世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

当たり前が当たり前ではなくなる日

2016年05月23日 | 100の力
寝るところがあって、

食べるものがあって、

水が飲める、

トイレもあり、お風呂も入れる。

そして電気が使える。


たったこれだけのことが、

震災で全てできなくなってしまった。

今まで当たり前と思っていたことばかりだ。



自分の意志で自由に歩くことができる。

家族がいて、仕事があり、収入がある。

稼いだお金で食事ができ、好きなものが買える。

住める家がある。


これも当たり前だった。


それすらもできなくなった。

みんなが、やれボランティアだ、やれガンバローとか言っているのに、

傍観者でいる。

なんとなく、自分に鞭打ってその輪に入ろうとするけど、

冷たい目線で追い返される。

疎外感を覚え、その場から消えていく。


今、何が当たり前で、普通なのかわからない。

たぶん、自分の中の価値観が変わってしまったのだろう。


      こうして花に水をやるのも乙なもの


本当に世のため人のために生きるなら、

家族は作れない。

配偶者や子供を犠牲にするから。

世の英雄はほとんどそうだった。

誰かを微笑ませれば、傍らで泣く人もいるだろう。

万人に寄与するなんて到底無理な話だ。

たった一人の人の笑顔が見たくて生きる。

それでいい。


一時のムードに乗せられるのはごめんだ。

地に足を付けて、

出番に備え今はエネルギーを蓄える時。