熊本城

やたらと災難の多い今日この頃。

そういえば、

小さい時から熊本市内の生家(熊本市・唐人町)はほとんど毎年洪水に見舞われていた。

小学生の時、実家の店(熊本市・河原町)が大火にもあった。

40年ほど前勤めていた、東京・大手町の商社のビルで早朝かなり大きな揺れに襲われ、

もうダメかと覚悟したこともある。

たしか伊豆半島の下田沖が震源だった。

25年前は大分県の久住にいたが、台風で家ごと飛ばされ本当に死にかけた。


人災も含め、かなり災害慣れしているつもりだった。


午後9時24分、昨夜の地震では熊本の街中のビルの2階(フリートーク)にいた。

このビルはかなり古く、老朽化していることから、

地震が来たら倒れるかもしれないとかねてから心配していた。


携帯の予告警報もなく、いきなり激しく揺れだした、

棚の上のものが落ち、ガラスの割れる音がした。

尋常でない揺れに、瞬間的にボクは靴を履き、携帯だけ持ってビルの外に飛び出した。

そして、一目散に避難場所になっている近くの公園へと走った。


まだ誰もいなかった。

そのあとから、ぞくぞくと人が集まり始めた。

パトカーがひっきりなしに走り、

上空ではヘリコプターが半月の夜空を飛んでいた。


余震も激しく、何度も大地を揺らしては、

その度に避難してきている人たちの悲鳴を誘う。


日付けが変わり、心なしか余震の数も減ってきて、

避難民が三々五々と帰宅し始めだした。


中心部ではビルの倒壊、火災などが起きなくて幸いだった。

ボクは頃合いを見計らってビルに帰った。

一階の外の駐車場では、数人のビルの住民たちが集まって不安そうに語り合っている。


とても建物の中で寝る気はしない。

幸いボクの車はキャンパー(キャンピングカー仕様)だ。



ここはビルの谷間になる。

他の人たちを誘って、近くの学校の校庭に車で行こうと誘ったが、

動こうとしない。


仕方なく、ボクは一人で車を走らせた。

そこは、ボクの中学の母校だ。

熊本城の足元に位置する。

ボクは、毎日熊本城を見ながら育った。

遊び場所も熊本城のお掘りであったり、

石垣であったりした。


その石垣や漆喰の白壁もこの地震で一部壊れた。


         国の重要文化財となっている長塀

今日その現場を訪れた。

思春期の思い出がいっぱい詰まっている熊本城。

悲しくなった。


余震もだいぶ少なくなってきたが

まだ油断はできない。(今もかなり揺れた)


阿蘇の家も帰ってみないと細かい被害状況は分からない。


      阿蘇の古民家(今日の状況)

店子の住民たちは無事だったようだ。

ひとまずホッとしている。


人生はつくづくサバイバルだなと再確認した夜だった。



ご心配頂いた方々にお礼を申し上げます。

ありがとうございます。


そして、被災された方々にお見舞い申し上げます。

一刻も早い復興をお祈りいたします。
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4月14日(木)のつぶやき

2016年04月15日 | 100の力

セックスは一種のスポーツ / “前頭葉と横隔膜 - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/qk73pmJs


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