ボクは熊本市内の中心部で生まれた。
そして、熊本城に一番近い中学校に3年間通った。
通学路も遊び場も、熊本城だった。
毎日、熊本城を見て育った。
今回の震災で避難した先は、くしくもその中学校のグラウンドだった。
熊本城が目と鼻の先に見える。
満身創痍の姿は見るに忍びない
そこで車中泊をしていた。
そして、余震があるたびに
ガラガラガラと石垣が崩れる音が聞こえた。
ゆらゆらゆら、ガラガラガラ
ゆらゆらゆら、ガラガラガラ。
ボクが上って遊んでいた石垣もこの通り
まるで自分の身が殺(そ)がれるようで、涙が出た。
悔しくて悔しくて涙が出た。
2007年、築城400年祭の実行委員として1年間熊本城に通った。
それまで年間入城者数70万人だったのが一挙に200万人になった。
その後の熊本市の観光のけん引役になったのは周知のことである。
つい数か月前、ワイン片手に上った石垣
高校の時、
阿蘇のの火口まで、熊本市内から歩いて行ったことがある。
約60キロを12時間かけて夜通し歩いた。
噴煙を見るたびに奮い立った。
草原を馬で走った。
今も阿蘇の麓に暮らす。
阿蘇はボクに自信と勇気を与えてくれた。
日本一の熊本城。
世界一に腹式型カルデラを持つ阿蘇。
日本一と世界一の下で暮らせる自分は、最高に幸せだった。
阿蘇と熊本城はどちらもボクのランドマークとしての心の拠り所であった。
思い出も、思い入れもいっぱい詰まっている。
その両方共が、壊滅的被害を蒙った。
両腕をもぎ取られた心境に陥った。
今も、熊本城が見えるところにオフィスがある。
阿蘇の麓に施設がある。
そこにも集団移転の話が降ってわいた。
新聞の見出しにこうある。
「西原村、集団移転を提案へ 熊本地震初、150世帯に」
どうすれば・・・
途方に暮れる。
切なくて切なくてただただ涙が出るばかり。
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そして、熊本城に一番近い中学校に3年間通った。
通学路も遊び場も、熊本城だった。
毎日、熊本城を見て育った。
今回の震災で避難した先は、くしくもその中学校のグラウンドだった。
熊本城が目と鼻の先に見える。
満身創痍の姿は見るに忍びない
そこで車中泊をしていた。
そして、余震があるたびに
ガラガラガラと石垣が崩れる音が聞こえた。
ゆらゆらゆら、ガラガラガラ
ゆらゆらゆら、ガラガラガラ。
ボクが上って遊んでいた石垣もこの通り
まるで自分の身が殺(そ)がれるようで、涙が出た。
悔しくて悔しくて涙が出た。
2007年、築城400年祭の実行委員として1年間熊本城に通った。
それまで年間入城者数70万人だったのが一挙に200万人になった。
その後の熊本市の観光のけん引役になったのは周知のことである。
つい数か月前、ワイン片手に上った石垣
高校の時、
阿蘇のの火口まで、熊本市内から歩いて行ったことがある。
約60キロを12時間かけて夜通し歩いた。
噴煙を見るたびに奮い立った。
草原を馬で走った。
今も阿蘇の麓に暮らす。
阿蘇はボクに自信と勇気を与えてくれた。
日本一の熊本城。
世界一に腹式型カルデラを持つ阿蘇。
日本一と世界一の下で暮らせる自分は、最高に幸せだった。
阿蘇と熊本城はどちらもボクのランドマークとしての心の拠り所であった。
思い出も、思い入れもいっぱい詰まっている。
その両方共が、壊滅的被害を蒙った。
両腕をもぎ取られた心境に陥った。
今も、熊本城が見えるところにオフィスがある。
阿蘇の麓に施設がある。
そこにも集団移転の話が降ってわいた。
新聞の見出しにこうある。
「西原村、集団移転を提案へ 熊本地震初、150世帯に」
どうすれば・・・
途方に暮れる。
切なくて切なくてただただ涙が出るばかり。
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