世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

4月22日(月)のつぶやき

2013年04月23日 | 音楽

プライオリティ(Priority)

2013年04月22日 | ライフスタイル
ビッグイベントを立て続けにこなし、

息つく暇もなく次の課題に取り組んでいる。



しかし、

あれもこれもとやらなければならないことが多すぎる。


いや、やらなければやらないでさして大勢に影響はないのだろうが、

自分に負荷をかけないとそのままあの世に逝きそうな不安に襲われるのだ。


まあ、それもそれでいいのだが。



学生時代から、ながら族で過ごしてきた。

同時に2~3つのことをこなすことはさして苦にならない。



だが、ここ一番といことには集中してかからなければならない。


4月も下旬にはいったというのに、朝晩は冷え込む。

今朝も暖炉に火を入れて、ベトナムコーヒーをすすりながらPCに向かっている。





さて、どれから取り掛かろうか。

どれもこれも急を要するものばかりだが焦りは禁物だ。


片手間でできるほどのものはない。

全てが真剣に取り組まなければならない。



ここはまず、やるべきことを書き出してみた。

ときどきこういう作業をやらなければ脳のシナプスが混線してしまう。


重要度はどれもレベル5だ。

では、緊急度をつけてみる。


全て、レベル4~5になる。


とりあえず、電子出版する原稿の校正から入ることにした。

電子出版はすべて自分でやらなければならない。


基本自主出版だからだ。

その代り、費用は一切かからない。


売れるかどうかは出してみなければ分からないのは当たり前だ。

出版方法もいたって簡単。


それだけに、こんなんでいいのかなー、と不安がよぎる。


最後は、エイヤーッ!と気合一発リポビタンDを飲んで投稿するだけだ。


※ 電子出版に興味のある方は、ご一報ください。





午後からは、息抜きに馬に乗りに行こう。

自然の中で動物と心を通わせながらエクササイズ。



   この一体感がたまらなく好きだ。


屋内のスポーツジムなんかでシコシコやるより、

ずっと健康的でいい。


乗馬に興味のある人は、一緒にいかが?



【今日の英語】

priority (plural priorities):


the thing that you think is most important and that needs attention before anything else:

The club's priority is to win the League.


first/top/main priority

The children are our first priority.

After several burglaries in the area, security is now a high priority
(=very important and needing attention soon).


With so little money available, repairs must remain a low priority
(=not important and not needing attention soon).

The customer is high on our list of priorities.

List your tasks in order of priority (=most important first).

フリートーク2周年パーティ

2013年04月21日 | 仕事
フリートークの2周年記念パーティが無事終わった。






雨の中駆けつけてくださった方々に深く感謝いたします。

そして、数々のお祝いやメッセージもいただきありがとうございます。




フリートークが3年目をこうして迎えられるのも、

日ごろ利用していただいているゲストと、

毎日頑張っているキャスト(スタッフ)の賜物以外の何物でもありません。






本当に、本当にありがとうございます。


     やりすぎだろ!((笑))



昨夜の興奮もさめやらぬまま、

引き続き今日は阿蘇西原村の

 『Aso Engkish Village』  のプレ・オープニングパーティです。

2時から、「ドゥリーミン カントリー・インAso」内でShaun夫妻の主催で開かれます。


皆さん、ドライブのついでに駆けつけてやってくださいネ。



――――――――――――――――――――――――――――――――

日本では、4月は多くの人々にとってスタートの月に当たります。

ボクも例外ではなさそうです。


今年に入り、企画が目白押しになり、

同時進行してきました。


その覚悟の意味も含めて、断酒宣言もし、未だその途上にあります。

だけど、意思とは別にほとんどの企画が挫折し、

一時は全滅の危機に晒されました。


スズメの涙ほどの有り金も全てはたき、

経済的破綻の崖っぷちに立たされています。


まさに背水の陣を敷き、

退路を断って覚悟を決めました。


眠れぬ日が続き、一度ならず死が脳裏をかすめました。




だが、ここへ来て、

すべての物事が一気に好転の兆しを見せ始めたようです。


だからといって、もちろん気を休める暇(いとま)はありません。

相変わらず、糸をピンと張った状態です。


いつ切れるかもしれません。



試練は続きます。

たぶん死ぬまで続くでしょう。

まさに、ずっしりと重い荷物を担ぎ、雲の上の山の頂を目指すような心境です。



だけど、ボクは負けまシェ~ン。

誰にという訳ではなく、自分自身に負けたくないのです。


「ナニクソ、コンチクショウ、負けてたまるか!!!」です。



ボクは、元来弱い人間です。

だから、自分に課題を与えなければすぐに安きに流れ、

廃老人と化してしまうでしょう。



断酒はまさにその現れでした。

しかし、その解禁の日も視野に入ってきた今日この頃です。



電子書籍出版の日も近いでしょう。

NPO法人の設立も良き仲間を得て、目前です。


ハノイのカフェも、一転、オープンの目途が立ってきました。

新しい仲間が、日々続々と集結してくれています。


どうやらボクはまだまだ生かされているようです。

I'm still alive.


ボクを快く思っていない人は、さぞや残念なことでしょう。

ザマーミロ!です。


だけど、ボクはいい気になっているわけではありません。


ここで、ボクの良からぬ噂を一つ打ち消すためにも

断酒に続き、ある誓いを立てました。



それは、



それは、




それは、


ジャ~ン!












「女断ち」です。


女立ちから「女断ち」へ、180度の転換です。


酒を断ち、女を断つ、

男としてほぼ生きてる意味ないですね。



でも、敢えて挑戦します。


男として、もっと他に意味があるだろ!

なんて、当たり前のことにやっと今この歳になって気付かされました。


何事も始めるにあたって、遅いということはない。


Not too late to start anything. 

ボクの座右の銘の一つを、肝に銘じて。




オンナを断つ!

だから、お願い、


ボクを誘惑しないで。

お願いだから、そんな色っぽい目で見つめないで!


いや、

なんなら誘惑して試してみて。

ボクは落ちないから、ネ。


たぶん・・・・・・・・・・・・・・????????????

(アラ?もう自分に負けてる!?)

地球が舞台

2013年04月20日 | 国際


『地球はわが家の教室』という本を

10年ほど前に、くもん出版から出さしていただいた。




我が子を、400日(一年二か月)ほどだが、

学校に通わせず、世界を旅することで学ばせた。


文字通り、地球を教室に見立てた学習だ。


勉強は、狭い教室の中で座ってやるものではない。


狭い日本を飛び出して、身体で体感するものである。


子供は理屈抜きだ。

ひねくれた大人のように、ああでもないこうでもないなどと屁理屈を述べない。


ありのままを、無垢な目で見て素直に感じる。

それが身体に染みつく。



全ては地球規模で考えるようになる。



遊びの中で人は学ぶ。

地球は大きなゲームセンターである。


ちっぽけなスマホなんかで、シコシコゲームをやってるんじゃない。

だから人間が小粒チャンになっちまうんだ。


悔しかったら、地球を舞台にチャレンジしてみろ!


命を懸けた試練が待っているゾ。

そして、こんな面白いことはない。


やることは山のようにある。


地球は人生を飽きさせない。




ビジネスは、ベンチャー。

ライフは、アドベンチャー。


それもバーチャルなんかじゃない。

全てがリアルなんだ。


冒険を恐れるな!

リスクを恐れるな!

PrsnT Kumamoto in Free Talk

2013年04月19日 | 人生
特に日本人は、

自分を表現するということに慣れていない。


なぜなら、自分を語る必要がないからだ。

みんな日本人で、隣近所の狭い世界に住んでいれば自ずと誰なのか知ることができる。


同じ言語を使い、同じ行動をし、同じ考えを持っている人々は、

いちいち説明する必要などない。




だが、外部からいろんな人が入り込んでくる。

あるいは、自分が違った環境の中に入っていく。


そのとき、黙っていては誰も理解してくれないばかりか、

訝(いぶか)しく思われるのは当たり前のことだ。



だから、敢えて説明能力が必要となる。

これがコミュニケーション力に繋がる。



そのためには、自分の意見をしっかり持って

相手に伝えなければならない。



その訓練、練習ができるのが

これまで7~8回催されてきた『PresnT』なのだ。



今回は、ITコンサルのプロで

プレゼンに長けたM氏にご登場いただいて




なんと、『愛』について語ってもらった。


そして、後半は参加者全員でディスカッション。




最後は、自分の親に「愛してる」って言って、

ハグしてみようということで締めくくった。



     PrsnT後の二次会もまた盛り上がったよ



ハグは、なかなか日本人には出来そうで出来ないことだ。

そもそも風習がなかった。


だが、、思い切ってハグしてみれば何かが変わるという。



ボクは、上の娘とはよくハグをする。

それは、長年離れていたからでもあり、

娘の配偶者がアメリカ人ということも影響しているかと思う。



日本人にはあまりないハグの習慣。

それでも握手はするようになった。


ボクは、お客様によくハグをする。

意外とすんなり受け入れてもらえる。


どさくさまぎれ、いやいやながらという雰囲気は否めないが。




――――――――――――――――――――――――――――――――

男と女は言うまでもなく、

人間同士は所詮理解しえないものだという結論が出た。


だから、争いが絶えない、と。

そこで思った。


そもそも理解しようと思うから無理がある。

つまりどちらかに歩み寄らなければならない。


だが、そうすれば不平不満が鬱積し、仕舞には爆発する。



そうではなく、

究極のところ、理解できないものだという前提に立てばいい。


その上で、相手を認める、許す、受け入れるのだ


そうして、思いやりの気持ちを抱き、相手を大切にする


これこそが「愛」なのではないだろうか。


そのための手段として、言葉よりバグの方が有効といえるのではないだろうか。


男女であればなおさらだ。

スキンシップはコミュニケーションの最たるものではないだろうか。


だから、裸でセックスもする。


だが、セックスレスが蔓延している。

夫婦でさえ。


結果、離婚率が増え、晩婚化がすすむ、と。

ひいては少子化につながっていく。

なんと皮肉なことだろう。




「愛」とは何か。


考えても結論は出ない。

無理やり言葉で説明することは困難である。

むしろ無意味なのかもしれない。


なぜなら、

「愛」とは説明するものではなく、感じるものだから。




―――――――――――――――――――――――――――――

ボクは今、特定の人への愛から、博愛へと移行している。

広く多くの人を愛する。


博愛とは、すべての人を平等に愛することであり

へだてなく広く愛すること、と辞書にはある。


英語では、 philanthropyという。

または、Love of mankind(人類愛)であり

Charity(慈善)にも通じる愛と言える。


または、

親が子供をいつくしみ、かわいがるような深い愛情や

下の者、弱い者にめぐみや心をかけ大切にする心を意味する

「慈愛(affection)」に近いかもしれない。


それは、母の愛(mother's love)とも似ている。



あるいは、

cherish という言葉も好きだ。

物をだいじ[たいせつ]にすることであり、

人や動物をかわいがる, いつくしむ、さしく世話する、という意でもある。




Phila thoropist(博愛主義者)は古代の昔から誤解を生んできた。

いきすぎれば、八方美人(affable to everybody)ともとられかねない。


affection はややもすればaffair(浮気)に通じる。


そのそも博愛を意味するphilanthorpyは節操のなさと解され、

a philanderer といえば、浮気者の意味になる。



それは多くの人がボクを誤解する大きな要因となっているように思えてならない。




【追記】

一方、偏愛主義者が増えているようにも思える。


偏愛(partiality)とは、読んで字のごとく、

ある物や人だけをかたよって愛することだ。


ある特定の人や物を愛するあまり、

それ以外は受け付けない、嫌う、憎むといった変質的愛といえるだろう。

ストーカーもこれに当たる。



もっとも、

誰も愛せない人はもっと不幸かもしれない。


愛する人がいないというだけで心が荒む。


反対に、愛する人が世界中にいると思うと、心が和む。



【追記²】


「すこし愛して、なが~く愛して」

と言ったのはあの大原麗子だった。


ボクなら、

「いっぱい愛して、ふか~く愛して」 ときっというだろう。

首が回らない

2013年04月18日 | 苦境
昨日、一昨日と立て続けに奇妙な依頼の連絡が入った。


まず一昨日だ。

福岡に住むフィリピン人女性。

助けてほしいというメッセージ。


彼女からは以前にも同じような依頼を受けた。

その時は、警察に連絡したが犯罪とはみなされず、ほぼ無視された。


今回はそれ以上に深刻な様子。

休みもなく、自由もない。

挙句、客との接待も強要されている。


セックスまでは至っていないというが、

売春行為に発展するのは時間の問題だろう。



もうフィリピンへ帰りたいと

彼女は電話口の向こうで怯えていた。


外国人労働者の悲哀が伝わってきて

もの悲しさに包まれる。



そこで入国管理局へ匿名で通報。

調査しますという返答は得たが、

どう対処するのかは今のところ不明だ。




続いて昨日。

今度は熊本に住むベトナム人からの電話。

お金を貸してくれと。



実は、一週間ほど前にも

タイのバンコクにいる別のベトナム人からも

お金が無くなったからと無心の依頼を受けた。



なんでボクのような金欠人間にこうも立て続けに無心する(ask for money)のだろうか。

また、自分は自分で、ないくせに何とかしてあげたいと気持ちに苛まれる(torment)。


困った人を見ると助けてあげたいと思うのが人情。


夏目漱石は「草枕」の冒頭で言った。


「智に働(はたら)けば角が立つ、情に棹させば流される」 ってね。


これは、

理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、

他人の感情を気遣っていると、自分の足元をすくわれる、ってこと。


実にこの世はままならない。



でも、

「情けは人のためならず」という言葉がある。

よく誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に解される。



だが本当の意味は、

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、

やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということだ。


別に見返りを求めているわけではないのだが。


―――――――――――――――――――――――――――――


昨夜は深夜に彼女のアパートまで走った。

そして何故お金がいるのか事情を聴いた。


友達が入院しているからお金がいるのだという。

保険がきかないから病院代が高いとこぼす。


ボクは、その病院に掛け合ってあげるからといって彼女を説得した。



日本に来ている外国人労働者の実態はあまり知られていない。


先日から足を運ぶ馬のいる牧場にも

フィリピンから来た夫婦が外国人労働者として働いている。


実直そうな彼は黙々と仕事をこなしていた。




日本にあこがれを抱き、

日本来たがる外国人は多い。


また、

人口が減り高齢化が急速に進む日本も

移民を増やさなければやっていけないお家の事情がある。


一昨日の新聞によれば、

65歳以上人口、初の3000万人超え

定住外国人を含む総人口は1億2751万5千人で、

1年間で28.4万人減と外国人の国外転出とともに、

昨年に続いて過去最高を更新した、という。


移民の受け入れを渋る日本では、

むしろ外国人が逃げているのが実態なのだ。


これではまるで奴隷時代のアメリカではないか。



そうした意味でも

NPO法人の設立が大きな意味を成す。




さて、

日本経済を語り、

世界情勢を憂う我が身を振り返れば、


尻には火が付き、首が回らない火の車状態だ。




人様の心配をする前に、

わが身の行く末を案じなければならないというのに。



ア~ァ、

「情けは人のためならず」、か!?




【補足】


ボクの今の状況はNPOだ。


Nai Pocket Okane

笑いごとではない。



千難万来

2013年04月17日 | 苦境
千客万来ならぬ

千難が毎日ボクの下に飛び込んでくる。


ある時はお金の無心であり、

手助けの頼みごとであり、

教えてほしいという依頼であり、

各種問い合わせであったりする。



ボクはそのすべてに応えようと努力する。

何といっても、断れない性格。



解決できない難問は降りかかってこない。

応えられない依頼はやってこない、と確信しているから。



つまり、自分の身に降りかかるいかなる問題も、

必ず解決できるものであり、

応えられるから、頼まれるのである。


無碍(むげ)に断れば見込んでくれた相手を失望させるだろう。

それ以上に、自己嫌悪に陥る自分が怖い。



出来るできないは二の次だ。

引き受けてやってみることに意味がある。

相手の身になって一緒に考え、行動することこそ意味がある。



千客万来が商売繁盛なら、

「千難万来、人生繁盛」なのだ。



一生懸命やっても相手の期待に応えられなかったとき、

逆恨みを買うことだってある。


それ以上に、分かってもらえることだってあるのだ。

逆恨みを恐れていては、何もできない。


要は、思いやりの気持ちがあるかないかだ。

なんとかしてみようという気持ちがあるかないかだ。

思いやりとは、相手の気持ちになって考えられるかどうかだ。




もちろん騙すヤツモいる。


だが、最初から騙す奴と

やむなく騙さざるを得なくなる輩とは、いささか違う。


特にお金に関してはその傾向が強い。


騙す人間になるより、騙される人間になる方がよっぽどマシだ。

人を騙してばかりより、

時にはわかっていても騙されてみる。


騙す人間は、一生後味の悪さを引きずって生きることになる。

騙されても、時が経てば爽やかな風が吹く。




まさに人生万(よろず)相談である。

お金、経営、健康、人間関係などなど、様々だ。



―――――――――――――――――――――――――――――

人生で後悔するのは、

「やったことではなく、やらなかったこと」だという。


もう一つ人生で後悔することがある。

「頼みごとを引き受けたことではなく、断ったこと」である。



「不作為の罪」というものがある。

何もしない罪だ。

放置する罪だ。



「敗北者とは、負けたものあるいは失敗したものではない。

最初から何も挑戦しなかったもののことである」


つまり、

失敗しない人間とは、常に何事もしない人間のことである。



失敗したって、せいぜい死ぬだけのことじゃない。


呼吸するから生きてるんじゃない。

行動することこそ生きている証なのだ。


行動とは、チャレンジそのもののことだ。


何もチャレンジしないものは、生きた屍(しかばね)に等しい。




ボクの生き方を一つ、


 「無限に生きると思って夢を描き、

今日死ぬと思って今やるべきことをやる」

Dream as live forever,

Do as die today
 .



「人生を賭けるに値するのは、夢だけだ」

と言ったのは、たしかマスターキートンではなかったか。



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人生の敗北者には、パターンがある。


成すべき事を成さないとき

常に忙しいを言い訳にする奴。


現代は誰しも忙しい。

問題は何に忙しいかだ


パッとしない人間に二種類あるといわれる。

言われたことができないタイプと、言われたことしかできないタイプだ、と。


そういう人間に限って、忙しいを口癖にして言い訳する。

そうして、不満や悪口が口を突いて出る。


「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」 とはよくいったものだ。


トーマス・エジソンはいう。

「失敗する者の多くは、

あきらめてしまうとき、自分がいかに成功に近づいているかに気付いていない」



今一歩のところで、辞めてしまう。

残念な人の如何に多いことか。   


では一体どれだけ努力すればよいかという人がいる。

「努力して創造していく間こそ人生」なのである。  


馬に魅せられて

2013年04月16日 | ライフスタイル
乗馬がボクのライフワークの一環であることは前にも書いた。


昨日も、またT君の牧場に行ってきた。

ホントは毎日でも馬と一緒に暮らしたい心境だ。


昨日は、前回に比べデイビッド(馬の名前)は少しご機嫌斜めだった。


ハミ(bit)をつけるのを極端に嫌がったのだ。


そこで慣らしの運動をさせてみた。



何といってもスキンシップが大切だ。

馬に限ったことではないが。





いずれにせよ、早く丸馬場を作らなければ。




でもまたこうして馬に触れる機会ができたことは嬉しいことだ。

T君に感謝。


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彼を見ていると若き自分を思い出す。


乗馬に魅せられ、なんとか自分で馬を飼いたいともがいていたあの頃。

そしてはじめて自分の馬を手に入れた時の高揚感と緊張感。


西部開拓史を地で行くような、労働の日々。


未だに夢は膨らむ。


今、ボクの夢を引き継ぐ後継者が続々と現れている。


「老兵は死なず、ただ去りゆく(消え去る)のみ」

という言葉が脳裏を過った。


Old soldiers never die, but fade away

と言ったのは、マッカーサーだった。




ボクなら、

I never die, but walk away.

と言いたいところだ。


馬に乗って世界中を旅する。


ドン・キホーテの地球版?



それではサンチョ・パンサは誰?と訝(いぶか)ってみたくもなる。




正直なところ、ボクはもうすぐ死ぬ。

だから、ボクの意思(夢)を受け継ぐ人たちを一人でも多く残したい。


そのためにもNPOの立ち上げは必須で急務だ。



さあ、ここを観光牧場に仕上げて、

来年は、アメリカ進出だ。


アメリカ本場にゲストランチ(観光牧場)を彼と作るのだ。


アー、また眠れなくなるナー。